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カテゴリー:大徳寺
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大徳寺の歴史は宗峰妙超が甥の帰依を受け、大徳庵を建立したの起源
大徳寺は1315年(正和4年)に大燈国師・宗峰妙超が甥・赤松円心の帰依を受け、小堂・大徳庵を建立したのが起源とも、贈られたのが起源とも言われています。花園上皇が宗峰妙超に帰依し、持明院統の祈願所にしました。 -
龍泉庵(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
龍泉庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。龍泉庵を再興したルース紹溪尼(佐々木ルース夫人)は米国シカゴ生まれで、数度の来日後に仏教協会の活動に関わり、1957年(昭和34年)に大徳寺・龍泉庵に日米第一禅協会を設立し、禅典籍の英語翻訳などを行いました。 -
来光寺(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
来光寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。来光寺を中興した清巌宗渭(せいがんそうい)は大徳寺・玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)について出家し、賢谷宗良の法を継ぎ、1625年に大徳寺170世になりました。なお清巌宗渭は裏千家の茶室「今日庵」を命名したそうです。 -
龍光院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
龍光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。龍光院を創建した黒田長政は黒田官兵衛の長男で、織田信長の人質になり、少年時代は長浜の豊臣秀吉の元で過ごしました。ただ関ヶ原の戦では東軍で戦い、大坂冬の陣は江戸城の留守居役を務め、夏の陣では徳川秀忠に属しました。 -
養徳院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
養徳院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。養徳院を創建した足利満詮(あしかがみつあきら)は室町幕府2代将軍・足利義詮の4男で、1403年(応永10年)に室町幕府3代将軍・足利義満の手によって剃髪して出家し、法名・勝山道智(しょうざんどうち)と称しました。 -
如意庵(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
如意庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。如意庵を再興した祖渓宗臨(尾和宗臨)は堺の貿易商で、大徳寺の一休さんに参禅し、塔頭・真珠庵に葬られています。なお真珠庵の名称は楊岐方会の故事「積もった雪が月に照らされて真珠のように輝いた」に因み、一休さんが名付けました。 -
徳禅寺(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
徳禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。徳禅寺は1338年(延元3年)に後伏見天皇の第4皇子・尊胤法親王(そんいんほうしんのう)から船岡山山麓の梶井御所の地を贈られ、公家・花山院兼信から荘園の寄進を受け、かつては広大な寺地を有していたそうです。 -
龍翔寺(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
龍翔寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。龍翔寺が再建された場所にはかつて天瑞院がありました。天瑞院は1588年(天正16年)豊臣秀吉が母の病気平癒を祈願して大徳寺の子院・総見院近くに創建したが、明治維新後の混乱で衰退し、1874年(明治7年)に廃寺になりました。 -
大慈院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
大慈院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。大慈院は通常非公開だが、境内で精進鉄鉢料理「泉仙」が営業し、食事を食べることができます。なお精進料理の「精進」は美食を戒めて粗食をし、精神修養をすることだが、一般的に肉類を使わない料理として用いられています。 -
正受院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
正受院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。正受院に名称を改めた蜂屋頼隆(はちやよりたか)は美濃に生まれ、土岐氏・斎藤氏・織田信長・豊臣秀吉に使えて、秀吉からは1587年(天正15年)に羽柴の名字、1588年(天正16年)には豊臣の本姓を与えられました。 -
孤篷庵(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
孤篷庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。孤篷庵の国宝である井戸茶碗(喜左衛門井戸)は15世紀頃に朝鮮半島で作られ、豊臣秀吉・古田織部・徳川家康・松平不昧(治郷)と所持者が移ったが、所持者に腫物(はれもの)が相次いだ為、松平不昧ゆかりの孤篷庵に寄進されました。 -
芳春院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
芳春院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報。芳春院の客殿背後には小堀遠州と横井等怡の合作とも言われている楼閣山水庭園「飽雲池」があり、「飽雲池」の中の二重楼閣建築「呑湖閣(どんこかく)」は金閣・銀閣・飛雲閣と並んで京の四閣と言われています。