伊藤若冲ゆかりの寺院|信行寺・宝蔵寺・石峰寺・相国寺など

伊藤若冲ゆかりの寺院
伊藤若冲ゆかりの寺院には信行寺・宝蔵寺・石峰寺・海宝寺・相国寺などがあります。宝蔵寺では例年2月に寺宝展・若冲生誕会、石峰寺では例年9月10に若冲忌が行われています。なお伊藤若冲は青物問屋・桝源の4代目当主になって町年寄として活躍し、錦市場の西側入り口近くに生家跡を示すモニュメントがあります。
【伊藤若冲ゆかりの寺院 マップ・寺院】
【伊藤若冲(いとうじゃくちゅう) 概要】
絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は長沢芦雪(ながさわろせつ)とともに「奇想派」・「奇想の絵師」と言われました。伊藤若冲は1716年(享保元年)に京都・錦小路の青物問屋・桝源(ますげん)の長男に生まれ、1738年(元文3年)の父親没後に4代目当主になったが、1755年(宝暦5年)に家督を弟に譲り、40歳から絵師としての活動を本格的に始めます。1758年(宝暦8年)頃から動植綵絵を描き始め、翌1759年(宝暦9年)に金閣寺大書院の障壁画を制作しました。1791年(寛政3年)頃から石峰寺の門前に草庵・斗米庵(とべいあん)を結んで義妹(末弟・宗寂の妻)・心寂(真寂尼)と住み、1800年(寛政12年)に亡くなりました。なお若冲の号は禅の師である相国寺(しょうこくじ)の禅僧・大典顕常(だいてん けんじょう)から与えられたとも言われています。
【信行寺(しんぎょうじ) 左京区北門前町472】
信行寺には伊藤若冲が最晩年に描いた天井画「花卉図(かきず)」があります。天井画「花卉図」は牡丹・菊・梅・紫陽花・菖蒲・朝顔など167図です。(伊藤若冲の落款と印を含めると168図です。)天井画「花卉図」はかつて石峰寺の観音堂にあったが、明治維新後の廃仏毀釈で破却されたそうです。その後明治時代中期頃(19世紀後半)に檀家総代・井上氏が散逸したものを購入し、寄進したと言われています。
●信行寺はかつて兵庫県西宮市に創建されたが、三条東洞院に移り、その後も度々移ったと言われています。1589年(天正17年)に関白・豊臣秀吉の命によって寺町丸太町に移されたが、1708年(宝永5年)の宝永の大火後に現在の場所に移されました。1716年(享保元年)に現在の本堂が建立されました。
信行寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【宝蔵寺(ほうぞうじ) 中京区裏寺町587】
宝蔵寺には伊藤若冲が1751年(宝暦元年)に建立した両親の墓があります。また2013年(平成25年)に伊藤若冲が描いたことが確認された水墨画「竹に雄鶏図」や「髑髏図」もあります。
宝蔵寺では例年2月に寺宝展・若冲生誕会が行われ、「竹に雄鶏図」・「髑髏図」などが展示され、伊藤若冲生誕会が行われます。
宝蔵寺寺宝展・若冲生誕会
●宝蔵寺は平安時代前期に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が創建したと言われています。その後衰退したと言われ、1269年(文永6年)に浄土宗九品寺の流祖・長西の弟子で、大報恩寺(千本釈迦堂)2世・如輪上人が元西壬生郷に移して再興し、浄土宗に改めたと言われています。1581年(天正9年)に玉阿律師が再興しました。1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移されました。
宝蔵寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【石峰寺(せきほうじ) 伏見区深草石峰寺山町26】
石峰寺には1800年(寛政12年)に石峰寺門前の自宅で亡くなった伊藤若冲の墓があります。石峰寺に土葬され、遺髪が宝蔵寺と相国寺に埋納されました。また伊藤若冲が下絵を描き、石峰寺の住職が協力した五百羅漢もあります。
石峰寺では例年9月10に若冲忌が行われ、伊藤若冲を偲び、伊藤若冲の掛軸が一般公開されます。
石峰寺若冲忌
●石峰寺は平安時代中期に摂津国多田郷に創建された沙羅連山石峰寺が起源と言われています。その後兵火で焼失し、1596年(慶長元年)に土の中から薬師如来が発見され、五条橋東近くの祠に祀られたと言われています。宝永年間または1713年(正徳3年)に萬福寺6世・千呆性侒が薬師如来を深草に移し、禅道場として再興しました。寛政年間に伊藤若冲が門前に草庵・斗米庵を結びました。伊藤若冲は石峰寺7代・密山和尚の協賛を得て、五百羅漢を造立しました。当初、1,000体以上あったが、現在は500体弱が残されています。
石峰寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【海宝寺(かいほうじ) 伏見区桃山町正宗20】
海宝寺にはかつて方丈に伊藤若冲晩年作と言われた襖絵「群鶏図(現在京都博物館所蔵)」があり、伊藤若冲はその後筆を執らなかったことから襖絵があった部屋は伊藤若冲筆投げの間(通常非公開)と言われているそうです。
●海宝寺は桃山時代に仙台藩藩祖・伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所です。境内に伊達政宗お手植と言われている樹齢約400年の木斛の木や関白・豊臣秀吉遺愛の手水鉢があります。海宝寺は享保年間に萬福寺12世・杲堂元昶が創建したとも言われています。また海宝寺は萬福寺13世・竺庵浄印が開法寺を改めたのが起源とも言われています。伏見の呉服商・大文字屋(大丸松坂屋百貨店)の創業者・下村彦右衛門正啓が帰依し、浄財を寄進して伽藍を建立しました。
海宝寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【相国寺(しょうこくじ) 上京区相国寺門前町701】
相国寺には伊藤若冲の生前墓(寿蔵)があります。生前墓はかつて相国寺の塔頭・松鴎庵に建立されたと言われています。ちなみに伊藤若冲は1765年(明和2年)に釈迦三尊像・「動植綵絵」を相国寺に寄進しています。
●相国寺は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が室町第の東に夢窓疎石を開山に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。相国寺の寺号は足利義満が左大臣(相国)であったことに由来しています。1392年(元中9年)に伽藍が完成したが、その後度々焼失し、1403年(応永10年)に史上最も高かったとも言われている七重大塔が落雷で焼失しました。その後も応仁の乱などで度々焼失し、1584年(天正12年)に中興の祖・西笑承兌が再建しました。ただその後も度々焼失し、1788年(天明8年)の天明の大火で法堂・浴室以外の伽藍は焼失しました。
相国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【伊藤若冲ゆかりの寺院】
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