高山寺見どころ・簡単まとめ(修学旅行)

高山寺石水院・高山寺見どころ

高山寺見どころ

高山寺見どころ・簡単まとめ。高山寺紙本墨画鳥獣人物戯画(国宝)は甲巻・乙巻・丙巻・丁巻からなる墨画の絵巻です。甲巻・乙巻は東京国立博物館、丙巻・丁巻は京都国立博物館に寄託されています。鳥獣人物戯画は兎・蛙・猿などの動物を擬人化した絵のみで構成されています。(高山寺見どころ下記参照)

【高山寺見どころ 基礎知識】
高山寺(こうざんじ・こうさんじ)は774年(宝亀5年)に第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の勅願によって創建され、神願寺都賀尾坊(じんがんじとがのおぼう)と称したのが起源とも言われています。814年(弘仁5年)に神願寺都賀尾坊から都賀尾十無尽院(とがのじゅうむじんいん)に名称を改めました。平安時代後期に神護寺(じんごじ)の別院になり、神護寺十無尽院(じんごじじゅうむじんいん)と称されました。1206年(建永元年)に明恵上人(みょうえしょうにん)が後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))の院宣(いんぜん)によって賜り、華厳宗(けごんしゅう)の根本道場として再興しました。高山寺の寺号は後鳥羽上皇から賜った勅額「日出先照高山之寺(日、出でて、まず高き山を照らす)」に由来しています。
高山寺歴史(起源・見どころ・・・)

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【高山寺 石水院】★★★修学旅行
石水院(せきすいいん・五所堂(ごしょどう))は国宝です。石水院は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に東経蔵として建立され、その後石水院の名を継いだと言われています。石水院は中興の祖・明恵上人時代の唯一の遺構とも言われています。また石水院は後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)の学問所(賀茂の別院(かものべついん))を賜ったとも、明恵上人の住房跡とも言われています。石水院はかつて金堂(こんどう)の東にあったが、1889年(明治22年)に現在の場所に移されました。なお石水院はこけら葺(こけらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。
(高山寺 石水院・ポイント)
●石水院は春日明神(かすがみょうじん)・住吉明神(すみよしみょうじん)を祀っています。
●石水院は廂の間(ひさしのま)の欄間(らんま)に文人画家・儒学者である富岡鉄斎(とみおかてっさい)筆の横額「石水院」が掛けられ、落板敷( おちいたじき)の中央に善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれています。また南面の欄間に伝・後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺(縦約105.8センチ・横約58.8センチ・厚約2.0センチ)」も掛けられています。
●石水院は五所堂とも言われています。
●石水院は南面から清滝川(きよたきがわ)を越えて向山を望めます。
●かつての石水院は東経蔵の谷向いにあったが、1228年(安貞2年)の洪水によって消失しました。
高山寺石水院・見どころ

【高山寺 鳥獣人物戯画】★★★修学旅行
紙本墨画鳥獣人物戯画(しほんぼくがちょうじゅうじんぶつぎが)は国宝です。鳥獣人物戯画は甲巻・乙巻・丙巻・丁巻の4巻からなる墨画の絵巻です。鳥獣人物戯画は詞(ことば)はなく、兎(うさぎ)・蛙(かえる)・猿(さる)・鹿(しか)などの動物を擬人化した絵のみで構成されています。甲巻・乙巻は平安時代後期(12世紀後半)、丙巻は鎌倉時代(12世紀~13世紀)、丁巻は鎌倉時代(13世紀)に製作されたとも言われています。高山寺には16世紀以降に伝わったと言われています。なお甲巻・乙巻は東京国立博物館、丙巻・丁巻は京都国立博物館に寄託され、見られるのは模本です。
(高山寺 鳥獣人物戯画・ポイント)
●甲巻は縦30.4センチ・全長1,148.4センチで、擬人化された動物が描かれています。甲巻はユーモラスで、漫画文化のルーツとも言われています。
●乙巻は縦30.6センチ・全長1,189.0センチで、実在・空想上を合わせた動物図譜になっています。
●丙巻は縦30.9センチ・全長933.3センチで、前半が人間風俗画、後半が動物戯画になっています。
●丁巻は縦31.2センチ・全長1,130.3センチで、勝負事を中心に人物が描かれています。
●作者は明確ではありません。作者は天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)総本山・園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))法輪院(ほうりんいん)の僧で、戯画の名手・鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)とも言われています。ちなみに鳥羽僧正覚猷は漫画の始祖とも言われています。また鳥羽僧正覚猷に協力して密教図像を収集した絵仏師・定智(じょうち)とも、天台宗総本山・延暦寺(えんりゃくじ)の塔頭・無動寺(むどうじ)の僧・義清阿闍梨(ぎせいあじゃり)とも言われています。なお鳥獣人物戯画は天台僧の即興的な戯画「をこ絵(嗚呼絵)」に由来するとも言われています。「をこ絵」には「ばかげたおどけ絵」という意味があるそうです。
高山寺鳥獣人物戯画・見どころ

【高山寺 金堂】★修学旅行
金堂は寛永年間(1624年~1645年)に秀融・永弁らが仁和寺(にんなじ)の院家(いんげ)・真光院(しんこういん)から古御堂(みどう)を移して建立したと言われています。また1634年(寛永11年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が仁和寺(にんなじ)・覚深法親王(かくしんほっしんのう・覚深入道親王(かくしんにゅうどうしんのう))の御願により、仁和寺から移したと言われています。なお金堂は銅板葺(どうばんぶき)の入母屋造です。
(高山寺 金堂・ポイント)
●金堂は桁行3間・梁間3間です。
●金堂は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像を安置しています。
●金堂はかつて1219年(承久元年)に建立され、室町時代に焼失した本堂跡に建立されています。
高山寺金堂・見どころ

【高山寺 開山堂】★修学旅行
開山堂は明恵上人が晩年を過ごし、終焉(しゅうえん)の地とも言われています。開山堂では毎年明恵上人の生誕会・命日忌法要が行われています。開山堂は1723年(享保8年)に再建されました。なお開山堂は宝形造(ほうぎょうづくり)です。
(高山寺 開山堂・ポイント)
●開山堂は明恵上人坐像(重要文化財)を安置しています。
●開山堂は明恵上人が住した禅堂院(ぜんどういん)が建立され、御影堂(みえいどう)として信仰されていたが、室町時代の兵火によって焼失しました。
高山寺開山堂・見どころ

【高山寺 遺香庵】
茶室・遺香庵(いこうあん)は1931年(昭和6年)に明恵上人700年遠忌記念として、茶道家の懇志によって建てられました。茶室の設計は3代・木村清兵衛(きむらせいべい)、茶庭の作庭は7代・小川治兵衛(おがわじへえ)です。
(高山寺 遺香庵・ポイント)
●遺香庵の発起人は古美術商の土橋嘉兵衛(ちはしかへえ)・実業家の高橋箒庵(たかはしそうあん)らです。
●遺香庵は通常非公開だが、紅葉の時期に特別公開される場合があります。
高山寺遺香庵・見どころ

【高山寺 宝篋印塔・如法経塔】★修学旅行
宝篋印塔(ほうきょういんとう)・如法経塔(にょほうきょうとう)は重要文化財です。宝篋印塔・如法経塔は開山堂近くにあります。宝篋印塔は明恵に帰依した富小路盛兼が寄進したと言われています。宝篋印塔・如法経塔は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に造られました。なお宝篋印塔は高山寺型と言われています。
(高山寺 宝篋印塔・如法経塔・ポイント)
●宝篋印塔は高さ3.2メートル、如法経塔は高さ1.4メートルです。

【高山寺 茶園】★修学旅行
茶園はかつて中心的僧房・十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所にあります。かつての茶園は清滝川の対岸・深瀬(ふかいぜ)三本木にあり、日本最古の茶園とも言われていました。なおお茶の種は臨済宗の開祖・明菴栄西(みょうあんえいさい)が南宋(中国)から持ち帰り、明恵に贈ったとも言われています。
(高山寺 茶園・ポイント)
●室町時代の闘茶(とうちゃ)では栂尾の茶を「本茶」、その他の茶を「非茶」と呼んでいたそうです。
高山寺茶園・見どころ

【高山寺 紅葉】
高山寺は紅葉の名所です。紅葉は例年11月中旬に見ごろを迎えます。なお栂尾山高山寺(栂ノ尾)はいずれも紅葉の名所である高雄山神護寺(高雄・高尾)・槇尾山西明寺(槇ノ尾)とともに三尾(さんび)の名刹と言われていす。
(高山寺 紅葉・ポイント)
●紅葉の時期には入山料500円が必要になります。駐車場も11月は有料になります。(要確認)
高山寺紅葉見ごろ

【高山寺 神護寺】
高山寺は平安時代後期に神護寺の別院になり、神護寺十無尽院と称されました。なお神護寺は824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、名称を神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改めたのが起源です。
神護寺(アクセス・・・)
(高山寺 神護寺・ポイント)
●高山寺(栂ノ尾)・神護寺(高雄・高尾)は西明寺(槇ノ尾)とともに三尾(さんび)の名刹と言われています。
西明寺(アクセス・・・)

【高山寺見どころ 備考】
高山寺基本情報(アクセス・見どころ・・・)

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