石峰寺(アクセス・見どころ・・・)伊藤若冲
石峰寺
石峰寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。石峰寺には1800年(寛政12年)石峰寺門前の自宅で亡くなった絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の墓があり、例年9月10日に若冲忌が行われています。なお伊藤若冲が下絵を描き、石峰寺の住職が協力した五百羅漢も残っています。
【石峰寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府伏見区深草石峰寺山町26
【石峰寺 アクセス(電車)】
最寄り駅・バス停・・・稲荷駅(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から石峰寺はJR奈良線
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は龍谷大前深草駅(徒歩約5分)
【石峰寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00(3/1~9/30)
9:00~16:00(10/1~2/末日)
【石峰寺 拝観料金・料金(要確認)】
個人
大人・大学生・高校生300円、中学生・小人200円
団体(30人以上)
大人・大学生・高校生250円、中学生・小人150円
【石峰寺 歴史・簡単概要】
石峰寺(せきほうじ)は平安時代(794年~1185年)中期に摂津国多田郷に創建された沙羅連山石峰寺が起源と言われています。その後兵火で焼失したが、1596年(慶長元年)に土の中から薬師如来(やくしにょらい)が発見され、京都・五条橋東近くの祠(ほこら)に祀られたと言われています。江戸時代(1603年~1868年)中期の宝永年間(1704年~1711年)または1713年(正徳3年)に黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山である萬福寺(まんぷくじ)6世・千呆性侒(せんがいしょうあん)が薬師如来を深草に移し、禅道場として再興しました。寛政年間(1789年~1801年)に絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が門前に草庵・斗米庵(とべいあん)を結びました。伊藤若冲は石峰寺7代・密山(みつざん)和尚の協賛を得て、五百羅漢(ごひゃくらかん)を造立しました。当初、1,000体以上あったが、現在は500体弱が残されています。また伊藤若冲は観音堂の格天井(ごうてんじょう)に天井画も描いたが、観音堂が破却されて天井画が流出し、左京区の信行寺(しんぎょうじ)・滋賀大津市の義仲寺(よしなかでら)が所蔵しています。1800年(寛政12年)に伊藤若冲が亡くなり、石峰寺に土葬され、遺髪が菩提寺(ぼだいじ)の宝蔵寺(ほうぞうじ)と相国寺(しょうこくじ)に埋納されました。本堂南側に伊藤若冲の墓と書家・貫名海屋(ぬきなかいおく)の撰文の筆塚が建立されています。1915年(大正4年)に本堂が焼失したが、その後再建されました。1979年(昭和54年)に放火によって本堂と本尊・薬師如来が焼失しました。1985年(昭和60年)11月に現在の本堂が再建され、本尊が釈迦如来(しゃかにょらい)に変わりました。
石峰寺は黄檗宗の寺院です。
*参考・・・石峰寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【石峰寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
石峰寺の見どころは伊藤若冲が下絵を描いた五百羅漢です。五百羅漢は長年の風雨により、丸くなり、苔が生えています。なお例年9月10日に行われている若冲忌もみどころです。
【石峰寺 行事・イベント(要確認)】
●若冲忌は例年9月10に行われています。石峰寺の裏山にある石仏・五百羅漢像の下絵を描いた画家・伊藤若沖の命日に若沖を偲ぶ法要です。墓前回向では墓前に絵のモチーフになった野菜が供えられます。
石峰寺若冲忌
【石峰寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-861-1770
【石峰寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
伊藤若冲ゆかりの寺院(信行寺・宝蔵寺・石峰寺)
【石峰寺 おすすめ散策ルート】
石峰寺からのおすすめ散策ルートは伏見稲荷大社を経由し、京都・東福寺に向かうルートです。東福寺周辺には泉涌寺などもあり、京都観光・旅行を楽しむことができます。なおJR奈良線を使い宇治にあり、いずれも世界遺産である平等院や宇治上神社まで行く場合、平等院から宇治上神社、あるいは逆に宇治上神社から平等院まで散策した方がよいかもしれません。













