大徳寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識

大徳寺(Daitoku-ji Temple)

大徳寺の見どころは方丈・玄関・方丈庭園・唐門・山門・法堂

大徳寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには宗峰妙超の墓所がある方丈(国宝)、小堀遠州が作庭した東庭がある方丈庭園(特別名勝・史跡)、千利休の切腹の原因になった山門(重要文化財)などがあります。また法堂・唐門等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。

【大徳寺の歴史・簡単概要】

大徳寺は1315年(正和4年)に臨済宗の僧で、開基である大燈国師・宗峰妙超が赤松円心の帰依を受け、紫野に小堂・大徳庵を建立したのが起源とも言われています。その後1325年(正中2年)に花園上皇(第95代・花園天皇)が宗峰妙超に帰依し、北朝・持明院統の祈願所にしました。しかし1453年(享徳2年)の火災や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失し、1474年(文明6年)に大徳寺48代住持になった一休さん(一休宗純)が再興しました。

【一部が大燈国師・宗峰妙超の墓所・雲門庵になっている方丈(国宝)】

  • 概要:方丈・玄関は修学旅行・観光で見逃せません。方丈・玄関は境内北側にあり、土塀(どべい)に囲まれ、方丈の一部が開山である大燈国師・宗峰妙超の墓所・雲門庵(うんもんあん・開山堂)になっています。方丈は朝廷の勅使(ちょくし)・幕府役人の接待や宗教行事などに使われました。方丈には計8室に絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描いた「山水図」・「禅会図」・「竜虎図」・「竹林禽鳥図」・「梅柳禽鳥図」・「隠士図」・「芦雁図」など襖絵84面(重要文化財)があります。なお1966年(昭和41年)に火災で「猿曳図」が焼失し、2009年(平成21年)に復元されました。
  • 歴史:方丈は1635年(寛永12年)に建立され、玄関は翌1636年(寛永13年)に建立されました。方丈・玄関は第48代住持・一休宗純の参徒で、豪商・後藤益勝(ごとうますかつ)の寄進により、開基である大燈国師・宗峰妙超の300年遠忌を記念して建立されました。
  • 様式:方丈は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。玄関は唐破風造(からはふづくり)の桟瓦葺です。方丈は正面約29.8メートル・側面約17.0メートルです。
  • 構造:方丈には前後2列・左右4列の計8室があり、玄関は土間廊(どまろう)です。方丈は大燈国師・宗峰妙超が墓所となる寺院を建立する必要はないと遺言した為、方丈の一部が墓所(雲門庵・開山堂)になっています。雲門庵は一部が方丈北面の広縁(ひろえん)を越えて北側に突出しています。
  • 行事:秋の特別公開では唐門などとともに一般公開されることがあります。また例年10月の第2日曜日の曝凉展(ばくりょうてん)で公開されることもあります。
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【小堀遠州が作庭した東庭がある方丈庭園(特別名勝・史跡)】

  • 概要:方丈庭園は山門に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。方丈庭園は枯山水式庭園で、方丈の前に広がる南庭と方丈の東にある東庭に分けられます。方丈庭園は東庭が比叡山(ひえいざん)・東山を借景にし、七五三の庭・十六羅漢の庭とも言われています。南庭は観音石・不動石・水分石など16個の石が置かれています。南庭・東庭は趣が異なり、四季折々に美しい光景が見られます。
  • 歴史:方丈庭園は東庭が江戸時代初期に小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭し、南庭が1636年(寛永13年)に第169世・天佑紹杲(てんゆうじょうこう)が作庭したとも言われています。方丈庭園は江戸時代初期を代表する枯山水庭園と言われています。

【聚楽第から移築され、桃山の三唐門と数えられた唐門(国宝)】

  • 概要:唐門は修学旅行・観光で見逃せません。唐門は西本願寺の唐門・豊国神社の唐門ととともに桃山の三唐門に数えられています。唐門は随所に龍(りゅう)・鯉(こい)などの彫刻があります。唐門は日が暮れるまで見続けることから日暮門(ひぐらしもん)と言われています。唐門は日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の陽明門(ようめいもん・日暮門)のモデルになったとも言われています。
  • 歴史:唐門は関白・豊臣秀吉が造営した聚楽第(じゅらくてい)の遺構で、1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に越後国村上藩主・村上忠勝(むらかみただかつ)が譲り受けて移築したと言われています。唐門は2003年(平成14年)の京都府教育委員会による解体・修理の際、飾り金物から「天正」の刻銘が発見されました。また「越後住人村上周防守頼勝」と記された慶長八年(1603年)銘の棟札も発見されています。
  • 様式:唐門は四脚門(よつあしもん)です。唐門は前後に軒唐破風(のきからはふ)付きで、屋根が切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
  • 豆知識:唐門は本能寺の変(ほんのうじのへん)直後に明智光秀(あけちみつひで)が寄進によって建立された明智門があった場所です。明智門は1886年(明治19年)に南禅寺(なんぜんじ)の塔頭・金地院(こんちいん)に売却されました。

【茶人・千利休の切腹の原因になったとも言われる山門(重要文化財)】

  • 概要:山門は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。諸説があるが、山門は茶人・千利休(せんのりきゅう)切腹の原因とも言われています。山門は桃山時代に上層に雪駄(せった)を履いた千利休の木像が安置されました。山門は釈迦三尊(しゃかさんぞん)像・十二羅漢(じゅうにらかん)像も安置しています。なお山門には雲英宗偉筆の額「金毛閣」が掛けられ、長谷川等伯(はせがわとうはく)が描いた龍図もあります。
  • 歴史:山門は下層が1525年(大永5年)に連歌師・宗長(そうちょう)らが寄進し、上層が1589年(天正17年)に千利休が建立し、千利休が金毛閣(きんもうかく)と名付けました。金毛とは金毛の獅子(優れた禅僧)を意味するそうです。山門は禅宗寺院の三門(山門)の中で東福寺(とうふくじ)の三門に次いで古いと言われています。山門は歴史的価値があります。
  • 様式:山門は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、両脇に山廊(さんろう)があります。山門は屋根が入母屋造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。山廊は桁行二間・梁間二間で、屋根が切妻造の本瓦葺です。
  • 千利休:山門は桃山時代に上層に雪駄を履いた千利休の木像が安置され、門を通る者は木像の下をくぐることになり、関白・豊臣秀吉の「不敬不遜」との怒りを買って、千利休切腹の原因になったとも言われています。千利休は1591年(天正19年)4月21日(旧暦2月28日)に切腹(自刃)し、首は一条戻橋(いちじょうもどりばし)で梟首されました。

【本尊・釈迦如来を安置し、本堂にあたる仏殿(重要文化財)】

  • 概要:仏殿は山門と法堂の間に建立されています。仏殿は大徳寺の本堂で、須弥壇(しゅみだん)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が寄進した大徳寺の本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像を安置しています。仏殿には天井に剥落(はくらく)が進んでいるが、絵師・狩野元信(かのうもとのぶ)が描いた雲龍図(うんりゅうず)があります。また絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)が描いた障壁画(しょうへきが)もあります。
  • 歴史:仏殿は1665年(寛文5年)に京都の豪商・那波常有(なわじょうゆう)の寄進によって再建されました。ちなみに仏殿は第1世である大現国師・徹翁義亨(てっとうぎこう)が創建したが、応仁の乱で焼失し、その後一休宗純が再建したと言われています。
  • 様式:仏殿は一重もこし(裳階)付きで、屋根が入母屋造の本瓦葺です。仏殿は北側に廊下、南端に木造渡廊があります。仏殿は桁行三間・梁間三間です。

【絵師・狩野探幽筆の雲龍図「鳴き龍」がある法堂(重要文化財)】

  • 概要:法堂は修学旅行・観光で見逃せません。法堂は仏殿の北側に建立されています。法堂にはドーム状になった天井に絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の孫・狩野探幽が35歳の時に描いた雲龍図があります。雲龍図は敷瓦の上で手を叩くと共鳴することから「鳴き龍」と言われています。
  • 歴史:法堂は1636年(寛永13年)に相模小田原藩第2代藩主・稲葉正則(いなばまさのり)が父・稲葉正勝(いなばまさかつ)の遺志によって再建しました。ちなみに法堂は1325年(正中2年)から宗印禅者を檀越として建立され、応仁の乱で焼失し、その後一休宗純が再建しました。
  • 様式:法堂は法堂は一重もこし(裳階)付きで、屋根が入母屋造の本瓦葺です。法堂は桁行五間・梁間四間です。

【益田玄蕃頭元祥が建立した寝堂(重要文化財)】

  • 概要:寝堂(茶堂)は法堂と方丈の間に建立されています。寝堂は応接間として使われました。寝堂は茶堂(ちゃどう)と言われています。
  • 歴史:寝堂は1630年(寛永7年)に長州藩・毛利(もうり)家の家老・益田玄蕃頭元祥(ますだげんばのかみもとなが)が建立したと言われています。
  • 様式:寝堂は屋根が切妻造の檜皮葺です。寝堂は桁行二間・梁間三間です。

【経典を納める八角輪蔵がある経蔵(重要文化財)】

  • 概要:経蔵は仏殿の東側に建立されています。経蔵には経典を納める八角輪蔵(はっかくりんぞう)があります。経蔵は1981年(昭和56年)から解体・修理の際、地下から室町時代前期の礎石が見つかりました。
  • 歴史:経蔵は1636年(寛永13年)に那波宗旦(なわそうたん)が再建しました。
  • 様式:経蔵は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。経蔵は桁行三間・梁間三間です。

【本来台所である庫裏(重要文化財)】

  • 概要:庫裏は本来台所です。庫裏には室町時代の様式が残されていると言われています。
  • 歴史:庫裏は1636年(寛永13年)頃に旧方丈の古材によって再建されました。ちなみに庫裏は応仁の乱で焼失し、文明年間(1469年~1487年)に淡路屋寿源(あわじやじゅげん・淡路屋某法名滴澗)が再建したと言われています。
  • 様式:庫裏は屋根が正面切妻造・背面入母屋造の桟瓦葺です。庫裏は桁行約26メートル・梁間約19メートルです。

【豪商・灰屋紹由が再建した浴室(重要文化財)】

  • 概要:浴室は山門の東側に建立されています。浴室には南宋(中国)の書家・張即之(ちょうそくし)が書いた額が掛けられています。
  • 歴史:浴室は1620年(元和8年)に京都の豪商・灰屋紹由(はいやじょうゆう)が再建しました。
  • 様式:浴室は屋根が切妻造の本瓦葺です。浴室は桁行六間・梁間五間です。

【後継住持の居室だった侍真寮(重要文化財)】

  • 概要:侍真寮は宗務本所の東側に建立されています。侍真寮は後継住持の居室です。
  • 歴史:侍真寮は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されました。
  • 様式:侍真寮は屋根が切妻造の桟瓦葺です。侍真寮は桁行約12.2メートル・梁間約4メートルです。

【珍しい袴腰付きの鐘楼(重要文化財)】

  • 概要:鐘楼は法堂の東側に建立されています。鐘楼は袴腰(はかまごし)が漆喰(しっくい)で塗られています。
  • 歴史:鐘楼は1583年(天正11年)に建立されました。
  • 様式:鐘楼は袴腰付きで、屋根が入母屋造の本瓦葺です。鐘楼は桁行三間・梁間二間です。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
大徳寺見どころ(梶井門・千体地蔵塚など)

【大徳寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・大徳寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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