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カテゴリー:その他
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嵐山城・香西元長(こうざいもとなが)と嵐山
嵐山は桜名所・紅葉名所だけでなく、山頂に嵐山城が築城されていた場所でもありました。嵐山城は応仁の乱後の1497年(明応6年)に山城国守護代・細川正元の家臣で、山城国半国守護代・香西元長が築城したと言われています。 -
俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と嵐山
嵐山は鎌倉時代中期に後嵯峨上皇が奈良・吉野山から桜を移植すると桜名所になり、江戸時代中期に俳諧師・松尾芭蕉が「花の山 二丁上がれば 大悲閣」と詠みました。松尾芭蕉は生涯で3度嵐山(嵯峨野)を訪れたと言われています。 -
金春禅鳳(こんぱるぜんぽう)作の能「嵐山」と嵐山
嵐山は古くから紅葉が和歌に詠まれ、鎌倉時代中期に後嵯峨上皇が吉野山から桜を移植すると桜も和歌に詠まれました。更に嵐山の桜は室町時代に金春禅鳳作の能「嵐山」に登場します。能「嵐山」はシテ方の五流で演じられています。 -
吉野山・蔵王権現(ざおうごんげん)と嵐山
嵐山には戸難瀬の滝があり、その上流に蔵王権現堂が建立されています。蔵王権現堂は鎌倉時代中期に後嵯峨上皇が離宮・亀山殿を造営した際、奈良・吉野山から桜を嵐山に移植した際、金峯山寺の本尊・蔵王権現を勧請して祀ったと言われています。 -
桜の木の植樹・「ブラタモリ」と嵐山
嵐山はかつて森の多くが天龍寺の寺領だったが、1871年(明治4年)に社寺上知令によって官有地に編入されました。現在、嵐山は国有林になって林野庁が管理し、嵐山保勝会とともに桜などの混ざる森林を目指して植林を行っています。 -
夢窓国師・夢窓疎石(むそうそせき)と嵐山
嵐山は第50代・桓武天皇の行幸の頃から遊興の地になり、平安時代に紅葉名所になりました。鎌倉時代に後嵯峨上皇・亀山上皇が吉野山から桜を移植して桜名所にもなり、夢窓国師・夢窓疎石も吉野山から山桜数千本を嵐山に移植しました。 -
亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))と嵐山
嵐山は古来から山水の美を兼ねた景勝地で、平安時代に紅葉名所として知られました。鎌倉時代後期に亀山上皇が後嵯峨上皇に続いて吉野山から数百株の桜を移植し、亀山上皇は後嵯峨上皇とともに嵐山が京都随一の桜名所の起源になりました。 -
後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))と嵐山
嵐山は古くから紅葉名所とされ、歌枕として多くの和歌に詠まれました。その後1255年(建長7年)に後嵯峨上皇が天龍寺が建立されている場所に離宮・亀山殿を造営した際、吉野山から数百株の桜を移植し、桜名所の起源になりました。 -
一条通(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
一条通の前身である一条大路には一条橋が架けられていたが、918年(延喜18年)に比叡山の呪術憎・浄蔵貴所が父の葬列と出会って、読経すると父が一時的に息を吹き返し、対面できたことから戻橋と言われるようになりました。 -
古門前通・新門前通(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
古門前通・新門前通は祇園の北縁に位置しています。祇園は地名の由来になっている八坂神社の東側を走る東大路通から鴨川以東で、四条通の南北一帯です。祇園には京都五花街に数えられる花街の祇園甲部・祇園東があります。 -
川端通(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
川端通をかつて走っていた京阪本線は大阪の淀屋橋駅から京都の三条駅を結んでいます。京阪本線は1906年(明治39年)に京阪電気鉄道が設立され、1910年(明治43年)に天満橋駅から五条駅までが営業開始しました。 -
大和大路通(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
大和大路通(縄手通)の東側で、東西に走る新橋通と東西に流れる白川の一帯が祇園白川と言われています。祇園白川にはお茶屋などが立ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区・祇園新橋伝統的建造物群保存地区に含まれています。