泉橋寺地蔵祭り・数珠くり2024年(日程時間・・・)

泉橋寺地蔵祭り・数珠くり

泉橋寺地蔵祭り・数珠くり(日程・時間・・・)を紹介しています。地蔵祭りは例年7月23日、数珠くりは8月24日に行われます。地蔵祭りでは像高約4.58メートルの石造地蔵菩薩坐像が飾られ、献灯された提灯が灯されます。数珠くりでは石造地蔵菩薩坐像の周りを地域の子供達がグルッと囲み、住職が読経される中、数珠くりが行われます。(詳細下記参照)

【泉橋寺地蔵祭り・数珠くり2024 日程時間(要確認)】
泉橋寺地蔵祭り・数珠くり2024は2024年(令和6年)7月23日(火曜日)に地蔵祭り、8月23日(金曜日)に数珠くりが行われます。(現在確認中・要注意)

【泉橋寺地蔵祭り・数珠くり アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市山城町上狛西下55
最寄り駅・バス停・・・JR上狛駅(徒歩約17分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線

*コミュニティーバス・山城線(木津駅行き)の場合、泉大橋(徒歩約3分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【泉橋寺地蔵祭り・数珠くり 歴史・簡単概要】
泉橋寺地蔵祭り・数珠くり(じぞうまつり・じゅずくり))は地蔵祭りが例年7月23日、数珠くりが8月24日に行われています。地蔵祭りでは子供の健やかな成長を祈願します。
地蔵祭りでは鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1308年(徳治3年)に造仏され、日本一の石地蔵とも言われる像高約4.58メートルの石造地蔵菩薩坐像が飾られ、献灯された提灯が灯されます。なお地蔵祭りでは露店屋台が出店する場合があります。(要確認)
数珠くりでは石造地蔵菩薩坐像の周りを地域の子供達がグルッと囲み、住職が読経される中、数珠くりが行われます。一般的に数珠くりでは人間の煩悩の数と同じ108回数珠を回すそうです。
地蔵菩薩は仏教の開祖・お釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世で六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に苦しむ衆生を教化救済するとされています。また地蔵菩薩は日本で「子供の守り神」とされ、小児の成長を守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。地蔵菩薩は「地蔵菩薩本願経」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。地蔵菩薩は頭を丸め、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。
数珠は法具のひとつで、仏に念ずる時に用いる珠という意味から念珠とも言われます。数珠は起源が明確ではないが、インドのバラモン教で使われ、仏教の開祖・お釈迦様が用い、その後中国から飛鳥時代(592年~710年)に日本に仏教とともに伝わったと言われています。数珠の珠の数は煩悩の数と同じ108を基本とし、手に掛けて諸仏に礼拝したり、真言・念仏の回数を爪繰で数えたりする時などに使われます。なお数珠は菩提樹の種子・水晶などで作られています。

【泉橋寺 歴史・簡単概要】
泉橋寺は奈良時代前期の740年(天平12年)に僧・行基菩薩が創建した泉橋院(発菩薩院・隆福尼院)が起源とも言われています。泉橋寺は一級河川・木津川近くに建立されて別名、橋寺とも言われ、行基菩薩が五畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に創建した四十九院の一院と言われています。行基菩薩は民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を創建するだけでなく、困窮者の為に布施屋の設立などの社会事業も行いました。鎌倉時代後期の1308年(徳治3年)に石造地蔵菩薩坐像が造仏されました。室町時代の1471年(文明3年)に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火により、石造地蔵菩薩が地蔵堂とともに焼失し、その後200年以上露仏だったと言われています。江戸時代中期の元禄年間(1688年~1703年)に石造地蔵菩薩が復元されたと伝えられています。
*参考・・・泉橋寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【泉橋寺地蔵祭り・数珠くり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
泉橋寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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