祇園祭船鉾神面改め2025年7月3日(日程時間・・・)
祇園祭船鉾神面改め(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭船鉾神面改め(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭船鉾神面改めは例年7月3日に行われています。(通常非公開)神面改めでは御神体・神功皇后像に取り付ける新旧の面(本面・写し面)の無事を確かめます。なお祇園祭山鉾巡行(前祭)では江戸時代に作られた写し面(新面)が御神体・神功皇后像に付けられます。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭船鉾神面改め2025 日程時間(要確認)】
祇園祭船鉾神面改め2025は2025年(令和7年)7月3日(木曜日)10:00から行われます。(通常非公開)船鉾の吉符(きっぷ)入りは7月3日になります。
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭船鉾神面改め アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区新町通綾小路下る船鉾町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約6分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾マップ(前祭)by グーグルマップ
【祇園祭船鉾神面改め 簡単概要】
祇園祭船鉾神面改め(ふねほこしんめんあらため)・神面改めの儀(しんめんあらためのぎ)では御神体(ごしんたい)・神功皇后(じんぐうこうごう)像に取り付ける新旧の面(本面・写し面)の無事を確かめます。船鉾の役員は新旧の面に息が掛からないように口に懐紙(かいし)を咥え、木箱から新旧の面を取り出し、無言のまま掲げて状態を確かめ、周囲に新旧の面を披露します。確認が終了すると新旧の面は元の木箱に戻されます。ちなみに新旧の面の内、古い面・本面は室町時代中期の文安年間(1444年~1448年)に作られ、新しい面・写し面は江戸時代に作られました。なお祇園祭山鉾巡行(前祭)の際には御神体・神功皇后像には写し面が付けられ、本面は木箱に入れられたまま人形殿(にんぎょうでん)とも言われている役員が首に掛けて船鉾に搭乗するそうです。
御神体・神功皇后像に付けられる神面は古来から安産にご利益があると言われ、明治天皇の誕生の際には宮中に参内したとも言われています。なお神功皇后像は祇園祭山鉾巡行(前祭)の際、腹帯・岩田帯(いわたおび)をたくさん巻いて巡行し、岩田帯は巡行後に安産のお守りとして、祈願者に授与されます。
神功皇后は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后です。ちなみに神功皇后は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とされ、父は第9代・開化天皇(かいかてんのう)の玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)・母は新羅(しらぎ)から但馬に来住した天日矛(あめのひぼこ)の玄孫・葛城高媛(かずらきのたかぬかひめ)とされています。神功皇后は第14代・仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政として、三韓征伐(さんかんせいばつ)などの政事を行い、100歳で亡くなったとも言われています。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に京都で疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)=素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、そのご機嫌をとる為に牛頭天王を奉る八坂神社(祇園社)を信仰し、病魔退散を祈願した「祇園御霊会(御霊会・ごりょうえ)」が起源です。御霊会では日本全国の国の数に準じ、66本の鉾を作り、神泉苑(京都市中京区御池通大宮)に送り、悪疫を封じ込めました。その後970年(天禄元年)からは例年6月14日に行われるようになったが、応仁の乱(1467年~1477年)で祭りは途絶えました。しかし1500年(明応9年)に町衆の手で再興されました。なお祇園祭の山鉾行事は2009年(平成21年)ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【船鉾 歴史・簡単概要】
船鉾は起源が明確ではありません。船鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記」第15(八坂神社記録)には「しんくくわうくうの舟(四条と綾小路間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。船鉾の古い面・本面は室町時代中期の文安年間(1444年~1448年)に作られ、新しい面・写し面は江戸時代に作られました。船鉾は懐妊中の神功皇后による三韓征伐の説話(日本最古の歴史書「古事記」・日本最古の正史「日本書紀」)に由来しています。船鉾は新羅遠征の出船が由来の為、大船鉾が「凱旋の船鉾」と言われるのに対し、「出陣の船鉾」と言われています。神功皇后は第14代・仲哀天皇の后とされています。第14代・仲哀天皇が熊襲を討つ為に九州に赴いて筑紫・香椎宮で急死すると同行していた皇后は妊娠中にも関わらずに新羅に遠征し、新羅を戦わずして降服され、筑紫に帰って第15代・応神天皇を無事に産んだと言われています。三韓征伐では新羅以外の百済・高句麗も新羅同様に日本に朝貢を約したと言われています。現在の船鉾は江戸時代後期の天保年間(1830年~1843年)に造られました。
*参考・・・船鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ
【祇園祭船鉾神面改め 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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