出雲大神宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

出雲大神宮の歴史を時代別年表にまとめ
出雲大神宮の歴史を簡単にまとめています。出雲大神宮は起源が明確ではなく、社伝によると島根・出雲大社が出雲大神宮からの分霊によって創建されたとされ、古くから祀られていたとも言われています。「丹波国風土記」逸文に由緒が記されています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【御蔭山】
●御蔭山(みかげやま)は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」によると天地開闢(てんちかいびゃく)の際に出現した最初の神とされる国常立尊(くにのとこたちのみこと)が鎮座した聖地と伝えられています。御陰山は古来から禁足地になっています。
【出雲大神宮の起源・始まり】
●出雲大神宮は起源が明確ではなく、社伝によると島根・出雲大社(いずもたいしゃ)が出雲大神宮からの分霊によって創建されたとされ、古くから祀られていたとも言われています。社伝では「丹波国風土記(たんばこくふうどき)」逸文(いつぶん)に「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」と記されています。出雲大神宮は古来、御蔭山を神体山として祀られていました。なお出雲大社は明治時代まで杵築大社(きずきたいしゃ)と称していた為、江戸時代まで出雲の神と言うと出雲大神宮を指していたと言われています。出雲大社は「元出雲」とも言われています。
出雲大社は大国主神(大国主命)の国譲りを喜んだ天照大神(あまてらすおおみかみ)が大国主神の望みをいれて、宇迦山の麓に壮大な社殿を建て、天照大神の次男・天穂日命(あめのほひのみこと)を仕えさせたの起源と言われています。天穂日命の子孫は代々、出雲国造(くにのみやつこ)が奉仕しました。
【弥生時代(前10世紀頃~後3世紀中頃)の歴史・出来事】
●第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代(紀元前97年~紀元前30年)に再興されたと言われています。
【古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の歴史・出来事】
●5世紀~6世紀前に横穴式石室を持つ後期古墳が造られました。
【飛鳥時代(592年~710年)の歴史・出来事】
●709年(和銅2年)10月21日に初めて社殿が建立されたと言われています。
●和銅年間(708年~715年)に雨乞いが行われ、鎮花祭(ちんかさい)の起源になったとも言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●818年(弘仁8年)に「日本紀略(にほんきりゃく)」弘仁8年(818年)12月16日条に「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」と記され、名神に預かりました。
●845年(承和12年)に「続日本後紀(しょくにほんこうき)」によると無位から神階・従五位下に叙されました。
●872年(貞観14年)に「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)」によると従四位下から従四位上に昇叙しました。
●880年(元慶4年)に「日本三代実録」によると従四位上から正四位下に昇叙しました。
●910年(延喜10年)に「日本紀略」によると正四位下から正四位上に昇叙しました。
●927年(延長5年)成立の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「丹波国桑田郡 出雲神社」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。
●平安時代までに神宮寺が建立されたと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●1292年(正応5年)に雨乞いの功により、神階が最高位の正一位に昇叙しました。1025年(万寿2年)に日照りが続いて農作物に影響がでた為、出雲大神宮の領家・西園寺家が留守所に雨乞いを祈祷させたところ忽ち雨が降ったことから正一位に昇叙したと言われています。
●鎌倉時代に吉田兼好(よしだけんこ)が記した「徒然草(つれづれぐさ)」第236段に「丹波に出雲と云ふ所あり」と記されていると言われています。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
●1345年(興国6年・貞和元年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が現在の本殿(重要文化財)を建立したと言われています。また足利尊氏は社領を安堵したと言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1813年(文化10年)に黒太夫社・上ノ社の社殿が建立されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治維新後に神宮寺が現在の極楽寺に借地移転しました。
●1871年(明治4年)に近代社格制度で国幣中社に列しました。
●1878年(明治11年)に拝殿が建立されました。
●1965年(昭和40年)に社殿が修復されたと言われています。
●2009年(平成21年)の社殿創建1,300年に伴って、出雲大社との交流が盛んになりました。社名標「国幣中社 出雲神社」は出雲大社の宮司だった千家尊福の筆によるものです。石碑「丹波國一之宮 出雲大神宮」は出雲大社の宮司・千家尊祐の筆によるものです。
【出雲大神宮の祭神である大国主命】
大国主命は日本最古の歴史書「古事記」・日本最古の正史「日本書紀」によると皇祖神とされる天照大神の弟・須佐之男命の六世の孫で、日本国を創った神とされています。大国主命は父・天之冬衣神、母・刺国若比売とされ、国津神の主宰神とされています。大国主命は伊邪那岐命と伊邪那美命による国産み・神産みが伊邪那美命の死によって未完のまま放置された為、高天原の神である天津神の命により、国土を少彦名命とともに完成させ、天照大神の使者が来ると国土を献上したとされています。また大国主命は出雲国造の祖神、出雲大社・大神神社などの祭神ともされています。大国主命は因幡の白兎でもよく知られています。大国主命は兄たちとともに因幡国八上郡の女神・八上比売に求婚する為に因幡を訪れ、皮を剥がされた兎に出会います。兄たちは海水を浴びて風に当たるようにと告げたことから兎の傷は悪化したました。大国主命は兎の傷を治したことから兎は八上比売が大国主命を選ぶであろうと予言し、二人は結ばれました。なお大国主命は大己貴神・八千矛神・葦原色許男命・顕国魂命・大物主命・志固男命などの別名を持っています。
【出雲大神宮の歴史 備考】
*参考・・・出雲大神宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ














