京都蝋梅名所・見ごろ(京都御苑・北野天満宮・・・)

京都御苑蝋梅

京都蝋梅名所・見ごろ(見頃)

京都蝋梅名所・見ごろ情報を紹介しています。京都には大蓮寺・京都御苑・北野天満宮・梅宮大社・恵心院・京都府立植物園・天龍寺などの蝋梅の名所があります。京都御苑には苑内北西部の近衞邸跡に整備された児童公園に内側が暗紫色をしている蝋梅、苑内南西部の宗像神社北側に素心蝋梅が植えられ、無料で楽しめます。

【蝋梅(ロウバイ) 基礎知識】
蝋梅はクスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する落葉樹(落葉低木)です。蝋梅の名称は「本草綱目(ほんぞうこうもく)」によると半透明で鈍いツヤのある黄色い花びらがまるで蝋細工のようで、臘月(旧暦12月)に咲くことに由来すると言われています。蝋梅は中国原産で、江戸時代初期に朝鮮半島を経て中国から伝来し、観賞用として植栽されるようになったと言われています。ちなみに蝋梅は中国で梅・水仙・椿とともに「雪中の四花」として尊ばれています。蝋梅は早生種が12月頃、晩生種が2月頃に黄色い花を咲かせ、芳しい香りを漂わせます。なお蝋梅にはソシンロウバイ(素心蝋梅)・マンゲツロウバイ(満月蝋梅)・トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種があります。

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【大蓮寺 蝋梅(ロウバイ)】
大蓮寺には本堂に向かって左手に蝋梅が植えられています。蝋梅見ごろは例年1月下旬頃から2月中旬頃です。
大蓮寺は1600年(慶長5年)に専蓮社深誉上人が創建し、伏見の荒れたお堂に祀られていた阿弥陀如来を安置したのが起源と言われています。阿弥陀如来は第3代天台座主である慈覚大師・円仁が刻み、真如堂(真正極楽寺)に安置されて安産にご利益があったが、真如堂が応仁の乱の兵火によって荒廃し、伏見のお堂に祀られていたそうです。専蓮社深誉上人は阿弥陀如来の返還を命じられ、21日間念仏を称え続けると成満の朝、阿弥陀如来像が2体に分かれ、真如堂・大蓮寺に安置することになったそうです。
大蓮寺蝋梅見ごろ

【京都御苑 蝋梅(ロウバイ)】
京都御苑には苑内北西部の近衞邸跡に整備された児童公園に内側が暗紫色をしている蝋梅、苑内南西部の宗像神社北側に素心蝋梅があります。蝋梅で見ごろは例年1月下旬頃から2月下旬頃です。
京都御苑は京都府京都市上京区にある南北約1,300メートル・東西約700メートル・総面積約92ヘクタールの国民公園です。京都御苑は天正年間(1573年~1592年)に関白・豊臣秀吉が公家を御所周辺に移住させたことから江戸時代には200もの宮家・公家の邸宅が立ち並んでいました。しかし明治維新後に首都が東京に移ると御所周辺は荒廃しました。そこで1877年(明治10年)に輔相・岩倉具視が旧慣保存の為、御所の保存を建議しました。そして京都府が火災延焼を防ぐ為、御所周辺の空き家を撤去して整備したのが京都御苑の起源です。
京都御苑蝋梅見ごろ

【北野天満宮 蝋梅(ロウバイ)】
北野天満宮には本殿(国宝)外まわりの西側、向って左側に蝋梅が植えられています。蝋梅見ごろは例年1月上旬頃から1月下旬頃です。
北野天満宮は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子・近江(滋賀)比良宮の神主である神良種・北野朝日寺(東向観音寺)の僧である最珍(最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に道真が左遷された大宰府で亡くなり、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後道真左遷の原因になった左大臣・藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。
北野天満宮蝋梅見ごろ

【梅宮大社 蝋梅(ロウバイ)】
梅宮大社には梅林近くに素心蝋梅、茶室・池中亭の側に雲南蝋梅が植えられています。蝋梅で見ごろは例年1月上旬頃から2月中旬頃です。
梅宮大社は敏達天皇の後裔で、橘氏の祖・橘諸兄の母・県犬養三千代が橘氏一門の氏神として山城国相楽郡井出庄に祀ったのが起源と言われています。その後聖武天皇の妃・光明皇后と藤原南家の祖・藤原武智麻呂の夫人・牟婁女王が奈良に移し、更に泉川の上流・かせ山に移し、平安時代前期に嵯峨天皇の妃・檀林皇后が現在の場所に移したと言われています。橘嘉智子は嵯峨天皇の妃になったが、子供を授からなかったことから梅宮大社に祈願すると仁明天皇を授かったとも言われ、子授け・安産の神として信仰されるようになりました。
梅宮大社蝋梅見ごろ

【恵心院 蝋梅(ロウバイ)】
蝋梅の見ごろは例年1月下旬頃から2月下旬頃です。恵心院には素心蝋梅が植えられています。
恵心院は平安時代初期に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が創建し、唐(中国)の青龍寺に似ていたことから龍泉寺と名付けられたとも言われています。恵心院は寺伝によると1005年(寛弘2年)に天台宗の僧で、「往生要集」を記した恵心僧都・源信が説法道場として再興し、その名に因んで恵心院と称したと言われています。その後藤原氏の庇護を受けたとも言われるが、中世に兵火で衰退したとも言われています。1676年(延宝4年)に萬福寺の伽藍を中国風の黄檗様式で造営した大工棟梁・秋篠兵庫が本堂を建立したとも言われています。
恵心院蝋梅見ごろ

【京都府立植物園 蝋梅(ロウバイ)】
京都府立植物園には梅林に素心蝋梅・雲南蝋梅が植えられています。蝋梅の見ごろは例年1月上旬頃から2月中旬頃です。
京都府立植物園は1917(大正6年)に着工し、1924年(大正13年)1月1日に日本最初の公立植物園「大典記念京都植物園」として開園しました。ただ戦後の1946年(昭和21年)に連合国軍に接収され、1957年(昭和32年)に返還され、1961年(昭和36年)4月から再開しました。再開園30年の際、改修工事が行われ、1992年(平成4年)に日本最大級の回遊式観覧温室が建設されました。京都府立植物園では面積約24ヘクタールに約12,000種・約12万本の植物が植えられ、回遊式観覧温室・広大な大芝生地・桜林・ばら園・植物生態園などがあります。
京都府立植物園蝋梅見ごろ

【天龍寺 蝋梅(ロウバイ)】
天龍寺には曹源池庭園の隅や百花苑の北端に素心蝋梅が植えられています。蝋梅の見ごろは例年1月中旬頃から2月上旬頃です。
天龍寺は承和年間(834年~848年)に第52代・嵯峨天皇の后・檀林皇后が創建した日本最初の禅寺・壇林寺があった場所です。その後醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王の亀山山荘、後嵯峨上皇の仙洞御所、亀山上皇の離宮・亀山殿が造営され、1335年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が亀山殿内に臨川寺を創建しました。天龍寺は1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為、夢窓国師・夢窓疎石を開山として創建しました。天龍寺は当初元号から暦応資聖禅寺と称しました。
天龍寺蝋梅見ごろ

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