長建寺弁天祭2025年7月27日(日程時間・・・)

長建寺弁天祭(日程時間・アクセス・概要・・・)

長建寺弁天祭(日程・時間・・・)を紹介しています。弁天祭は例年7月の第4日曜日に行われています。弁天祭は江戸時代中期に始まり、かつて洛南三奇祭に数えられたとも言われています。弁天祭では開運厄除を祈願する柴燈大護摩供が行われ、山伏(修験者)が信者などの願いが込められた護摩木(火焚串)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。(詳細下記参照)

【長建寺弁天祭2025 日程時間(要確認)】
長建寺弁天祭2025は2025年(令和7年)7月27日(日曜日)19:00~21:00に行われます。(現在確認中・要注意)

【長建寺弁天祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区東柳町511
最寄り駅・バス停・・・中書島(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは19系統(C2乗り場)、81系統(C4乗り場)
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は中書島駅(徒歩約3分)

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【長建寺弁天祭 歴史・簡単概要】
長建寺弁天祭(べんてんまつり)・辨天祭は江戸時代中期に始まり、かつて洛南三奇祭に数えられたとも言われています。弁天祭ではかつて神輿を乗せた神輿船や弁天囃子を奏でる囃子船などで船渡御が盛大に行われていたが、1951年(昭和26年)以降は途絶え、川岸での篝火(かがりび)が行われていたが、篝火もまた2003年(平成15年)以降は途絶えたそうです。なお弁天祭は2014年から再び行われるようになり、開運厄除を祈願する柴燈大護摩供(さいとうごまく)が行われています。
弁天祭では先ず山伏が長建寺周辺を練り歩きます。次に長建寺に戻ると邪気を祓う法弓の儀(ほうきゅうのぎ)や祈願文の奏上などが行われ、護摩壇が点火されます。護摩壇では山伏(修験者)が信者などの願いが込められた護摩木(火焚串)焚き上げ、祈願成就を願います。
長建寺は本尊・八臂弁財天(はぴべんざいてん)と脇仏・裸形弁財天を安置しています。八臂弁財天は鎌倉時代後期に造仏され、毎年元旦から15日間しかご開帳されない秘仏とされています。八臂弁財天は8本の腕ち、音楽・財富・智恵・延命を司ると言われているそうです。なお長建寺は弁財天に因んで、島の弁天さんとも言われています。
洛南三大奇祭は長建寺の船渡御・藤森神社の駈馬神事・県神社(あがたじんじゃ)の梵天渡御です。

【長建寺 歴史・簡単概要】
長建寺(ちょうけんじ)は安土桃山時代に賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)に数えられた脇坂安冶(わきざかやすはる)の下屋敷があった場所とも言われています。江戸時代中期の1699年(元禄12年)に播磨国林田藩第3代藩主で、13代目伏見奉行・建部政宇(たけべまさのき)が壕川(ほりかわ)を開拓する際、深草大亀谷の即成就院(そくじやうじゆいん)の塔頭・多門院を分離したのが起源と言われています。即成就院は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が築城した伏見城が廃城となると荒廃したと言われています。長建寺の寺号は建部姓の「建」一字と長寿の願いの「長」が由来になっています。長建寺はかつて中書島遊郭の一角にありました。長建寺は鎌倉時代後期作の本尊(秘仏)・八臂弁財天(はぴべんざいてん)を安置しています。なお即成就院(即成院)は平安時代中期の992年(正暦3年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)が伏見に建立した光明院が起源とも、平安時代後期の寛治年間(1087年~1094年)に太政大臣・藤原頼通(ふじわらのよりみち)の子・橘俊綱(たちばなのとしつな)が伏見山の山荘に阿弥陀如来・二十五菩薩像を安置したのが起源とも言われています。
長建寺は真言宗醍醐派の寺院です。
*参考・・・長建寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【長建寺弁天祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
長建寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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