妙教寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
妙教寺
妙教寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。妙教寺ゆかりの淀古城は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が捨(鶴松)を生む側室・淀殿(浅井茶々)の産所に与えたが、1595年(文禄4年)に秀吉の養子となっていた関白・豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、秀次の与党で、城主・木村重茲(きむらしげこれ)の連座とともに廃城になりました。ちなみに淀殿の名称は淀古城に由来しています。
【妙教寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区納所北城堀46
最寄り駅・バス停・・・淀駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
祇園四条からは京阪本線
【妙教寺 拝観時間・時間(要確認)】
不明
【妙教寺 拝観料金・料金(要確認)】
不明
【妙教寺 歴史・簡単概要】
妙教寺(みょうきょうじ)は1626年(寛永3年)に大阪の富豪であった法華又左衛門貞清(ほっけまたざえもんのじょうさだきよ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康の甥で、初代淀城主・松平定綱(まつだいらさだつな)から室町時代に築城されたとも言われる淀古城を賜り、南西の新淀城の守護に宝泉院日孝を開山として創建しました。ちなみに松平定綱は1623年(元和9年)8月に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠から淀藩3万5千石への入部を命じられ、河村右衛門の屋敷跡に江戸幕府の援助によって新淀城を築城したが、1633年(寛永10年)には大垣城6万石に移りました。新淀城の築城には関白・豊臣秀吉が築城し、廃城になった伏見城の資材を転用されたと言われています。1840年(天保11年)に現在の本堂が建立されました。幕末に戊辰戦争(ぼしんせんそう)の緒戦となった鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)で本堂が砲弾で被弾し、その後戦死した幕兵の碑が建立されました。
妙教寺は法華宗真門流の寺院です。
*参考・・・妙教寺(アクセス・歴史・・・)・妙教寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【妙教寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
妙教寺の見どころは鳥羽・伏見の戦いの際に砲弾で被弾した本堂です。本堂には砲弾侵入穴や砲弾が貫いた柱が残されています。また稲荷のお使いとして崇められ、寺の鎮守として寺を守ることを誓った夫婦狐(小満・小女郎)の小満小女郎の塚も見どころです。
【妙教寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-631-2584
【妙教寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【妙教寺 おすすめ散策ルート】
妙教寺からのおすすめ散策ルートは近くにある淀古城跡や古淀城薬師堂址に向かうルートです。15分ほど散策すれば、淀古城跡や古淀城薬師堂址に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお妙教寺は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。