玉田神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

玉田神社
玉田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。玉田神社は桓武天皇が長岡京・平安京に遷都する際、祭神に鬼門除けの伺いを立てたことから方除けの神とされました。また玉田の森の御牧から宮中に献上された馬が宮中の火災を知らせて鎮めたことから火難除けの神ともされました。
【玉田神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府久世郡久御山町森宮東1番地
最寄り駅・バス停・・・まちの駅イオン久御山店前(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪中書島駅・近鉄京都線大久保駅から京阪京都バス・25系統
路線・時刻表・運賃チェック
【玉田神社 拝観時間・時間(要確認)】
境内自由
【玉田神社 拝観料金・料金(要確認)】
境内自由
【玉田神社 歴史・簡単概要】
玉田神社(たまだじんじゃ)は社伝「日本最初方除八社大明神略記」によると第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の時代(707年~715年)、710年(和銅3年)に創建されたと言われています。玉田神社は往古に美豆野神社または丹波津宮と称されていました。創建時の祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのおおみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)の四神だったが、710年(和銅3年)の平城京遷都の際に鬼門除けの勅願により、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿祢命(たけしうちのすくねのみこと)の四神を勧請して八神になったと言われています。「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に記されていません。安土桃山時代(1573年~1603年)の1586年(天正14年)5月に御牧城主・御牧勘兵衛尉尚秀が願主になって社殿が再建されました。江戸時代(1603年~1868年)前期の1624年(寛永元年)に淀城主・板倉伊賀守高勝と御牧八郷氏子惣中によって社殿が建立されたと言われています。なお玉田神社は本殿に武甕槌命・天児屋根命・誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)・武内宿祢命を祭神として祀っています。また姫大神社に天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)、稲荷神社に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、市杵神社に市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、金比羅神社に大物主命(おおものぬしのみこと)、大己貴神社に大己貴命(おおなむちのみこと)も祀っています。
*参考・・・玉田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【玉田神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
玉田神社の見どころは1624年(寛永元年)に再建され、国の登録有形文化財になっている本殿です。本殿は八間社を四間社に縮小した四間社流造(ながれづくり)で、向拝(こうはい)一間の銅板葺(どうばんぶき)です。また「玉田大明神火難除 御霊験名馬火鎮由来」の碑も見どころです。碑には左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)が天皇直轄の牧場だった御牧(みまき)から一頭の馬を宮中に献上し、ある時に馬がいななき続けると3日後に宮中で火災が起こったが、発見が早く大事にはなりませんでした。数日後から再び馬がいななき続けると3日後に内裏が大火災に見舞われたが、馬がくつわを抜いて厩舎を飛び出して炎の中に飛び込むと大火災を鎮まり、馬は厩舎に帰りました。聖武天皇は詔勅により、馬を希代の名馬として「火鎮(ひしずめ)」と名付け、玉田大明神の化身の神馬として御牧に返しました。
【玉田神社 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-631-2183
【玉田神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【玉田神社 おすすめ散策ルート】
玉田神社からのおすすめ散策ルートは北西に位置する華台寺に向かうルートです。10分ほど散策すると華台寺に行くことができます。玉田神社周辺にはあまり観光スポットがない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。















