第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)と桜のお花見
第52代・嵯峨天皇と桜のお花見
日本では平安時代以降に桜のお花見を楽しんだ記録が残されています。「日本後紀」には812年(弘仁3年)に第52代・嵯峨天皇が花宴の節を神泉苑で行ったのが日本初の公式記録と言われています。桜のお花見は貴族の間で急速に広まり、831年(天長8年)から桜のお花見が天皇主催の定例行事とされ、日本人の桜好きの原点になったと言われています。
【桜 基礎知識】
桜はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹の総称です。桜は北半球の温帯・暖帯に分布し、特に東アジアに多く分布しています。桜は世界に100種の野生種があると言われ、日本国内に自生するサクラ属の基本野生種には山桜(ヤマザクラ)・江戸彼岸(エドヒガン)・霞桜(カスミザクラ)・大山桜(オオヤマザクラ)・大島桜(オオシマザクラ)・豆桜(マメザクラ)・丁子桜(チョウジザクラ)・高嶺桜(タカネザクラ)・深山桜(ミヤマザクラ)・寒緋桜(カンヒザクラ)・熊野桜(クマノザクラ)の11種があります。なお染井吉野は江戸時代(1603年~1868年)末期に江戸・染井村(豊島区巣鴨付近)の植木職人が江戸彼岸と大島桜を交配させて生み出し、古くから桜の名所である奈良・吉野山に因んで、吉野・吉野桜と言われていたが、その後染井村から染井吉野と名付けられ、明治時代(1868年~1912年)初期から日本各地に広まりました。染井吉野は全て遺伝的に同一の起源を持つクローンです。
【第52代・嵯峨天皇と桜のお花見】
お花見は古くから行われ、奈良時代(710年~794年)は遣唐使が中国から伝えた梅のお花見を貴族らが楽しみ、平安時代(794年~1185年)以降は桜のお花見を貴族らが楽しみました。平安時代初期に編纂された勅撰史書「日本後紀(にほんこうき)」によると平安時代初期の812年(弘仁3年)3月28日(旧暦2月12日)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が神泉苑(しんせんえん)で花宴の節(かえんのせち)を催したのが日本初の公式記録としてお花見と言われています。ちなみに第52代・嵯峨天皇は花宴の節を催した前年の811年(弘仁2年)に清水寺の鎮守社・地主神社(じしゅじんじゃ)を訪れた際、地主桜(じしゅざくら)の美しさに三度車を返され、御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)の伝承が残され、その後毎年桜を地主神社から献上させたと言われています。
●第52代・嵯峨天皇は786年(延暦5年)10月3日に第50代・桓武天皇と皇后・藤原乙牟漏の第2皇子として生まれました。799年(延暦18年)2月に元服し、君主の器量を持っていたことなどから父・桓武天皇に愛されたと言われています。803年(延暦22年)に三品中務卿に叙され、806年(延暦25年)に弾正尹になり、806年(延暦25年)に同母兄・安殿親王が第51代・平城天皇に即位すると皇太弟になりました。809年(大同4年)に兄・平城天皇から譲位されて第52代・嵯峨天皇に即位し、甥で、平城天皇の第3皇子・高岳親王を皇太子としました。しかし平城上皇と皇位や奈良・平城京再遷都などを巡って対立し、810年(弘仁元年)に平城上皇が復位を試みた薬子の変が起こると坂上田村麻呂に命じて反乱を鎮圧し、皇太子・高岳親王を廃し、異母弟・大伴親王を皇太弟としました。823年(弘仁14年)に大伴親王に譲位して第53代・淳和天皇が即位し、833年(天長10年)に大覚寺の前身である離宮・嵯峨院に御所を新造し、大沢池を造りました。嵯峨天皇は蔵人所・検非違使などを設けて律令制の補強し、「弘仁格式」・「内裏式」・「新撰姓氏録」などを編纂させ、葵祭に奉仕する賀茂斎院を設置し、初代斎王には嵯峨天皇の第8皇女・有智子内親王がなりました。嵯峨天皇は漢詩文を好み、漢詩集「文華秀麗集」の勅撰事業を行い、勅撰漢詩集「凌雲集」などに詩を残しました。嵯峨天皇は能筆でも知られ、真言宗の宗祖である弘法大師・空海と橘逸勢とともに三筆に数えられました。なお第52代・嵯峨天皇は842年(承和9年)8月24日に崩御しました。自らの陵墓は草木が生えるままにと遺し、遺骸は人知れない山中に葬られ、嵯峨天皇山上陵が大覚寺北西の朝原山山頂に造営されました。
●神泉苑は794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇が平安京遷都を行った際に天皇が占有する禁苑として造営されました。平安京を設計した巨勢金岡が作庭したとも言われています。神泉苑は平安宮の南東に位置し、北側を二条大路、南側を三条大路、東側を東大宮大路、西側を壬生大路東に囲まれ、規模が南北4町(南北約500メートル)・東西2町(東西約240メートル)もありました。神泉苑には大池を中心に大池・泉・小川・小山・森林などがあり、北部に中国風の乾臨閣を主殿とし、二階建ての右閣・左閣や西釣台・東釣台・滝殿・後殿などの宮殿が建てられました。
●地主神社は社伝によると神代の昔、つまり日本の建国前から祀られていたとも言われています。アメリカの原子物理学者・ボースト博士は「恋占いの石」が縄文時代(前14,000年頃~前10世紀頃)の遺物であることを確認しました。また地主神社は778年(宝亀9年)の清水寺創建前から土地神が祀られていたとも言われています。
【第52代・嵯峨天皇と桜のお花見】
*京都の桜名所・見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2027













