祇園祭神幸祭2025年7月17日(日程時間・・・)神輿渡御
祇園祭神幸祭(神輿渡御)(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭神幸祭(日程時間・・・)を紹介しています。祇園祭神幸祭は7月17日に行われます。神幸祭は祇園祭の本来のハイライトです。神幸祭では中御座神輿・東御座神輿・西御座神輿が八坂神社から氏子地区を回り、御旅所に向かいます。祇園祭の神輿渡御ルートは3基の神輿で異なっています。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭神幸祭2025 日程時間(要確認)】
祇園祭神幸祭2025は2025年(令和7年)7月17日(木曜日)16:00から行われます。なお18:00頃から神輿渡御出発式が石段下で行われ、18:30頃に神輿が石段下で差し上げが行われ、その後氏子地区を回り、21:00頃~22:00頃に御旅所に順次到着します。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭神幸祭・八坂神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町北側625番地
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約8分)
八坂神社御旅所(アクセス・・・)
【祇園祭神幸祭(神輿渡御) 簡単概要】
祇園祭神幸祭(しんこうさい・おいで)は祇園祭の本来のハイライトです。神幸祭はかつて旧暦の6月7日に行われ、明治維新後の新暦移行に伴って、旧暦の6月7日に該当する日に行われていたが、日程が一定ではなかったことから1877年(明治10年)から恒久的に7月17日に行われるようになりました。なお神幸祭は祇園祭の神輿渡御の内、八坂神社から御旅所に向かう前半部分です。
神幸祭では午前中に山鉾巡行(前祭)で通りや町などが祓い清められ、夕方から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)が八坂神社から氏子地区を回り、四条河原町近くにある御旅所(Otabi Kyoto)に向かいます。ちなみに出発前には八坂神社石段下で神輿渡御出発式が行われ、3基の神輿が差し上げられます。神幸祭では綾戸国中神社(あやとくなかじんじゃ)の御神体・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を象った駒形を胸に掛けた神の化身である久世駒形稚児(くぜこまがたちご)が中御座神輿を先導します。神輿渡御ルートは3基の神輿で異なっており、御旅所に到着する時間も異なっています。神幸祭では宮本組神宝奉持列・豊園泉正寺榊行列もそれぞれのルートを巡行します。なお神幸祭から7月24日の還幸祭までは3基の神輿が御旅所に泰安され、無言詣を行うことができます。四条大橋から社御旅所まで毎晩誰とも一切話さずに無言でお参りすると願いが叶うとも言われています。
●中御座神輿は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせます。中御座神輿は六角形の屋根の上に鳳凰(ほうおう)が飾られ、男神を表す紫色の袈裟懸け(けさがけ)が掛けられます。中御座神輿は重さ約2トンと言われています。
●東御座神輿は素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の神霊をのせます。東御座神輿は四角形の屋根の上に擬宝珠(ぎぼし)が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けらます。東御座神輿は重さ約2トンと言われています。
●西御座神輿は素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ)の神霊をのせます。西御座神輿は八角形の屋根に鳳凰が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けらます。西御座神輿は重さ約3.2トンです。
八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した調進副使・伊利之使主が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(牛頭天王)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都の僧・円如が堂を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡したのが起源とも言われています。
八坂神社御旅所は1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉が大政所御旅所と少将井御旅所を統合し、現在の場所に移したのが起源です。大政所御旅所は大政所神輿・八王子神輿、少将井御旅所は少将井神輿を奉安する場所でした。
祇園祭神輿渡御
【祇園祭神幸祭(神輿渡御) 基礎知識】
神輿渡御では「ホイット、ホイット(ホイットー、ホイットー)」の掛け声とともに神輿の担ぎ手である輿丁(よちょう・舁手(かきて))が神輿を担ぎ(舁き)、カカトをお尻に付けるようなステップを踏んで轅(ながえ・舁き棒)の両端に取り付けられている鳴閂(なりかん)を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らさせます。掛け声は全国的に「ワッショイ、ワッショイ」が多いそうだが、京都市内(洛中)では「ホイット、ホイット」が多く、「祝人(ほいと)、祝人(ほいと)」に由来するとも言われています。(諸説あり)ちなみに神輿渡御では「ヨオサー、ヨオサー」・「ヨイヤーサッサ」・「ヨーイトセーノ」などの掛け声もあります。神輿渡御では「差し上げ」・「差し回し」も行われます。「差し上げ」では「差せ、差せ」の掛け声とともに輿丁が手を垂直に伸ばして神輿を高く掲げ、鳴閂を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らさせます。また「差し回し」では輿丁が手を垂直に伸ばして神輿を高く掲げ、「回せ、回せ」の掛け声とともに神輿を時計回りに回転させます。神輿渡御では神社を出発したり、神社に到着したりした際、鳴閂を激しく揺らして「シャンシャン」と鳴らしながら拝殿などの周囲を3周する「拝殿廻り」を行うこともあります。ちなみに神輿渡御では神輿を台車の上に載せて移動させることもあります。なお神輿渡御前には輿丁が鳴閂(なりかん)を頭上に掲げながら神社に向かう姿も見られます。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王・素戔嗚尊の祟りであるとし、卜部日良麿が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園祭神幸祭(神輿渡御) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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