日本三大祭(祇園祭・天神祭・山王祭・神田祭)
日本三大祭
祇園祭(八坂神社)は天神祭(大阪天満宮)・山王祭(日枝神社)・神田祭(神田明神)とともに日本三大祭りに数えられています。ちなみに山王祭と神田祭は交互に大祭が行われています。なお祇園祭は葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)・時代祭(平安神宮)とともに京都三大祭りに数えられています。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に京都をはじめ全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。
八坂神社は656年(斉明天皇2年)高麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)南都の僧・円如が堂(観慶寺)を建立し、薬師千手等の像を奉安したのが起源とも言われています。
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【天神祭 歴史・簡単概要】
天神祭は平安時代中期で、大阪天満宮が創建された翌々年951年(天暦5年)6月1日に社頭の浜から大川(おおかわ)に神鉾(かみほこ)を流し、流れついた浜にその年の御旅所(おたびしょ)・斎場を設けて禊祓い・みそぎはらいを行った際、神領民が船を仕立てて奉迎したのが起源と言われています。その後船の数が増え、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂城を築城した桃山時代の1583年(天正11年)頃には船渡御(ふなとぎょ)の形が整い、江戸時代中期の元禄時代(1688年~1704年)以降は浪速のシンボルとして隆盛を極め、 享保年間(1716年~1735年)には祭りを支える講が誕生し、お迎え人形も登場するようになりました。
大阪天満宮は650年(白雉元年)に第36代・孝徳天皇が難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)を造営した際、都の西北を守る神として創建された大将軍社があった場所です。901年(延喜元年)に菅原道真が太宰府に左遷された際、大将軍社で旅の無事を祈願しました。その後903年(延喜3年)に道真が太宰府で亡くなり、949年(天暦3年)に大将軍社の前に一夜にして7本の松が生えて夜毎に梢を光らせるという奇譚(きたん)が第62代・村上天皇に伝わり、村上天皇の勅命により、社殿を造営して道真を篤く祀りました。
*参考・・・大阪天満宮・天神祭
【山王祭 歴史・簡単概要】
山王祭は起源が明確ではありません。山王祭は室町時代中期の1478年(文明10年)に武将・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城の鎮護の神として、川越無量寿寺(むりょうじゅじ)の鎮守・川越日枝神社(ひえじんじゃ)を勧請したと言われている6月15日に行われていました。その後徳川将軍家に日枝神社が篤く崇敬され、山王祭は江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)を神の祭礼として、費用を幕府が負担したことから御用祭(ごようまつり)または天下祭(てんかまつり)とも言われました。ちなみに山王祭は西暦偶数年に大祭が行われます。
日枝神社は武蔵国を発祥とする武家・江戸氏(えどし)が武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として山王宮を祀ったのが起源とも、1478年(文明10年)太田道灌が江戸城を築城した際、鎮護の神として川越無量寿寺の鎮守・川越日枝神社を勧請したのが起源とも言われています。
*参考・・・日枝神社・山王祭
【神田祭 歴史・簡単概要】
神田祭は起源が明確ではありません。神田祭が天下祭(てんかまつり)と称されるような大祭になったのは江戸時代以降のことです。神田明神は桃山時代の1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から戦勝の祈祷を命じられ、神田祭が行われる9月15日に勝利したことから家康に篤く崇敬され、社殿・神輿などが寄進されました。ちなみに神田祭は西暦奇数年に大祭が行われます。
神田明神は社伝によると730年(天平2年)に出雲氏族・大己貴命(おおなむちのみこと・大国主(おおくにぬし))の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村に造営したのが起源と言われています。神田明神は元々神田が伊勢神宮の神田・御田(しんでん・おみた)があったことから当初神田ノ宮と称したそうです。
*参考・・・神田明神・神田祭
【日本三大祭 備考】
京都・八坂神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報