廬山寺節分会-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)
廬山寺節分会
廬山寺節分会(日程・時間・・・)を紹介しています。節分会は例年節分(立春の前日)に行われています。節分会では鬼法楽・豆撒き・鬼のお加持・古札焼き式などが行われます。鬼法楽では赤鬼・青鬼・黒鬼が護摩供の秘法や追儺師の邪気払いの法弓、そして蓬莱師・福娘・年男・寺侍などによる蓬莱豆・福餅撒きによって追い払われます。(詳細下記参照)
【廬山寺節分会2024 日程時間(要確認)】
廬山寺節分会2024は2024年(令和6年)2月3日(土曜日)に行われます。15:00から鬼法楽(鬼踊り)、16:00頃から豆撒き、17:00頃から古札焼き式が行われます。なお14:15~14:45と鬼法楽(鬼踊り)終了後の16:00過ぎから鬼のお加持が行われます。
●マスクの着用が依頼され、入場制限や変更・中止の可能性があります。蓬莱豆・特別朱印等は1月20日(土)から販売を開始し、2月3日以降も販売を予定です。(数量限定)
*参考・・・廬山寺ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【廬山寺節分会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
最寄り駅・バス停・・・府立医大病院前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から廬山寺は4系統(A2乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条河原町からは3系統、37系統、205系統
*四条烏丸からは3系統
*河原町丸太町からは3系統、37系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は丸太町駅(徒歩約10分)
【廬山寺節分会 歴史・簡単概要】
廬山寺節分会(せつぶんえ)・追儺式鬼法楽(ついなしきおにほうらく)は廬山寺を開山し、魔滅大師・豆大師とも言われている元三大師(がんざんだいし)・良源(りょうげん)が護摩の力により、悪鬼を退散させた故事に因んで行われます。節分会は千年以上の歴史があるとも言われています。節分会は例年節分(立春の前日)に行われています。(節分は毎年2月3日ではなく、変動する場合があります。)
節分会では鬼法楽(おにほうらく(鬼おどり・鬼踊り))・豆撒き・鬼のお加持・古札焼き式などが行われます。節分会では元三大師・良源が鬼を退治したと言われる独鈷(どっこ)・三鈷(さんこ)と宮中で使用したと言われる降魔面(ごうまめん)も特別開帳されます。(要確認)
鬼法楽では人間の善根を毒する三毒(貪欲(どんよく)・怒り・愚痴(ぐち))の化身で、松明(たいまつ)と宝剣(ほうけん)を持った赤鬼・大斧(おおおの)を持った青鬼・大槌(おおづち)を持った黒鬼が足拍子をとりながら大師堂内に入るが、厄除け開運・福寿増長のご利益があると言われている護摩供(ごまく)の秘法や追儺師(ついなし)の邪気払いの法弓(ほうきゅう)、そして蓬莱師・福娘・年男・寺侍などによる蓬莱豆(ほうらいまめ)・福餅撒きにより、鬼は追い払われて逃げ去ります。ちなみに蓬莱豆を紅白一粒ずつ食べると寿命が延び、福餅を食べると開運出世するご利益があるとも言われています。なお節分会では「福」と書かれた福餅を取ると魔除けの破魔矢(はまや)などと交換できるそうです。(要確認)
鬼のお加持では邪気払われた鬼により、体の悪い部分を撫でてもらうと病気平癒・身体健全のご利益があるとも言われています。
●節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
●追儺は平安時代初期から大晦日に宮中で行われている鬼払いの儀式です。追儺は鬼やらい・鬼遣らい・儺(な)やらい・鬼儺・大儺(たいだ)・駆儺(くだ)などとも言われています。追儺では黄金四つ目の面を付け、右手に矛、左手に楯を持った方相氏(ほうそうし)などが大内裏の中を「鬼やらう」と大声を掛けながら鬼を追い払って回りました。ただその後方相氏は追い払う側から追い払われる側に変わったそうです。なお追儺は文武天皇(697年~707年) の時代に中国から伝わったとも言われています。
●鬼は目に見えない邪気を表す陰(おん)に由来するとも、姿が見えずに怖いものを表す隠(おぬ)に由来するとも言われています。その為人智を超え、人に危害を与える災害・疾病・飢饉などは鬼の仕業と考えられました。
【廬山寺 歴史・簡単概要】
廬山寺は平安時代中期の天慶年間(938年~947年)に比叡山延暦寺の中興の祖で、厄除け大師とも言われる比叡山天台18世座主である元三大師・良源が標高約111.7メートルの船岡山の南に創建したのが起源と言われています。鎌倉時代の1245年(寛元3年)に浄土宗の開祖・法然上人の弟子・覚瑜が船岡山の南麓に再興し、中国の廬山に因んで寺号を廬山天台講寺に改めました。応仁の乱の兵火によって焼失しました。1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際には第106代・正親町天皇の女房奉書によって免れましたが、天正年間(1573年~1593年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移されました。その後度々焼失し、江戸時代後期の1794年(寛政6年)に第119代・光格天皇が仙洞御所の女院・閑院宮を移して仏殿(本堂)・尊牌殿(御黒戸)を再建しました。なお廬山寺は明治維新まで御黒戸四箇院と言われる宮中の仏事を司る四ケ寺に数えられていました。
*参考・・・廬山寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【廬山寺節分会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
廬山寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報