祇園祭還幸祭2025年7月24日(日程時間・・・)神輿渡御

祇園祭還幸祭(Kanko-sai)

祇園祭還幸祭(神輿渡御)(日程時間・アクセス・概要・・・)

祇園祭還幸祭(日程時間・・・)を紹介しています。祇園祭還幸祭は7月24日に行われています。還幸祭は祇園祭の本来のハイライトです。還幸祭では中御座神輿・東御座神輿・西御座神輿が御旅所から氏子地区・御供社を回り、八坂神社に戻ります。祇園祭の神輿渡御ルートは3基の神輿で異なっています。(詳細下記参照)

★祇園祭最新情報。

【祇園祭還幸祭2025 日程時間(要確認)】

祇園祭還幸祭2025は2025年(令和7年)7月24日(木曜日)17:00から行われます。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭還幸祭・八坂神社御旅所 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市下京区四条通寺町東入南側貞安前之町
最寄り駅・バス停・・・四条河原町(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社御旅所は4系統(A2乗り場)、5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条烏丸からは3系統、203系統、207系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約3分)
八坂神社御供社(アクセス・・・)
八坂神社(アクセス・・・)

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【祇園祭還幸祭(神輿渡御) 簡単概要】

祇園祭還幸祭(かんこうさい・おかえり)はかつて旧暦の6月14日に行われ、明治維新後の新暦移行に伴って、旧暦の6月14日に該当する日に行われていたが、日程が一定ではなかったことから1877年(明治10年)から恒久的に7月24日に行われるようになりました。なお還幸祭は祇園祭の神輿渡御の内、御旅所から八坂神社に戻る後半部分です。
還幸祭では午前中に山鉾巡行(後祭)で通りや町などが祓い清められ、夕方から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)が御旅所(Otabi Kyoto)から氏子地区を回り、京都三条会商店街(堀川三条~千本三条)にある御供社(ごくうしょ・又旅社(またびしゃ))を経由して、八坂神社に戻ります。還幸祭では綾戸国中神社(あやとくなかじんじゃ)の御神体・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を象った駒形を胸に掛けた神の化身である久世駒形稚児(くぜこまがたちご)が中御座神輿を先導します。神輿渡御ルートは3基の神輿で異なっており、八坂神社に到着する時間も異なっています。ちなみに御供社(又旅社)では奉饌祭などの神事も行われます。八坂神社到着後には神輿にのせた神霊を本殿に戻す御神霊遷し(みたまうつし)が行われます。
●中御座神輿は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊の神霊をのせます。中御座神輿は六角形の屋根の上に鳳凰が飾られ、男神を表す紫色の袈裟懸け(けさがけ)が掛けられます。中御座神輿は重さ約2トンと言われています。中御座神輿は三若神輿会が奉仕し、三若神輿とも言われています。
●東御座神輿は素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命の神霊をのせます。東御座神輿は四角形の屋根の上に擬宝珠が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けらます。東御座神輿は重さ約2トンと言われています。東御座神輿は四若神輿会が奉仕し、四若神輿とも言われています。
●西御座神輿は素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神の神霊をのせます。西御座神輿は八角形の屋根に鳳凰が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けらます。西御座神輿は重さ約3.2トンです。西御座神輿は錦神輿会が奉仕し、錦神輿とも言われています。

八坂神社御旅所は1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉が大政所御旅所と少将井御旅所を統合し、現在の場所に移したのが起源です。大政所御旅所は大政所神輿・八王子神輿、少将井御旅所は少将井神輿を奉安する場所でした。
八坂神社御供社(又旅所)は869年(貞観11年)に祇園祭の起源で、疫病を鎮める祇園御霊会が行われた神泉苑の南端に祀られました。御供社では祇園御霊会の際に斎場が設けられ、八坂神社の神輿を安置し、神祇に飲食物などの神饌を供え、名称の由来になっています。その後1906年(明治39年)に八坂神社の境外末社になりました。
八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した調進副使・伊利之使主が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(牛頭天王)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都の僧・円如が堂を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡したのが起源とも言われています。
祇園祭神輿渡御

【祇園祭還幸祭(神輿渡御) 基礎知識】

神輿渡御では「ホイット、ホイット(ホイットー、ホイットー)」の掛け声とともに神輿の担ぎ手である輿丁(よちょう・舁手(かきて))が神輿を担ぎ(舁き)、カカトをお尻に付けるようなステップを踏んで轅(ながえ・舁き棒)の両端に取り付けられている鳴閂(なりかん)を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らさせます。掛け声は全国的に「ワッショイ、ワッショイ」が多いそうだが、京都市内(洛中)では「ホイット、ホイット」が多く、「祝人(ほいと)、祝人(ほいと)」に由来するとも言われています。(諸説あり)ちなみに神輿渡御では「ヨオサー、ヨオサー」などの掛け声もあります。神輿渡御では「差し上げ」・「差し回し」も行われます。「差し上げ」では「差せ、差せ」の掛け声とともに輿丁が手を垂直に伸ばして神輿を高く掲げ、鳴閂を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らさせます。また「差し回し」では輿丁が手を垂直に伸ばして神輿を高く掲げ、「回せ、回せ」の掛け声とともに神輿を時計回りに回転させます。神輿渡御では神社を出発したり、神社に到着したりした際、鳴閂を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らしながら拝殿などの周囲を3周する「拝殿廻り」を行うこともあります。ちなみに神輿渡御では神輿を台車の上に載せて移動させることもあります。なお神輿渡御前には輿丁が鳴閂(なりかん)を頭上に掲げながら神社に向かう姿も見られます。

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王・素戔嗚尊の祟りであるとし、卜部日良麿が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭還幸祭(神輿渡御) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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