祇園祭と舞妓「勝山(髪型)」

祇園祭と舞妓

祇園祭の期間中に山鉾曳き初めや宵山などで舞妓さんを見掛けることがあります。舞妓さんは最初に「割れしのぶ」、2~3年後に「おふく」になり、芸妓への襟替え直前に「先笄」という髪型になります。「おふく」を結っている舞妓さんは祇園祭の期間中に「勝山」という特別な髪型になります。「勝山」は7月10日頃から7月24日頃まで結われます。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭と舞妓 マップ・地図】

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【祇園祭と舞妓 簡単概要】
祇園祭の期間中に山鉾曳き初めや宵山などで舞妓さんを見掛けることがあります。舞妓(まいこ)さんは最初に「割れしのぶ(小さい舞妓さん(年少の舞妓))」、2~3年後に「おふく(大きい舞妓さん(年長の舞妓))」になり、芸妓(げいこ)への襟替え(えりかえ)直前に「先笄(さっこう)」という髪型になります。「おふく」を結っている舞妓さんは祇園祭(7月1日~31日)の期間中に「勝山(かつやま)」という特別な髪型になります。「勝山」は髷(まげ)の部分を輪にして左右から梵天(ぼんてん)という飾りを挿します。「勝山」は山鉾建て(前祭)が行われる7月10日頃から山鉾巡行(後祭)・花傘巡行・還幸祭(かんこうさい・おかえり)が行われる7月24日頃まで結われます。ちなみに「勝山」は元々「勝山」という名の遊女が好んで武家風に結った髷から発展したものとも言われているそうです。また「おふく」を結っている舞妓さんは1月の始業式・8月の八朔(はっさく)の際に黒紋付き(正装)に「奴島田(やっこしまだ)」という特別な髪型になります。なお芸妓さんはカツラを使用していることから一般の見物客と見分けがつかないこともあります。
祇園祭では7月24日の花傘巡行の際、五花街(先斗町(ぽんとちょう)・祇園甲部(ぎおんこうぶ)・祇園東(ぎおんひがし)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみひちけん))の内の四花街(先斗町・祇園甲部・祇園東・宮川町)が隔年で二花街ずつ参加し、歌舞伎踊り(先斗町)・小町踊り(祇園東)・雀踊り(祇園甲部)・コンチキ音頭(宮川町)を奉納します。また祇園甲部では7月15日の宵宮神賑奉納行事前夜祭の際にビアカウンターで接待したり、7月16日の宵宮神賑奉納行事の際に舞を奉納したりします。
祇園祭花傘巡行祇園祭宵宮神賑奉納行事・前夜祭祇園祭宵宮神賑奉納行事

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園甲部 歴史・簡単概要】
祇園甲部(ぎおんこうぶ)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。なお祇園甲部の舞踊は京舞井上流、春には都をどり、秋には温習会を開催しています。
祇園甲部(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【先斗町 歴史・簡単概要】
先斗町(ぽんとちょう)は江戸時代初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれたのが始まりと言われています。先斗町の先斗という地名はポルトガル語のponto(先)が語源とも、先斗町が鴨川と高瀬川に挟まれ、2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けたとも言われています。なお先斗町の舞踊は尾上流、春に鴨川をどり、秋に水明会を開催しています。
先斗町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【宮川町 歴史・簡単概要】
宮川町(みやがわちょう)は江戸時代に人気になった出雲・阿国(おくに)の歌舞伎踊りの頃から始まりました。当初は遊女などが接待していたが、江戸時代の三大改革によって打撃を受けました。なお宮川町の舞踊は尾上流、春に京おどり、秋にみずゑ会を開催しています。
宮川町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【祇園東 歴史・簡単概要】
祇園東(ぎおんひがし)は江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社(祇園社)門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。その後明治時代に祇園甲部から分離独立し、祇園乙部と言われていたが、戦後に祇園東新地、そして祇園東に名称を変更しました。なお祇園東の舞踊は藤間流、秋には祇園をどりを開催しています。かつては温習会も開催していたが、現在はなくなりました。
祇園東(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【上七軒 歴史・簡単概要】
上七軒(かみしちけん)は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って7軒の茶店が建てられたのが起源とされ、「上七軒」と言われるようになりました。桃山時代に関白・豊臣秀吉が北野大茶湯を開いた際、茶店が団子を献上しました。その後江戸時代に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展しました。なお上七軒の舞踊は花柳流、春に北野をどり、秋に寿会を開催しています。
上七軒(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【祇園祭と舞妓 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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