慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)と廬山寺節分会

慈恵大師・良源と廬山寺節分会

慈恵大師・良源は天慶年間に廬山寺を船岡山の南側に創建したと言われています。慈恵大師・良源が護摩の力により、悪鬼を退散させたという故事に因んで、節分会で鬼法楽が行われています。慈恵大師・良源が鬼を退治したと言われる独鈷・三鈷も特別開帳されます。(要確認)

【廬山寺節分会 日程時間(要確認)】
壬生寺節分会は例年節分(立春の前日)に行われています。なお節分の日程は2月3日になることが多いが、変動する場合があります。(節分は毎年同じ日ではありません。)
廬山寺節分会

【廬山寺節分会 歴史・簡単概要】
廬山寺節分会・鬼法楽は天慶年間(938年~947年)に廬山寺を開山し、魔滅大師・豆大師、そして元三大師(がんざんだいし)と言われた慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)が護摩の力により、悪鬼を退散させた故事に因んで行われます。節分会・追儺式鬼法楽は1,000年以上の歴史があるとも言われています。

【慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)】
慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)は天慶年間(938年~947年)に廬山寺を船岡山の南側に創建したと言われています。慈恵大師・良源が護摩(ごま)の力により、悪鬼を退散させたという故事に因んで、節分会(せつぶんえ)で鬼法楽(おにほうらく・鬼踊り(おにおどり))が行われています。鬼法楽では人間の善根を毒する三毒(貪欲(どんよく)・怒り(いかり)・愚痴(ぐち))の化身で、松明(たいまつ)と宝剣(ほうけん)を持った赤鬼、大斧(おおおの)を持った青鬼、大槌(おおづち)を持った黒鬼が足拍子(あしびょうし)をとりながら慈恵大師・良源を本尊とする元三大師堂内に入るが、厄除け開運・福寿増長のご利益があると言われている護摩供(ごまく)の秘法や追儺師(ついなし)の邪気払いの法弓(ほうきゅう)、そして蓬莱師(ほうらいし)・福娘・年男・寺侍(じざむらい)などによる蓬莱豆(ほうらいまめ)・福餅撒きにより、鬼は追い払われて逃げ去ります。ちなみに節分会では慈恵大師・良源が鬼を退治したと言われる独鈷(どっこ)・三鈷(さんこ)と宮中で使用したと言われる降魔面(ごうまめん)が特別開帳されます。(要確認)
慈恵大師・良源は角大師とも言われ、角大師の護符は家の中に貼ると疫病神からの災厄から逃れられるとして、厄除けに信仰されました。角大師の護符は慈恵大師・良源を疫病神が襲おうとした際、小指の先に疫病神を宿すと激痛が全身を走り、高熱を発しました。慈恵大師・良源は疫病神除去の為に自ら降魔の姿を示現し、護符に写させたものです。角大師の護符には2本の角があり、骨と皮に痩せた夜叉の姿をしたも、眉毛が角のように伸びたものなどがあります。
元三大師堂は本尊である元三大師とも言われる慈恵大師・良源を祀り、如意輪観音像・毘沙門天像・薬師如来像・不動明王像などを安置し、如意輪観音像は洛陽三十三所観音霊場の第32番札所、毘沙門天像は京都七福神になっています。

●慈恵大師・良源(元三大師)は平安時代(794年~1185年)中期の912年(延喜12年)に近江国浅井郡虎姫(滋賀県長浜市)の豪族・木津(こづ)氏の子・観音丸として生まれたと言われています。「饗場家文書」によると父・饗場重頼と母・物部憲興の娘の間に次男・日吉丸として生まれたと言われています。幼時から霊童とされ、923年(延長元年)に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)西塔の理仙(りせん)の弟子になり、928年(延長6年)に第13代天台座主(てんだいざす)・尊意(そんい)から受戒しました。937年(承平7年)の維摩会(ゆいまえ)で法相宗(ほっそうしゅう)の大本山・興福寺(こうふくじ)の義昭(ぎしょう)を論破し、太政大臣・藤原忠平(ふじわらのただひら)に認められました。949年(天暦3年)に藤原忠平が亡くなると横川で藤原忠平を弔いました。荒廃していた横川に自らの住房・定心房(じょうしんぼう・首楞厳院(しゆりようごんいん))を設けて拠点にしました。藤原忠平没後にその子で、第62代・村上天皇の外戚である右大臣・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の後援を受け、935年(承平5年)の火災・966年(康保3年)の火災で焼失した東塔の堂塔を再建しました。また藤原氏などから荘園を寄進され、経済的基盤の確立にも努めました。藤原師輔の娘で、村上天皇の中宮・安子の安産祈願を行い、950年(天暦4年)に第63代・冷泉天皇となる憲平親王の東宮護持僧に任命され、翌951年(天暦5年)に師・覚恵から阿闍梨(あじゃり)を譲られました。958年(天徳2年)に藤原師輔の10男・尋禅を後継者として弟子にしました。963年(応和3年)に御所・清涼殿(せいりょうでん)で行われた宗論で興福寺の法蔵(ほうぞう)を屈服させて名声を上げ、964年(康保元年)に内供奉十禅師になり、965年(康保2年)に権律師になり、966年(康保3年)に天台宗最高位の第18代天台座主になり、律師(りっし)に昇進しました。966年(康保3年)に根本中堂を除く、東塔の堂塔が焼失したが、その後藤原氏の支援で堂塔を再建しました。968年(安和元年)に権少僧都(ごんのしょうそうず)になりました。970年(天禄元年)に延暦寺内の規律を定めた「二十六ヶ条起請」を公布し、972年(天禄3年)に拠点とした横川が独立し、延暦寺は東塔・西塔・横川の三地区体制になりました。980年(天元3年)に宗祖である伝教大師・最澄創建時に小規模だった根本中堂を壮大な堂に整備しました。981年(天元4年)に僧綱の最上位である大僧正(そうじょう)になりました。慈恵大師・良源は比叡山延暦寺の伽藍の復興・天台教学の興隆・山内の規律の維持などに尽力したことから延暦寺中興の祖とも言われています。また母親への孝行も有名で、出家後に比叡山に登れない母親の為に苗鹿(大津市)に山荘を造って尽くしました。更に「九品往生義(くほんおうじょうぎ)」・「百五十尊口訳」・「二十六条式」・「胎金念誦行記」なども記しました。ちなみに慈恵大師・良源を象った護符(角大師・豆大師など)があり、厄除け大師としても信仰されています。なお慈恵大師・良源は985年(永観3年)1月26日に亡くなりました。987年(寛和3年)に第66代・一条天皇から諡号・慈恵が贈られました。

【慈恵大師・良源と廬山寺節分会 備考】
京都節分・豆まき2026

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