平野神社彼岸花見ごろ2024(9月中旬~9月下旬頃)
平野神社彼岸花見ごろ(見頃)
平野神社彼岸花見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。平野神社では境内南側にある桜苑や参道周辺などに彼岸花が植えられ、赤色・ピンクや白色の花を咲かせます。桜苑では桜の木の間に点々と咲いています。平野神社では赤い彼岸花だけでなく、白い彼岸花も見ることができます。(詳細下記参照)
【平野神社彼岸花見ごろ(例年時期)】
平野神社の彼岸花の見ごろ例年9月中旬頃から9月下旬頃です。ただ彼岸花見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都彼岸花名所・見ごろ
【平野神社彼岸花見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区平野宮本町1
最寄りバス停・・・衣笠校前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から平野神社は50系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)
*四条河原町15系統、51系統、205系統
*四条烏丸からは55系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
*JR山陰本線の場合、最寄り駅は円町駅(徒歩約20分)
【平野神社彼岸花見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
平野神社はあまり知られていない彼岸花(ヒガンバナ)の名所です。平野神社の彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
平野神社では境内南側にある桜苑や参道周辺などに彼岸花が植えられ、赤色・ピンクや白色の花を咲かせます。桜苑では桜の木の間に点々と咲いています。平野神社では赤い彼岸花だけでなく、白い彼岸花も見ることができます。ちなみに十月桜(ジュウガツザクラ)・紫式部(ムラサキシキブ)・芙蓉(フヨウ)なども植えられ、一緒に楽しめる場合があります。なお平野神社では例年9月14日に御鎮座記念祭・奉灯祭、中秋の名月の日に名月祭が行われ、彼岸花と一緒に楽しめます。
彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ・マンジュシャカ)・死人花(しびとばな)・葬式花(そうしきばな)・墓花(はかばな)・地獄花(じごくばな)・蛇花(へびのはな)・狐花(きつねばな)・捨て子花(すてごばな)・火事花(かじばな)・灯籠花(とうろうばな)・石蒜(せきさん)・天蓋花(てんがいばな)・天涯花・幽霊花(ゆうれいばな)・剃刀花(かみそりばな)などとも言われています。彼岸花には不吉な別名が多くあります。彼岸花は中国大陸原産で、古くに日本に伝わり、北海道から南西諸島までの日本各地の土手・堤防・畦・墓地などの人家近くに分布しています。彼岸花は秋の彼岸頃に高さ30~50センチの花茎(かけい)を鱗茎(りんけい)から伸ばし、茎頂(けいちょう)に長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状に咲かせます。花色には深紅色・紫色・白色などもあります。彼岸花は花が咲いた後に鱗茎から線形の厚い葉を叢生(そうせい)し、花と葉は同時に見ることができません。なお彼岸花はリコリンを含む有毒植物だが、鱗茎が外用薬に使われています。
御鎮座記念祭・奉灯祭は794年(延暦13年)に奈良・平城京から京都・平安京に移されたことを記念する祭礼です。奉灯祭では火打石を使って火を切り出し、本殿前に灯されるロウソクの火元になります。奉灯祭では境内に数百の提灯が灯され、伝統芸能が奉納されます。
名月祭は平安時代の雅を現在に再現する為に行われています。名月祭では神前にすすき・里芋・月見だんごなどを供え、神事終了後に伝統芸能が奉納されます。
平野神社見どころ
【平野神社 歴史・簡単概要】
平野神社(ひらのじんじゃ)は勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」に「田村後宮(たむらこうきゅう)の今木大神(いまきのおおかみ)に従四位(じゅしい)を授ける」と記され、奈良時代後期の782年(延暦元年)には平城宮の宮中(第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の御所)に祀られていました。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇(かんむてんのう)による平安京遷都とともに平城京の田村後宮に祀られていた三神(今木神・久度神(くどのかみ)・古開神(ふるあきのかみ))が移されたのが起源と言われています。平安時代中期の981年(天元4年)に第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)が行幸し、その後皇太子守護の神社として、祭礼・平野祭では皇太子が自ら奉幣を行いました。また源氏・平氏などの氏神として崇敬され、「八姓の祖神」とも言われました。その後平安時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))や戦国時代の1536年(天文5年)の天文法華の乱によって焼失し、江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)に公家・西洞院時慶(にしのとういんときよし)が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の勅許によって修造し、1650年(慶安3年)に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわ まさこ))が拝殿などを再建しました。
*参考・・・京都・平野神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【平野神社彼岸花見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
桜名所・平野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報