北野天満宮梅花祭2025年2月25日(野点大茶湯)
北野天満宮梅花祭
北野天満宮梅花祭(日程・時間・・・)を紹介しています。梅花祭は例年2月25日に行われています。梅花祭ではお米を蒸し、大小2つの台に盛った大飯・小飯や白梅・紅梅の小枝を挿した紙立(こうだて)という特別な神饌が神前に供えられ、祭神・菅原道真の遺徳を偲びます。なお上七軒の舞妓などの奉仕による梅花祭野点大茶湯も行われます。(詳細下記参照)
【北野天満宮梅花祭2025 日程時間(要確認)】
北野天満宮梅花祭2025は2025年(令和7年)2月25日(火曜日)10:00から行われます。なお梅花祭野点大茶湯は10:00~15:00に行われます。(現在確認中・要注意)
北野天満宮梅花祭野点大茶湯
*参考・・・北野天満宮ホームページ
●京都には多くの梅名所があり、その梅見ごろを下記リンクから確認できます。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)
【北野天満宮梅花祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮梅花祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮梅花祭(ばいかさい)は祭神・菅原道真が亡くなった903年(延喜3年)2月25日(新暦の3月25日)の祥月命日に行われます。梅花祭は約900年の歴史があります。
梅花祭ではお米を蒸し、大小2つの台に盛った大飯・小飯や白梅・紅梅の小枝を挿した紙立(こうだて)という特別な神饌が神前に供えられ、祭神・菅原道真の遺徳を偲びます。菅原道真は梅をこよなく愛し、大宰府に左遷される際、紅梅殿で「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」と詠みました。その後梅が菅原道真を慕って一晩の内に大宰府に飛来したという飛梅伝説も生まれました。ちなみに梅花祭では紙立に用いた玄米を厄除玄米として授与されます。梅花祭では上七軒の舞妓などの奉仕による梅花祭野点大茶湯も行われます。(要確認)なお北野天満宮では例年2月中旬頃~3月中旬頃に梅が見ごろを迎えます。
北野天満宮梅見ごろ
菅原道真は845年(承和12年)6月25日(旧暦の8月1日)に平安時代前期の公家・菅原是善(すがわらのこれよし)と母・伴真成の娘の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)には文章博士・式部少輔になりました。政治家としても手腕を発揮し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)3月25日(旧暦の2月25日)に亡くなりました。道真の死後、都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。993年(正暦4年)には正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。
梅はバラ科サクラ属の落葉高木です。梅には500種以上の品種があり、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。梅は中国原産で、中国から日本に伝わり、奈良時代に花見と言えば梅だったそうです。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・北野天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮梅花祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
梅花祭では天神市も行われます。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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