俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と祇園祭

俳諧師・松尾芭蕉と祇園祭

松尾芭蕉は1690年(元禄3年)4月6日から7月23日までは近江の弟子で、膳所藩士・菅沼曲翠の勧めにより、滋賀郡国分の幻住庵に滞在して静養しました。ただ静養中も6月上旬頃に京都に行き、「猿蓑」を企画し、6月18日まで京都に滞在しました。

【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)】
俳諧師(はいかいし)・松尾芭蕉は江戸時代(1603年~1868年)中期の1690年(元禄3年)1月に近江(滋賀)の膳所(ぜぜ)から故郷である伊賀上野(三重)に戻って過ごしていたが、3月中旬頃に膳所に行き、4月6日から7月23日までは近江の弟子で、膳所藩士・菅沼曲翠の勧めにより、滋賀郡国分の幻住庵に滞在して静養しました。ただ静養中も持病の痔に悩まされたが、京都にも出掛けました。6月上旬頃に京都に行き、「猿蓑(さるみの)」を企画し、6月18日まで京都に滞在し、6月19日に幻住庵に戻りました。
6月上旬頃から6月18日まで京都に滞在した松尾芭蕉は「川風や 薄柿着たる 夕涼み(かわかぜや うすがききたる ゆうすずみ)」と詠み、祇園祭期間中の6月7日から18日まで行われていた夕涼み(納涼床(のうりょうゆか))を体験していたと言われています。松尾芭蕉は蒸し暑かった昼間が終わり、質素で、風通しがよい薄柿色の着物を着た人が川風に吹かれながら納涼床を楽しんでいた様子を俳句に詠みました。ちなみに松尾芭蕉は夕涼み(納涼床)だけでなく、祇園祭も見物したかもしれません。1690年(元禄3年)6月30日付の「曲水宛書簡」に「去来・加生数々状さし越候故、六月初メ出京、三五日と存候處におもひの外長逗留、十八日迄罷過候」と記され、6月上旬に京都を訪れ、3日から5日京都に滞在するつもりだったが、思いのほか長く、祇園祭の最後の行事である神輿洗式(みこしあらい)が行われる6月18日まで滞在しています。
なお松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出た1689年(元禄2年)・1691年(元禄4年)・亡くなった1694年(元禄7年)にも京都を訪れた記録が残されています。1691年(元禄4年)は4月18日から5月4日まで京都に滞在し、愛宕神社(あたごじんじゃ)・野宮神社(ののみやじんじゃ)の祭礼である嵯峨祭(さがまつり)を見物したり、「嵯峨日記(さがにっき)」を記したりしました。

●鴨川納涼床は例年6月7日から6月18日に行われていた祇園祭の神事が起源とも言われています。祇園祭はかつて旧暦の5月1日に始まり、6月7日に前半のハイライトである前祭の山鉾巡行・神輿渡御、6月14日に後半のハイライトである後祭の山鉾巡行・神輿渡御が行われ、6月18日に最後の行事である神輿洗式が行われていました。鴨川納涼床は1650年(慶安3年)頃に始まり、エリアの拡大・縮小や見世物小屋・露店などの出店・減少、そして床几・低床式・高床式などの変遷により、現在の姿になりました。
●松尾芭蕉は江戸時代前期の1644年(寛永21年)に松尾与左衛門の二男・金作として伊賀国(三重県)で生まれました。1656年(明暦2年)に父・松尾与左衛門が亡くなり、1662年(寛文2年)に伊賀上野の藤堂藩伊賀支城付の侍大将・藤堂新七郎良勝の嗣子・藤堂良忠に料理人として仕え、藤堂良忠とともに俳諧師・北村季吟に俳諧を学びました。1662年(寛文2年)に詠んだ「春や来し 年や行けん 小晦日」が一番古い俳句と言われ、1664年(寛文4年)に「佐夜中山集」に初入集されました。1666年(寛文6年)に藤堂良忠が亡くなると職を辞したと言われています。その後「続山井」・「如意宝珠」・「大和巡礼」・「俳諧藪香物」に入集され、1672年(寛文12年)に処女句集「貝おほひ」を上野天神宮に奉納しました。1674年(延宝2年)に北村季吟から俳諧作法書「俳諧埋木」が伝授されました。1675年(延宝3年)に江戸に上って日本橋に住し、江戸の俳人らと交流し、1678年(延宝6年)頃に俳諧師を生業としました。1680年(延宝8年)に深川に草庵・芭蕉庵を結んだが、1682年(天和2年)に大火で芭蕉庵が焼失しました。1684年(貞享元年)に「野ざらし紀行」の旅に出て、その後も「鹿島詣」・「笈の小文」・「更科紀行」の旅に出ました。歌人・西行法師の500回忌に当たる1689年(元禄2年)に「おくのほそ道」の旅に出ました。俳号には宗房・桃青、別号に坐興庵・栩々斎・花桃夭・華桃園・泊船堂・芭蕉洞・芭蕉庵・風羅坊などがあります。なお松尾芭蕉は1694年(元禄7年)に上方への旅の途中で大阪で亡くなりました。遺骸は去来・其角・正秀ら門人が舟に乗せて淀川を上り、近江国(滋賀県)の義仲寺に運ばれ、遺言に従って木曽義仲の墓の隣に葬られました。

【俳諧師・松尾芭蕉と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る