鈴鹿山(ちまき販売日程・ご利益・・・)祇園祭後祭山鉾
鈴鹿山
鈴鹿山(ちまき販売日程・ご利益・マップ)を紹介しています。鈴鹿山は重さが1トン未満の小型の山鉾で、鈴鹿山は伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫命)の伝説に由来しています。御神体の鈴鹿権現は女人姿で、左手に大長刀を持っています。
★ちまき販売(後祭)は例年宵山の7月21日~23日で、一部の山鉾で7月20日から始まります。ネット販売を行う山鉾もあります。
祇園祭ちまき販売(後祭)
★祇園祭最新情報。
【鈴鹿山の場所位置 マップ・アクセス】
場所・・・京都府京都市中京区烏丸通三条上る場之町
位置・・・烏丸通(南北)・姉小路通(東西)交差点の南約20メートルの烏丸通
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
●祇園祭山鉾マップ(後祭)by グーグルマップ
【ちまき(粽)などの授与品】
ちまき(粽)・手拭・盗難除け・あぶらとり紙・Tシャツなど
【搭乗(要確認)】
–
【ご利益】
雷除け・安産・盗難除け
【鈴鹿山 歴史・簡単概要】
鈴鹿山(読み方:すずかやま)は起源が明確ではありません。鈴鹿山は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)に記されている「すすか山(三条烏丸と姉小路間)」とも言われ、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。
鈴鹿山は平安時代前期の延喜年間(901年~922年)に伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(すずかごんげん)・瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)の伝説に由来しています。瀬織津姫命(瀬織津比咩・瀬織津比売・瀬織津媛)は大祓詞(おおはらえのことば)に登場し、祓戸四神の一神とされる災厄抜除の女神です。また瀬織津姫の名前は川の早瀬の穢れ(けがれ)を清めることに由来し、川の神・滝の神ともされ、川や滝の近くにある神社で祀られているそうです。更に瀬織津姫は天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)とされることもあるそうです。なお大祓詞は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門(すざくもん)で奏上していたそうです。
*参考・・・鈴鹿山
【特徴・懸装品(変更の場合あり)】
●鈴鹿山は総重量約0.70トンです。(2008年測定)
●御神体の鈴鹿権現(瀬織津姫命)は女人姿で、金の烏帽子(えぼし)を被って能面(のうめん)を付け、腰に錺太刀(かざりたち)を差して、左手に大長刀(おおなぎなた)・右手に扇の一種である中啓(ちゅうけい)を持っています。なお後の山には退治した悪鬼の首を表している赤熊(しゃぐま)が置かれています。
●真松(松の木)には鳥居・松・木立と宝珠(ほうじゅ)が描かれた絵馬(盗難除けの護符)を付けています。なお絵馬には盗難除けのご利益があると言われています。
●前懸は1989年(平成元年)に新調した駱駝(らくだ)の図の綴錦(つづれにしき)、見送は1982年(昭和57年)に新調した皆川月華(みながわげっか)作のハワイの蘭花図(らんかずみ)の綴織です。胴懸は今井俊満(いまいとしみつ)の原画による桜図の綴織を1999年(平成11年)、今井俊満の原画による紅葉図の綴織を2001年(平成13年)にそれぞれ新調しました。
●欄縁(らんぶち)の金具は山鹿清華(やまがせいか)下絵による四季花鳥文様です。
【行事・イベント(要確認)】
●7月21日~7月23日の宵山では夕方から駒形提灯を灯し、祇園囃子を奏でます。
祇園祭宵山(後祭)
●7月24日の山鉾巡行では烏丸御池から御池通・河原町通・四条通の順に巡行します。
祇園祭山鉾巡行(後祭)
★祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【鈴鹿山 備考(要確認)】
●ちまき販売などの日程時間は必ず確認して下さい。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)