長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ2024(4月下旬頃)
長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ(見頃)
長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。長岡天満宮のキリシマツツジ見ごろは例年4月下旬頃です。長岡天満宮では八条ヶ池中堤約70メートルに約100株のキリシマツツジが植えられ、濃紅の花を咲かせます。キリシマツツジは樹齢130年前後とも、150年とも言われ、樹高が約2.5メートルあります。キリシマツツジは長岡京市の天然記念物に指定されています。(詳細下記参照)
【長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ(例年時期)】
長岡天満宮のキリシマツツジ見ごろは例年4月下旬頃です。なおキリシマツツジの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ
●長岡天満宮instagramでキリシマツツジ状況をリアルタイムチェック。
長岡天満宮instagram
【長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市天神2-15-13
最寄り駅・バス停・・・長岡京駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道線
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は長岡天神駅(徒歩約10分)
【長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
長岡天満宮は京都を代表するキリシマツツジ(霧島つつじ)の名所です。長岡天満宮のキリシマツツジ見ごろは例年4月下旬頃です。
長岡天満宮では八条ヶ池中堤約70メートルに約100株のキリシマツツジが植えられ、濃紅の花を咲かせます。キリシマツツジは樹齢130年前後とも、150年とも言われ、樹高が約2.5メートルあります。ちなみにキリシマツツジは長岡京市の天然記念物に指定されています。長岡京市はキリシマツツジを保全する為、1993年(平成5年)に中堤を拡幅し、中堤と中ノ島を結ぶ総檜造りの水上橋を含む一帯は「八条ケ池ふれあい回遊のみち」と名付けました。また長岡京市は2010年(平成22年)に「長岡京らしい景観を形作るうえで大切な樹木」として、景観重要樹木にも指定しました。
キリシマツツジはツツジ科の常緑低木です。キリシマツツジは江戸時代初期に標高約1,700メートルの鹿児島霧島山(きりしまやま)の山中に自生するツツジの中から選抜され、その後全国各地に広まったそうです。なおキリシマツツジは4月から5月頃に小ぶりの花を咲かせます。
八条が池は1638年(寛永15年)に領主・八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が造営しました。八条が池は外周約1キロの灌漑用の溜め池で、貯水量は約35,000トンです。八条が池を二分する中堤にある石の太鼓橋は加賀前田候が寄進したと言われています。
【長岡天満宮 歴史・簡単概要】
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は平安時代に祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の所領だった場所です。道真は第51代・平城天皇の孫で、歌人・在原業平(ありわらのなりひら)らと詩歌・管弦を楽しんだと言われています。また道真は901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷された際、この地に立ち寄って高槻まで付き従った中小路宗則(なかこうじむねのり)に自作の木像と念持仏を託し、903年(延喜3年)の道真の死後に木像を祀る祠が建てられたのが起源と言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失したり、1596年(慶長元年)の慶長の大地震で倒壊したりしたが、その度に再建されました。1638年(寛永15年)に八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が八条ヶ池を築造しました。その後1941年(昭和16年)に平安神宮の社殿が移築され、本殿などになりました。なお長岡天満宮は主祭神に菅原道真を祀り、春日社・八幡社・稲荷神社・山神社・龍神社・和泉殿社・白太夫社の7社の末社も祀っています。
*参考・・・長岡天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
長岡天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報