1678年(延宝6年)の「京雀跡追(きようすずめあとおい)」と祇園祭

1678年(延宝6年)の「京雀跡追」と祇園祭

「京雀跡追」は1678年(延宝6年)に刊行されました。「京雀跡追」は著者が不詳で、当初上下二冊で構成されていたと言われています。「京雀跡追」は1664年(寛文4年)に刊行された「京雀」の記述を取り入れながら増補が加えられました。

【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【1678年(延宝6年)の「京雀跡追(きようすずめあとおい)」】
「京雀跡追」は江戸時代中期(1603年~1868年)の1678年(延宝6年)に刊行されました。「京雀跡追」は著者が不詳で、当初上下二冊で構成されていたと言われています。「京雀跡追」は1664年(寛文4年)に刊行された「京雀」の記述を取り入れながら増補が加えられました。「京雀跡追」には寛文年間(1661年~1673年)以降に発展を遂げた京都の町々の様相が記されました。ちなみに「京雀」は僧侶・浅井了意(あさいりょい)が刊行した仮名草子(かなぞうし)形式の京都の地誌です。「京雀」は1658年(明暦4年)に刊行され、社寺の縁起・来歴などが記されている「京童(きょうわらんべ)」の影響を受け、巻1に京都の歴史や内裏の構造、巻2以後に洛中を縦横に走る通りごとに町名を記し、町内にある寺社・名所・旧跡・名店などが記されています。
「京雀跡追」には「毎年六月七日より十四日まで御こしをとゝめられ(略)是より東は四條河原にて歌舞伎上るりさま しよげい日 やむことをゑすして貴賤らうにやく男女つどひあつまる事おひたゝし印ニ不及是□西へ入町」と記され、旧暦6月7日から14日まで祇園祭の御輿が四条御旅所に泰安され、四条御旅所よりも東側の四条河原で歌舞伎(かぶき)が行われていることが分かります。祇園祭では旧暦6月7日の神幸(しんこう・神輿迎え(みこしむかえ))で3基の神輿(大政所(おおまんどころ)・少将井(しょうしょうい)・八王子(はちおうじ))が八坂神社から四条通に建立された四条御旅所に渡御し、旧暦6月14日の還幸(かんこう・祇園会(ぎおんえ))で四条御旅所から八坂神社に戻り、その間3基の神輿が四条御旅所に泰安され、氏子や見物客などが四条御旅所にお参りしました。八坂神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)・頗梨采女(はりさいにょ)・八王子(はちおうじ))の神霊を遷した3基の神輿が氏子地区に泰安されるのは祇園祭の神輿渡御の際だけです。1603年(慶長8年)に出雲阿国(いずものおくに)が四条河原で歌舞伎踊り(かぶきおどり)の興行を始め、歌舞伎発祥の地とも言われる四条河原では庶民に人気の歌舞伎が行われ、貴賤を問わず男女が大勢集まって楽しみました。ちなみに四条河原には寛文年間(1661年~1673年)に歌舞伎小屋が整理されて6軒あったと言われています。
なお現在、祇園祭の花笠巡行が終了した際、島根・出雲大社(いずもたいしゃ)の巫女(みこ)になり、出雲大社勧進の為に諸国を巡回し、1603年(慶長8年)に歌舞伎踊りを四条河原で始めた故事に因んで、先斗町が歌舞伎踊りを八坂神社で奉納しています。花笠巡行には先斗町・祇園甲部・祇園東・宮川町の4つの花街の内、隔年で2つの花街が参加します。

●四条河原は京都市北区に聳える標高約896メートルの桟敷ヶ岳(さじきがだけ)を源とする鴨川に架けられていた祇園橋(四条大橋)両岸の河原です。四条河原は古くから八坂神社に参詣する人々で賑わい、鎌倉時代(1185年~1333年)頃から猿楽(さるがく)・田楽(でんがく)などの勧進興行が行われ、江戸時代(1603年~1868年)初期に出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎踊り(かぶきおどり)の興行を始めました。なお四条河原には寛文年間(1661年~1673年)に歌舞伎小屋が整理されて6軒あったと言われています。「洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)・寂光院蔵」には四条通・大和大路縄手通に6軒の歌舞伎小屋が描かえ、1676年(延宝4年)に八坂神社に奉納された絵馬によると四条通北側に2軒・四条通南側に3軒・縄手通に1軒あったと言われています。安永年間(1772年~1781年)に四条通北側に2軒・四条通南側に1軒に減少し、元治年間(1864年~1865年)に四条通北側に1軒(北座)・四条通南側に1軒(南座)に減少し、1893年(明治26年)に北座が取り壊され、現在は南座だけが残されています。

【1678年(延宝6年)の「京雀跡追」と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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