金戒光明寺浄焚式(日程・時間・・・)

浄焚式

金戒光明寺浄焚式

金戒光明寺浄焚式(日程・時間・・・)を紹介しています。浄焚式は例年2月に行われています。浄焚式はお釈迦様の遺徳追慕と報恩の為に行われる涅槃会(ねはんえ)に合わせて行われます。浄焚式では古くなった塔婆・御札・仏壇・仏具・遺影・位牌などが焚き上げ、極楽浄土に送ります。(詳細下記参照)

【金戒光明寺浄焚式2016 日程時間(要確認)】
金戒光明寺浄焚式2016は2016年2月25日(木曜日)11:00から行われます。

【金戒光明寺浄焚式 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区黒谷町121
最寄り駅・バス停・・・岡崎道(徒歩約10分)、東天王町(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から金戒光明寺は100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは32系統、203系統
*四条烏丸からは32系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック

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【金戒光明寺浄焚式 歴史・簡単概要】
金戒光明寺浄焚式(じょうぼんしき)は約2,500年前に80歳で入滅(にゅうめつ)したお釈迦様の遺徳追慕と報恩の為に行われる涅槃会(ねはんえ)に合わせて行われます。2016年は浄土宗の開祖・法然上人の月命日に当たる2月25日に行われます。浄焚式では僧侶が読経する中、古くなった塔婆・御札・仏壇・仏具・遺影・位牌などが焚き上げ、極楽浄土に送ります。なお浄焚式で残った灰は土に還されるそうです。
涅槃会はお釈迦様が入滅した日が陰暦の2月15日ということから新暦の2月15日や3月15日を中心に行われています。涅槃会ではお釈迦様が娑羅双樹の下で、頭を北にして西を向き、右脇を下にした姿で横たわり、十大弟子から獣畜・虫類までが嘆き悲しむ様子を描いた涅槃図が掲げられます。またお釈迦様が最後に説いたと言われている仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)が読経されることもあります。
●金戒光明寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
金戒光明寺歴史(法然上人・・・)
●金戒光明寺の見どころ(文殊塔・御影堂など)を紹介しています。
金戒光明寺見どころ(文殊塔・御影堂など)

【金戒光明寺 歴史・簡単概要】
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は平安時代後期の1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が比叡山黒谷(ひえいざんくろたに)を下り、草庵を最初に結んだのが起源と言われています。金戒光明寺は浄土宗最初の寺院で、当初白河の禅房とも言われていたそうです。法然上人は15歳で比叡山に上り、43歳の時に浄土宗を広める為に比叡山黒谷を下り、山頂の石の上で念仏を唱えた時に紫雲が全山にみなぎり、光明が辺りを照らしたことから草庵を結んだと言われ、紫雲山(しうんざん)光明寺の名称(山号・寺号)の由来になりました。その後法然上人が弟子で、白川門徒の祖・法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)に白河の禅房(本房)を黒谷の本房とともに与えたと言われています。鎌倉時代に金戒光明寺5世・素月房恵顗(えぎ)が伽藍を整え、紫雲山光明寺と号し、南北朝時代に金戒光明寺8世・我観房運空(うんくう)が北朝第4代・後光厳天皇に戒を授けたことから金戒の二字を賜り、金戒光明寺と言うようになりました。その後室町時代の1428年(正長元年)に第100代・後小松天皇から勅願「浄土真宗最初門」を賜りました。江戸時代初期に城郭構造に改修され、幕末(江戸時代後期)に京都守護職の本陣になりました。
金戒光明寺は浄土宗の寺院です。
*参考・・・京都・金戒光明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【金戒光明寺浄焚式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金戒光明寺浄焚式2016では手紙・人形なども焚き上げられるそうです。
金戒光明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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