社家条々記録(しゃけじょうじょうきろく)」と祇園祭
「社家条々記録」と祇園祭
「社家条々記録」は1323年(元亨3年)に祗園社執行・晴顕が記した記録です。執行は八坂神社の運営の中心で、下級社僧・公人・宮籠などの人事権を持ち、恒例・臨時の法会や神事の準備を公人に命じました。執行は神官でもり、仏僧でもあり、外見は僧形でした。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【「社家条々記録(しゃけじょうじょうきろく)」】
「社家条々記録」は鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1323年(元亨3年)に祗園社執行・晴顕が記した記録です。祗園社執行は八坂神社の運営の中心で、下級社僧・公人・宮籠(みやごもり)などの人事権を持ち、恒例・臨時の法会や神事の準備を公人に命じました。また社領の治安維持を行ったり、目代を通して延暦寺に諸事項を通達しました。ちなみに祇園祭では祗園社執行(執行代)が輿に乗りました。なお祗園社執行は神官でもり、仏僧でもあり、外見は僧形でした。
「社家条々記録」の「祗園社草創以来代々勅願次第」の条に「清和天皇御宇 当社草創根元者、貞観十八年、南都円如上人始建立之、是最初本願主也、別記云、貞観十八年南都円如先建立堂宇、奉安置薬師千手等像、則今年夏六月十四日、天神東山之麓祗園林二令垂跡御坐、」と記され、第56代・清和天皇(せいわてんのう)の時代(858年~876年)、876年(貞観18年)に南都の僧・円如上人(えんにょしょうにん)が草創根元者・最初の本願主として八坂神社を創建したことが分かります。円如上人は先ず堂宇を建立し、薬師千手(やくしせんじゅ)などを祀り、その年の6月14日に東山の麓にある祗園林に天神(天つ神)が降り立ちました。祇園祭はかつて旧暦6月7日に神幸(しんこう・神輿迎え(みこしむかえ))、旧暦6月14日の還幸(かんこう・祇園会(ぎおんえ))が行われ、6月14日は天神(天つ神)が降り立った日に由来するとも言われています。ただ日程の一致は偶然とも言われています。
「社家条々記録」の「円融天皇」の条に「或記云 圓融院 天延二年甲戌三月十七日、祇園社内本堂、被成山門別院、宣云、以寛慶寺可延暦寺別院云々、以上此宣来自山門令管領当社、以外参差沙汰也、天延二年六月十四日、被始行御霊会(祇園祭)、即被寄付高辻東洞院方四町於旅所之敷地、号大政所、当社一円進止神領也、」と記され、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の時代(969年~984年)、974年(天延2年)6月14日に祇園祭が始まったことが分かります。また高辻東洞院の方四町が神輿が渡御する御旅所(おたびしょ)の土地として寄進され、大政所(おおまんどころ)と号しました。974年(天延2年)から神輿が八坂神社から御旅所に渡御するようになったと言われています。なお円融天皇は974年(天延2年)に神輿が鴨川を渡って平安京を渡御するように勅命したとも言われています。
「社家条々記録」の「祗園社草創以来代々勅願次第」の条に「保元二年丑丁六月一日、為添御霊会(祇園祭)祭礼、為増天神之威儀、副鎌鉾三張被下社家、勅云、為儼明神之祭礼、宜被下鉾、早尋捜洛中富家、可差定馬上役云々、則為断末代之牢籠、以御厩舎人六郎先生光吉勤仕、」と記され、1157年(保元2年)に祇園祭の費用を負担する馬上役を洛中の富家から差定する制度を設けたことが分かります。第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)は馬上役を富家から差定する制度を設け、八坂神社の威儀を増す為にその象徴として八坂神社の執行(社家)に鉾(鎌鉾)三張が与えられました。なお平安時代後期に祇園祭の費用は基本的に朝廷が負担し、八坂神社に荘園も寄進されていたが、必ずしも資金は潤沢ではありませんでした。
●八坂神社にはかつて検校・権検校・別当・別当代・目代・目代代・執行(社家)・権長吏・大別当・上座・権上座・権別当・寺主・権寺主・都維那・権大別当・少別当・公人・専当・宮仕・承仕・勾当・宮籠・神人・神子などがおり、仏事・神事などを行っていました。八坂神社は延暦寺の別院とされ、検校は天台座主が兼務でぃました。また南北朝時代頃から執行(社家)は宝寿院が世襲しました。
【「社家条々記録」と祇園祭 備考】
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