京都彼岸花名所・見ごろ(大原・嵯峨野・・・)

平野神社彼岸花

京都彼岸花名所・見ごろ

京都彼岸花名所・見ごろ情報を紹介しています。京都には千本ゑんま堂・平野神社・京都府立植物園・妙蓮寺・大原・嵯峨野・穴太寺・出雲大神宮などの彼岸花の名所があります。大原では大原バス停(大原バスターミナル)西側・寂光院へ向かう道周辺・桜井の径近くの高野川沿いなどに彼岸花が多く分布しています。

【彼岸花(ヒガンバナ) 基礎知識】
彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。彼岸花は曼珠沙華・死人花・葬式花・墓花・地獄花・蛇花・狐花・・火事花・灯籠花・天蓋花・幽霊花・剃刀花などとも言われています。彼岸花には不吉な別名が多くあります。彼岸花は中国大陸原産で、古くに日本に伝わり、北海道から南西諸島までの日本各地の土手・堤防・畦・墓地などの人家近くに分布しています。彼岸花は秋の彼岸頃に高さ30~50センチの花茎を鱗茎から伸ばし、茎頂に長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状に咲かせます。花色には深紅色・紫色・白色などもあります。彼岸花は花が咲いた後に鱗茎から線形の厚い葉を叢生し、花と葉は同時に見ることができません。

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【千本ゑんま堂 彼岸花(ヒガンバナ)】
千本ゑんま堂では境内奥にある地蔵供養池周辺に祀られている石仏の間に彼岸花が植えられています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
千本ゑんま堂は平安時代初期に昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕えた公卿・小野篁が法儀・精霊迎えの法の根本道場として、朱雀大路(千本通)北側に自ら刻んだ閻魔法王を安置する祠を建立したのが起源とも言われています。また千本ゑんま堂は1017年(寛仁元年)に恵心僧都・源信の法弟・定覚上人が太政大臣・藤原道長の後援により、道場・諸人化導引接仏道を開山し、光明山歓喜院引接寺と称したのが起源とも言われています。
千本ゑんま堂彼岸花見ごろ

【平野神社 彼岸花(ヒガンバナ)】
平野神社では境内南側にある桜苑や参道周辺などに彼岸花が植えられています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
平野神社は「続日本紀」に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」と記され、782年(延暦元年)には平城宮の宮中(光仁天皇の御所)に祀られていました。794年(延暦13年)の桓武天皇による平安京遷都とともに田村後宮に祀られていた三神(今木神・久度神・古開神)が移されたのが起源と言われています。981年(天元4年)に円融天皇が行幸し、その後皇太子守護の神社として、平野祭では皇太子が自ら奉幣を行いました。
平野神社彼岸花見ごろ

【京都府立植物園 彼岸花(ヒガンバナ)】
京都府立植物園では観覧温室・四季彩りの丘・桜林・水車小屋周辺など園内各所に彼岸花が植えられています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から10月上旬頃です。
京都府立植物園は1917(大正6年)に着工し、1924年(大正13年)1月1日に日本最初の公立植物園として開園しました。ただ太平洋戦争中に菜園が設けられ、戦後に連合国軍に接収され、多くの樹木が伐採さました。1957年(昭和32年)に返還され、1961年(昭和36年)4月から再開しました。再開園30年の際、大規模な改修工事が行われ、1992年(平成4年)に日本最大級の回遊式観覧温室が建設されました。
京都府立植物園彼岸花見ごろ

【妙蓮寺 彼岸花(ヒガンバナ)】
妙蓮寺では本堂前や山門前などに彼岸花が植えられています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
妙蓮寺は1294年(永仁2年)に四条門流の祖・日像上人が日蓮宗の開祖・日蓮聖人からの帝都弘通の遺命を受け、五条西洞院・柳酒屋仲興の邸内に法華堂を創建し、卯木山妙法蓮華寺と称したのが起源と言われています。柳酒屋仲興は日像聖人に深く帰依し、その未亡人が日像聖人を請じたと言われています。その後度々法難によって荒廃し、応永年間(1394年~1428年)に妙顕寺を退室した日慶聖人が柳屋の地に本門八品門流として再興しました。
妙蓮寺彼岸花見ごろ

【大原 彼岸花(ヒガンバナ)】
大原では懐かしい田園風景が広がり、田んぼの畦や川べりなどに彼岸花が分布しています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
大原はかつて「小原」と表記されたり、「おはら」とも言われたりしました。大原は標高約848メートルの比叡山の北西麓で、淀川水系の一級河川・高野川の上流部に位置しています。大原盆地は四方を山に囲まれ、高野川に沿って京都市内と若狭湾の福井小浜を結ぶ若狭街道が通っています。大原は伝教大師・最澄が創建した延暦寺がある比叡山西麓にあることから三千院などの天台宗の寺院が創建されたり、移されてきました。
大原彼岸花見ごろ

【嵯峨野 彼岸花(ヒガンバナ)】
嵯峨野では大沢池や広沢池周辺に懐かしい田園風景が広がり、田んぼの畦や池周辺などに彼岸花が分布しています。彼岸花見ごろは例年9月下旬頃から10月上旬頃です。
嵯峨野は大堰川が保津川に名前を変え、嵐山で桂川となる左岸一帯を言います。嵯峨野は北側の愛宕山、南側の桂川、東側の太秦・宇多野、西側の小倉山に囲まれた地域を言います。嵯峨野はかつて桂川の氾濫原だったが、飛鳥時代に渡来系氏族・秦氏が開発し、平安時代以降に天皇や貴族が別荘を構えたり、遊猟や遊楽を楽しんだりしました。平安時代初期に嵯峨天皇が後に大覚寺となる離宮・嵯峨院を造営して居住しました。
嵯峨野彼岸花見ごろ

【穴太寺 彼岸花(ヒガンバナ)】
穴太寺では南側にある曽我部地区に田んぼが広がり、その畦や農道などに彼岸花が分布しています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
穴太寺は「穴太寺観音縁起」によると705年(慶雲2年)に大伴古麻呂が文武天皇の勅願によって創建したとも言われています。「今昔物語集」に聖観音像が「身代わり観音」として取り上げられ、平安時代末期に観音霊場として知られていたとも言われています。「今昔物語集」では郡司が仏師に聖観音像の造仏を依頼し、褒美に名馬を与えたが、その後名馬を惜しくなって仏師を矢で射たが、仏師は無事で、聖観音像の胸に矢が刺さっていました。
穴太寺彼岸花見ごろ

【出雲大神宮 彼岸花(ヒガンバナ)】
出雲大神宮では周辺やその西側にある千歳車塚古墳周辺に田んぼが広がり、その畦などに彼岸花が分布しています。彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
出雲大神宮は社伝によると島根・出雲大社が出雲大神宮からの分霊によって祀られたとも言われることに由来しています。出雲大神宮は古来、御蔭山を神体山として祀られていたが、709年(和銅2年)10月21日に社殿が造営されたとも言われています。818年(弘仁9年)に名神に預かり、1292年(正応5年)に雨乞いの功によって神階が最高位の正一位に昇叙しました。出雲大神宮は丹波国一宮とも言われるようになりました。
出雲大神宮彼岸花見ごろ

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