妙覚寺石庭拝観2020/2/29~3/14(日程時間・・・)

妙覚寺石庭拝観

妙覚寺石庭拝観(日程・時間・・・)を紹介しています。石庭拝観では本堂(京都府指定有形文化財)内に作庭された十界曼荼羅(じっかいまんだら)をテーマにした石庭が公開されます。石庭は仏像がたたずむ御宝前を背景に室内庭園として作庭されています。ちなみに石庭は京の庭大工・植司(うえじ)の皆川拓哉が作庭しました。(詳細下記参照)

【妙覚寺石庭拝観2020 日程時間(要確認)】
妙覚寺石庭拝観2020(●コロナによる実施の有無・変更要確認)は2020年(令和2年)2月29日(土曜日)~3月14日(土曜日)10:00~15:00まで行われます。

【妙覚寺石庭拝観 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
最寄り駅・バス停・・・鞍馬口駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

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【妙覚寺石庭拝観 歴史・簡単概要】
妙覚寺石庭拝観(せきていはいかん)では本堂(京都府指定有形文化財)内に作庭された十界曼荼羅(じっかいまんだら)をテーマにした石庭が公開されます。石庭は仏像がたたずむ御宝前を背景に室内庭園として作庭されています。ちなみに石庭は京の庭大工・植司(うえじ)の皆川拓哉が作庭しました。なお本堂前には庭園・法姿園(ほうしえん)が作庭されています。
十界曼荼羅は日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮が創始した曼荼羅図で、日蓮宗の本尊です。十界曼荼羅は中央に「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目を大書し、その周囲に諸尊や十界の名称を書いたものです。
本堂は江戸時代中期の1788年(天明8年)の天明の大火で焼失し、その後再建されました。本堂は本尊・十界曼荼羅(じっかいまんだら・法華曼荼羅)を祀っています。なお本堂は本堂・祖師堂・華芳塔堂・華芳宝塔・大門・木造日蓮坐像とともに京都府指定有形文化財に指定されています。
法姿園は苔地にカエデなどが植えられただけの為、自然庭園とも言われているそうです。法姿園の名称は日蓮宗(にちれんしゅう)がお釈迦さまの説かれた最高の教えとする法華経(ほけきょう・妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう))の中の「諸法実相(しょほうじっそう・実相)」に由来し、「世の中のすべてがあるがままで美しい」ということを表していると言われています。また「おもしろや 散るもみぢ葉も 咲く花も おのずからなる 法のみ姿」という古歌に由来するとも言われています。

【妙覚寺 歴史・簡単概要】
妙覚寺(みょうかくじ)は南北朝時代の1378年(永和4年)に日像上人(にちぞうしょうにん)の法孫・日実(にちじつ)が信徒であった豪商・小野妙覚(おのみょうかく)の外護により、四条大宮の小野妙覚邸内に創建しました。ただ妙覚寺では日像上人を開山、日実を妙覚寺4世としているそうです。その後室町時代中期の1466年(寛正7年)に本覚寺と合寺し、1483年(文明15年)に室町幕府9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)の命によって二条衣棚(ころものたな)に移りました。しかし1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんぶんほっけのらん・天文法難(てんぶんほうなん))で焼失して堺に避難し、1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇が法華宗帰洛の綸旨を下し、1548年(天文17年)に二条衣棚に再建されました。安土桃山時代に本能寺(ほんのうじ)とともに織田信長(おだのぶなが)の宿舎になり、20数回の上洛の内、18回も妙覚寺を宿所したとも言われています。1582年(天正10年)の本能寺の変の際、織田信長の嫡男・織田信忠(おだのぶただ)の宿舎になっていました。織田信忠は儲君(皇太子)・誠仁親王(さねひとしんのう)の居宅・二条新御所に移って自刃しました。その後1583年(天正11年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって現在の場所に移りました。なお1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、その後再建されました。
妙覚寺は日蓮宗の本山です。
*参考・・・妙覚寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【妙覚寺石庭拝観 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
妙覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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