龍光院(アクセス・見どころ・・・)大徳寺
龍光院
龍光院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。龍光院を創建した黒田長政は黒田官兵衛の長男で、織田信長の人質になり、少年時代は長浜の豊臣秀吉の元で過ごしました。ただ関ヶ原の戦では東軍で戦い、大坂冬の陣は江戸城の留守居役を務め、夏の陣では徳川秀忠に属しました。
【龍光院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野大徳寺町14
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から龍光院は101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【龍光院 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開
【龍光院 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開
【龍光院 歴史・簡単概要】
龍光院(りょうこういん)・竜光院は江戸時代前期の1606年(慶長11年)に筑前国福岡藩初代藩主・黒田長政(くろだながまさ)が父で、黒田官兵衛(くろだかんべえ)とも言われる筑前国福岡藩祖・黒田孝高(くろだよしたか)の菩提を弔う為に大徳寺156世住持・江月宗玩(こうげつそうがん)を開祖、大徳寺111世住持・春屋宗園(しゅんおくそうえん)を勧請開祖として建立しました。龍光院の名称は黒田孝高の院号「龍光院殿如水円清大居士」に由来しています。その後有栖川宮初代・好仁親王(よしひとしんのう)が江月宗玩に帰依し、有栖川家の菩提寺になりました。なお明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって境内が縮小され、1872年(明治5年)に客殿・庫裏・鐘楼などが破却されました。
龍光院は臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺の塔頭です。
*参考・・・龍光院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【龍光院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
国宝・・・書院、密庵咸傑墨蹟(附 千利休消息)、竺仙梵僊墨蹟、大覚禅師筆金剛経、曜変天目茶碗
重要文化財・・・本堂及び盤桓廊、兜門、絹本淡彩山水図 伝馬遠筆、絹本着色十六羅漢像、紙本墨画栗図・柿図 2幅 伝牧谿筆、紙本淡彩琴棋図 伝如拙筆、油滴天目茶碗、後西天皇宸翰消息など
【龍光院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-491-0243
【龍光院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
大徳寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
大徳寺見どころ(方丈・山門など)
【龍光院 おすすめ散策ルート】
龍光院からのおすすめ散策ルートは大徳寺を経由し、西にある金閣寺(鹿苑寺)に向かうルートです。30分ほど散策すれば、世界遺産である金閣寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお龍光院周辺には大徳寺だけでなく、瑞峯院・大仙院・三玄院・黄梅院・興臨院・来光寺などもあり、それらを散策してから金閣寺に向かうのもいいかもしれません。