大徳寺見どころを全部解説-知れば修学旅行・観光を満喫

大徳寺見どころ

大徳寺見どころを全部解説

大徳寺見どころを全部徹底的に解説しています。方丈(国宝)と玄関(国宝)・方丈庭園(史跡・特別名勝)・唐門(国宝)・千利休切腹の一因になった山門(重文)などの大徳寺見どころ・魅力を解説しています。また大徳寺の歴史や一休さん(一休宗純)・沢庵和尚なども解説しています。(大徳寺見どころの個別解説下記参照)

【大徳寺のチェックポイント】
大徳寺のチェックポイントは茶人・茶の湯です。大徳寺では室町時代中期以降に一休さんとして知られる一休宗純・沢庵漬けの沢庵和尚として知られる沢庵宗彭などの名僧を輩出し、一休宗純にわび茶を創始した村田珠光が参禅するとその後武野紹鴎・千利休・小堀遠州・古田織部などの茶人も大徳寺とゆかりを持ちます。ちなみに大徳寺はその塔頭とともにお茶に関係する寺宝が多く、「妙心寺の算盤面」・「東福寺の伽藍面」・「建仁寺の学問面」とともに「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と言われました。千利休は山門に上層を造営して金毛閣と名付け、雪駄を履いた利休木像を安置したことから関白・豊臣秀吉の怒りを買って、利休切腹の一因になったとも言われています。小堀遠州は方丈庭園の東庭を作庭しました。聚光院には鎌倉時代の宝塔を転用した千利休の墓や利休作庭と言われる方丈庭園があります。真珠庵には村田珠光作庭とも伝わる庭園(史跡・名勝)があります。三玄院には古田織部好みの茶室・篁庵や古田織部の墓があります。高桐院には細川忠興が北野大茶湯で使用した茶室・松向軒や利休屋敷から移築したとも言われる座敷があります。龍光院には天下の三大茶室・密庵(国宝)があります。孤篷庵には茶室・忘筌(重要文化財)があります。なお大徳寺では1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉が大茶湯を催しました。

【大徳寺 歴史・簡単概要】
大徳寺(だいとくじ)とは鎌倉時代後期の1315年(正和4年)に臨済宗(りんざいしゅう)の僧で、大徳寺開基である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が赤松円心(あかまつえんしん)の帰依を受け、紫野(むらさきの)に小堂・大徳庵を建立したのが起源とも言われています。その後1325年(正中2年)に花園上皇(第95代・花園天皇(はなぞのてんのう))が宗峰妙超に帰依し、北朝・持明院統(じみょういんとう)の祈願所にしました。しかし1453年(享徳2年)の火災や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失し、1474年(文明6年)に大徳寺第48代住持(じゅうじ)になった一休さん(一休宗純(いっきゅうそうじゅん))が再興しました。
大徳寺歴史(起源・・・)

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【方丈・簡単解説 大徳寺】★★★修学旅行・観光の見どころ
ハイライトである方丈・玄関は国宝です。方丈・玄関は境内の北にあり、土塀(どべい)に囲まれています。方丈には前後2列・左右4列の計8室があり、玄関は土間廊(どまろう)です。方丈・玄関は大徳寺第48代住持・一休宗純の参徒で、豪商・後藤益勝(ごとうますかつ)の寄進により、大徳寺開基である大燈国師・宗峰妙超の300年遠忌を記念して建立されました。方丈は江戸時代前期の1635年(寛永12年)、玄関は翌1636年(寛永13年)に完成しました。方丈は桟瓦葺(さんがわらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)、玄関は桟瓦葺の唐破風造(からはふづくり)です。方丈はその歴史に注目です。
(方丈・キーポイント)
●方丈は正面約29.8メートル・側面約17.0メートルです。
●方丈には計8室に江戸時代前期の絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描いた「山水図」・「禅会図」・「竜虎図」・「竹林禽鳥図」・「梅柳禽鳥図」・「隠士図」・「芦雁図」など襖絵84面(重要文化財)があります。1966年(昭和41年)に火災で「猿曳図」が焼失し、2009年(平成21年)に復元されました。方丈は襖絵にも注目です。
●方丈は朝廷の勅使(ちょくし)・幕府役人の接待や宗教行事などに使われました。
●方丈は大燈国師・宗峰妙超が墓所となる寺院を建立する必要はないと遺言した為、方丈の一部が墓所・雲門庵(うんもんあん・開山堂)になっています。雲門庵は一部が方丈北面の広縁(ひろえん)を越えて北側に突出しています。
●秋の特別公開で唐門などとともに一般公開されることがあります。また例年10月の第2日曜日の曝凉展(ばくりょうてん)で公開されることもあります。曝凉展は通常非公開の本坊で行われる虫干しの寺宝展です。

【方丈庭園・簡単解説 大徳寺】★★修学旅行・観光の見どころ
方丈庭園は史跡・特別名勝です。方丈庭園は枯山水式庭園です。方丈庭園は方丈の前に広がる南庭と方丈の東にある東庭に分けられます。東庭は江戸時代初期に小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭、南庭は1636年(寛永13年)に第169世・天佑紹杲(てんゆうじょうこう)が作庭したとも言われています。方丈庭園は最大のハイライトです。
(方丈庭園・キーポイント)
●方丈庭園の東庭は比叡山・東山を借景にし、南庭は観音石・不動石・水分石など16個の石が置かれています。南庭は石に注目です。
●方丈庭園は江戸時代初期を代表する枯山水庭園と言われています。

【唐門・簡単解説 大徳寺】★★★修学旅行・観光の見どころ
ハイライトである唐門(日暮門)は国宝です。唐門は四脚門(よつあしもん)です。唐門には随所に龍(りゅう)・鯉(こい)などの彫刻があります。唐門は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が造営した聚楽第(じゅらくてい)の遺構で、安土桃山時代から江戸時代前期の1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に越後国村上藩主・村上忠勝(むらかみただかつ)が譲り受けて移したと言われています。唐門は2003年(平成14年)の京都府教育委員会による解体・修理の際、飾り金物から「天正」の刻銘が発見されました。また「越後住人村上周防守頼勝」と記された慶長八年(1603年)銘の棟札も発見されています。唐門は檜皮葺(ひわだぶき)の切妻造(きりづまづくり)です。唐門は前後に軒唐破風(のきからはふ)付きです。唐門は彫刻に注目です。じっくり眺めるのがおすすです。
(唐門・キーポイント)
●唐門は日が暮れるまで見続けてしまうということから日暮門(ひぐらしもん)とも言われています。唐門は日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の陽明門(ようめいもん・日暮門)のモデルになったとも言われています。
●唐門は西本願寺(にしほんがんじ)の唐門・豊国神社(とよくにじんじゃ)の唐門ととともに桃山の三唐門と言われています。
●唐門はかつて本能寺の変(ほんのうじのへん)直後に明智光秀(あけちみつひで)が寄進によって建立された明智門があった場所です。明智門は1886年(明治19年)に南禅寺(なんぜんじ)の塔頭・金地院(こんちいん)に売却されました。

【山門・簡単解説 大徳寺】★★★修学旅行・観光の見どころ
最大のハイライトである山門(三門)は重要文化財です。山門は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、両脇に山廊(さんろう)があります。山門には長谷川等伯(はせがわとうはく)が描いた龍図があります。下層は戦国時代(室町時代後期)の1525年(大永5年)に連歌師・宗長(そうちょう)らが寄進し、上層は安土桃山時代の1589年(天正17年)に千利休(せんのりきゅう)が建立し、千利休が金毛閣(きんもうかく)と名付けました。金毛とは金毛の獅子(優れた禅僧)を意味するそうです。山門には雲英宗偉筆の額「金毛閣」が掛けられています。山門は本瓦葺(ほんがわらぶき)の入母屋造です。山門はその歴史と建築様式に注目です。
(山門・キーポイント)
●山門は山廊が桁行二間・梁間二間で、本瓦葺の切妻造です。
●山門は上層に雪駄(せった)を履いた利休木像が安置され、門を通る者は木像の下をくぐることになり、関白・豊臣秀吉の「不敬不遜」との怒りを買って、利休切腹の一因になったとも言われています。利休は1591年(天正19年)4月21日(旧暦2月28日)に切腹(自刃)し、首は一条戻橋(いちじょうもどりばし)で梟首されました。山門は歴史的出来事にも注目です。なお山門には釈迦三尊(しゃかさんぞん)像・十二羅漢(じゅうにらかん)像も安置されています。
●山門は禅寺三門の中では東福寺(とうふくじ)の三門に次いで古いと言われています。

【仏殿・簡単解説 大徳寺】★★修学旅行・観光の見どころ
仏殿は重要文化財です。仏殿は山門と法堂の間にあります。仏殿は天井に剥落(はくらく)が進んでいるが、室町時代の絵師・狩野元信(かのうもとのぶ)が描いた雲龍図(うんりゅうず)があります。仏殿は大徳寺1世である大現国師・徹翁義亨(てっとうぎこう)が創建したが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失し、その後一休宗純が再建し、江戸時代前期の1665年(寛文5年)に京都の豪商・那波常有(なわじょうゆう)の寄進によって改めて建立されました。仏殿は本瓦葺の入母屋造です。仏殿は一重もこし(裳階)付きで、北側に廊下・南端に木造渡廊があります。仏殿は建築様式と雲龍図に注目です。
(仏殿・キーポイント)
●仏殿は桁行三間・梁間三間です。
●仏殿には須弥壇(しゅみだん)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が寄進した大徳寺の本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像が安置されています。
●仏殿には安土桃山時代から江戸時代初期の絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)が描いた障壁画(しょうへきが)があります。

【法堂・簡単解説 大徳寺】★★修学旅行・観光の見どころ
法堂は重要文化財です。法堂は仏殿の北にあります。法堂には天井に江戸時代前期の絵師・狩野探幽が描いた雲龍図があります。法堂は鎌倉時代末期の1325年(正中2年)から宗印禅者を檀越として建立され、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失し、その後一休宗純が再建しました。法堂は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に相模小田原藩第2代藩主・稲葉正則(いなばまさのり)が父・稲葉正勝(いなばまさかつ)の遺志によって再建しました。法堂は本瓦葺の入母屋造です。法堂は一重もこし(裳階)付きです。法堂は建築様式と雲龍図に注目です。
(法堂・キーポイント)
●法堂は桁行五間・梁間四間です。

【雲龍図・簡単解説 大徳寺】
雲龍図(鳴き龍)は法堂のドーム状になった天井にあります。雲龍図は敷瓦の上で手を叩くと雲龍図に共鳴することから「鳴き龍」とも言われています。雲龍図は絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の孫で、絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が35歳の時に描きました。

【寝堂・簡単解説 大徳寺】
寝堂(茶堂)は重要文化財です。寝堂は法堂と方丈の間にあります。寝堂は応接間として使われました。寝堂は江戸時代前期の1630年(寛永7年)に毛利(もうり)家の家老・益田玄蕃頭元祥(ますだげんばのかみもとなが)が建立したと言われています。寝堂は檜皮葺の切妻造です。
(寝堂・キーポイント)
●寝堂は桁行二間・梁間三間です。
●寝堂は茶堂(ちゃどう)とも言われています。

【経蔵・簡単解説 大徳寺】
経蔵は重要文化財です。経蔵は仏殿の東にあります。経蔵には経典を納める八角輪蔵(はっかくりんぞう)があります。経蔵は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に那波宗旦(なわそうたん)が再建しました。経蔵は本瓦葺の宝形造(ほうぎょうづくり)です。
(経蔵・キーポイント)
●経蔵は桁行三間・梁間三間です。
●経蔵は1981年(昭和56年)から解体・修理の際、地下から室町時代前期の礎石が見つかりました。

【庫裏・簡単解説 大徳寺】★修学旅行・観光の見どころ
庫裏(くり)は重要文化財です。庫裏は本来台所です。庫裏は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失し、室町時代中期の文明年間(1469年~1487年)に淡路屋寿源(あわじやじゅげん・淡路屋某法名滴澗)が再建し、江戸時代前期の1636年(寛永13年)頃に旧方丈の古材によって修復されたとも言われています。庫裏は桟瓦葺の正面切妻造・背面入母屋造です。
(庫裏・キーポイント)
●庫裏は桁行約26メートル・梁間約19メートルです。庫裏は大きさに注目です。

【浴室・簡単解説 大徳寺】★修学旅行・観光の見どころ
浴室は重要文化財です。浴室は山門の東にあります。浴室には南宋(中国)の書家・張即之(ちょうそくし)が書いた額が掛かっています。浴室は江戸時代前期の1620年(元和8年)に京都の豪商・灰屋紹由(はいやじょうゆう)が再建しました。浴室は本瓦葺の切妻造です。
(浴室・キーポイント)
●浴室は桁行六間・梁間五間です。

【侍真寮・簡単解説 大徳寺】
侍真寮(じしんりょう)は重要文化財です。侍真寮は宗務本所の東にあります。侍真寮は後継住持の居室です。侍真寮は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されました。侍真寮は桟瓦葺の切妻造です。
(侍真寮・キーポイント)
●侍真寮は桁行約12.2メートル・梁間約4メートルです。

【鐘楼・簡単解説 大徳寺】
鐘楼は重要文化財です。鐘楼は法堂の東にあります。鐘楼は1583年(天正11年)に建立されました。鐘楼は袴腰付で、本瓦葺の入母屋造です。鐘楼は建築様式に注目です。
(鐘楼・キーポイント)
●鐘楼は桁行三間・梁間二間です。

【勅使門・簡単解説 大徳寺】★修学旅行・観光の見どころ
勅使門は重要文化財です。勅使門は山門前にある四脚門です。勅使門は慶長年間(1596年~1614年)に建てられた御所の門を1640年(寛永17年)に第108代・後水尾天皇から賜って移しました。勅使門は檜皮葺の前後唐破風造・左右切妻造です。
(勅使門・キーポイント)
●勅使門は2000年(平成12年)に修復されました。

●上記以外の大徳寺見どころは下記リンクから確認することができます。
大徳寺見どころ(方丈・山門など)

【大徳寺見どころ解説以外の情報】
大徳寺基本情報

【大徳寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・京都・大徳寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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