善峯寺アジサイ見ごろ2024(6月中旬~7月上旬頃)
善峯寺アジサイ見ごろ(見頃)
善峯寺アジサイ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。善峯寺では約3,000坪の白山桜あじさい苑などにセイヨウアジサイ・ガクアジサイ・ヤマジサイなど約10,000株のアジサイが植えられ、斜面一面を華やかに彩ります。見晴らしのよい高台からアジサイ越しに京都市街を一望することができます。(詳細下記参照)
【善峯寺アジサイ見ごろ(例年時期)】
善峯寺のアジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。ただアジサイ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都あじさい名所・見ごろ
【善峯寺アジサイ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市西京区大原野小塩町1372
最寄り駅・バス停・・・善峯寺(徒歩約8分)、なお冬季(1/6~2/末)は小塩
阪急バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・東向日駅からは66系統善峯寺行き
*JR・向日町駅からは66系統善峯寺行き
阪急バス・アクセスダイヤ
【善峯寺アジサイ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
善峯寺はアジサイ(紫陽花)の名所です。善峯寺のアジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。
善峯寺では約3,000坪の白山桜あじさい苑などにセイヨウアジサイ(西洋紫陽花)・ガクアジサイ(額紫陽花)・ヤマジサイ(山紫陽花)など約10,000株のアジサイが植えられ、斜面一面を華やかに彩ります。見晴らしのよい高台からアジサイ越しに京都市街を一望することができます。アジサイは雨の日や霧の日も美しいと言われています。なお善峯寺では薬師堂・多宝塔(重要文化財)・宝篋印塔(ほうきょういんとう)周辺などにもアジサイが植えられています。
白山桜あじさい苑がある「白山」は白山明神(はくさんみょうじん)が出現した地とされています。1042年(寛徳2年)2月1日の夜に白山明神がこの地に現れ、善峯寺開山・源算上人に写経手本となる法華経(ほけきょう)経巻と浄水・白山名水を授け、翌日に五色の雪が降ったと伝えられます。その後源算上人は毎年この日に法楽(ほうらく)を行ったと伝えられています。
薬師堂は1701年(元禄14年)に建立され、1988年(昭和63年)に現在の場所に移されました。薬師堂は本尊・薬師如来を安置しています。
多宝塔は1621年(元和7年)に建立されました。多宝塔は本尊・愛染明王を安置しています。
白山明神がこの地に現れて、手本となる法華経経巻と浄水を授け、翌日には五色の雪が降ったと伝えられます。この由緒によってこの地は「白山」と呼ばれ、源算上人は毎年この日に法楽をされたと伝えられています。
アジサイ(紫陽花)はアジサイ科アジサイ属の落葉低木またはユキノシタ科の落葉低木です。アジサイは房総半島・三浦半島・伊豆半島などの海岸に自生するガクアジサイ(額紫陽花)を母種・原種とする園芸品種です。アジサイは樹高が1~2メートルで、葉は先が尖って縁に鋸歯(きょし)がある大きな楕円形また卵形です。花は枝先に青紫色から赤紫色に変わる萼(がく)のある小花が球状に集まって咲きます。ちなみに花は装飾花で、大部分が中性花からなります。アジサイは土壌のペーハーにより、花の色が変わることから七変化(しちへんげ)・八仙花(はっせんか)とも言われています。土壌が酸性の場合に青色、土壌が中性・アルカリ性の場合に赤色になります。またアジサイは開花後の日数などによっても色が変化します。なおアジサイの名称は藍色が集まったものを意味する集真藍(あづさい)が転訛したものとも言われています。
【善峯寺 歴史・簡単概要】
善峯寺(よしみねでら)は寺伝によると平安時代中期の1029年(長元2年)に源算上人(げんさんしょうにん)が自作の千手観音(せんじゅかんのん)を小堂に安置し、阿智坂(あちさか)の法華院(ほっけいん)と号したのが起源と言われています。源算上人は霊地を求めて西の山に入って休憩していると一人の翁神(おきなのかみ)が現れて、「我はこの地の地主にて名を阿智坂という。この霊地に伽藍を草創し給え。この地を与えて永く仏法を守らん。」と告げたとも言われています。1034年(長元7年)に第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)が鎮護国家の勅願所(ちょくがんしょ)に定め、寺号・良峯寺を賜りました。その後1042年(長久3年)に第69代・後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の勅命により、安居院(あぐい)・仁弘法師作の洛東・鷲尾寺(わしのおじ) の千手観音が本尊として移されました。鎌倉時代初期の1192年(建久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))から宸額・善峯寺を賜りました。その後鎌倉時代に青蓮院(しょうれんいん)から西山宮道覚入道親王(どうかくにゅうどうしんのう)が入寺し、西山門跡と言われるようになりました。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で伽藍が焼失したが、江戸時代中期の1692年(元禄5年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の生母・桂昌院(けいしょういん)の寄進によって再建されました。
善峯寺は善峰観音宗の寺院です。
*参考・・・善峯寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ・善峯寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【善峯寺アジサイ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
善峯寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報