退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ2024(4月下旬~5月下旬頃)
退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ(見頃)
退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。退蔵院には池泉回遊式庭園・余香苑に霧島ツツジ・平戸ツツジ・サツキなどが植えられ、ツツジ・サツキと余香苑などの光景が美しいと言われています。なお余香苑にはお茶席・大休庵があり、抹茶・茶菓子(有料)を楽しむことができます。(詳細下記参照)
【退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ(例年時期)】
退蔵院のツツジ・サツキ見ごろは霧島ツツジ・平戸ツツジが例年4月下旬頃、サツキが例年5月下旬頃です。ただツツジ・サツキ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ
【退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区花園妙心寺町35
最寄り駅・バス停・・・妙心寺前(徒歩約5分)、妙心寺北門前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から退蔵院は26系統(D3乗り場)北
*四条烏丸からは26系統北、91系統前
*四条河原町からは10系統北
*河原町丸太町からは10系統北、93系統前
路線・時刻表・運賃チェック
【退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
退蔵院はツツジ(躑躅)・サツキ(皐月)の名所です。退蔵院のツツジ・サツキ見ごろは霧島ツツジ・平戸ツツジが例年4月下旬頃、サツキが例年5月下旬頃です。
退蔵院には面積約2,600平方メートルの池泉回遊式庭園・余香苑(よこうえん)に霧島ツツジ・平戸ツツジ・サツキなどが植えられ、ツツジ・サツキと余香苑などの光景が美しいと言われています。余香苑はひょうたん池の護岸の石はやや低めで、片側がツツジ・サツキの刈り込みで覆われています。耳を澄ますと水琴窟(すいきんくつ)から透き通った音が聞こえるかもしれません。ちなみに滝石組は伝統的な造園技術が盛り込まれ、方丈庭園の枯滝石組のイメージして造られています。余香苑は正面から眺めると奥行きが生まれ、広く見える工夫もされています。なお余香苑にはお茶席・大休庵があり、抹茶・茶菓子(有料)を楽しむことができます。ちなみに抹茶は夏季(6月~9月)に冷抹茶が用意されています。茶菓子は国宝である瓢鮎図(ひょうねんず)に因んで、上品な餡と季節のドライフルーツを使って、瓢箪となまずをあしらったオリジナル半生菓子・是什麼(これなんぞ)です。
余香苑は元々竹林だったが、竹が一斉に枯れたことから庭が作庭されることになりました。余香苑は昭和の小堀遠州とも言われた造園家・中根金作が設計し、1963年(昭和38年)~1965年(昭和40年)に作庭されました。余香苑には滝石組から三段落ちの滝が流れ、茶屋や藤棚が設けられ、紅枝垂桜・藤・サツキ・蓮・金木犀(キンモクセイ)・カエデなどが植えられています。
霧島ツツジ(霧島躑躅)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。霧島ツツジは鹿児島に野生するサタツツジ(佐田躑躅)とヤマツツジ(山躑躅)を主とし、ミヤマキリシマ(深山霧島)が加わった交配種とも言われています。霧島ツツジは樹高が60センチ~90センチで、葉は広い楕円形です。霧島ツツジは春に小枝の先に紅色の漏斗状の花を数個つけます。
平戸ツツジ(平戸躑躅)はツツジ科の常緑低木です。平戸は古くから交通・交易の中心地であったことからケラマツツジ(沖縄諸島)を主な親とし、キシツツジ(西部日本)・リュウキュウツツジ(沖縄諸島)・モチツツジ(中部日本)・タイワンヤマツツジ(台湾)などと交雑し、平戸ツツジが生まれたと言われています。平戸ツツジは樹高1~2メートルで、花冠が大きく、白・桃・紅・赤・朱・紫色など多彩な花を咲かせます。
サツキ(皐月・杜鵑)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。サツキの名称は旧暦の5月 (皐月) 頃に一斉に咲くことに由来し、花期は他のツツジに比べると1ヶ月程度遅く、5月~6月頃になります。サツキは関東以西と九州南部に分布し、川岸の岩上などに自生しています。サツキは樹高が1メートル前後で、枝は細く密生して横に広がり、葉は披針形または狭倒披針形で先が尖っています。サツキは花色が深紅から白色で、咲き分け・絞り・八重咲などがあります。
【退蔵院 歴史・簡単概要】
退蔵院(たいぞういん)は室町時代前期の1404年(応永11年)に越前の豪族・波多野出雲守重通(はたのいずものかみしげみち)が妙心寺(みょうしんじ)第3世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原(せんぼんどおりまつばら)に創建したのが起源です。その後妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)が妙心寺内の霊雲院(れいうんいん)の東に移したと言われているが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で妙心寺とともに焼失しました。安土桃山時代の1597年(慶長2年)に妙心寺34世で、中興の祖・亀年禅愉(きねんぜんゆ)が現在の場所に再建し、1602年(慶長7年)に現在の方丈が建立されと言われています。1966年(昭和41年)に庭園・余香苑(よこうえん)が作庭されました。なお退蔵には「価値あるものをしまっておく」という意味があり、陰徳を積み重ね、内に秘めながら布教することを示しているそうです。
退蔵院は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺の塔頭です。
*参考・・・退蔵院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
退蔵院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報