出雲大神宮彼岸花見ごろ2024(9月中旬~9月下旬頃)
出雲大神宮彼岸花見ごろ(見頃)
出雲大神宮彼岸花見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。出雲大神宮では周辺やその西側にある千歳車塚古墳(ちとせくるまづかこふん)周辺に田んぼが広がり、その畦などに彼岸花が分布し、赤い花を咲かせます。彼岸花と夕陽に照らされた黄金の稲穂・田園風景などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【出雲大神宮彼岸花見ごろ(例年時期)】
出雲大神宮の彼岸花の見ごろ例年9月中旬頃から9月下旬頃です。ただ彼岸花見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都彼岸花名所・見ごろ
【出雲大神宮彼岸花見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市千歳町出雲無番地
最寄り駅・バス停・・・出雲神社前(徒歩約2分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR嵯峨野線・亀岡駅(北口ひろば6番のりば)から京阪京都交通バス
*JR嵯峨野線・千代川駅から京阪京都交通バスの場合、出雲神社前(徒歩約25分)
【出雲大神宮彼岸花見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
出雲大神宮は彼岸花(ヒガンバナ)の名所です。出雲大神宮の彼岸花見ごろは例年9月中旬頃から9月下旬頃です。
出雲大神宮では周辺やその西側にある千歳車塚古墳(ちとせくるまづかこふん)周辺に田んぼが広がり、その畦などに彼岸花が分布し、赤い花を咲かせます。彼岸花と夕陽に照らされた黄金の稲穂・田園風景などの光景が美しいと言われています。
千歳車塚古墳は古墳時代後期(6世紀前半)頃に築造されたとも言われる前方後円墳です。千歳車塚古墳は墳丘長約82メートル・後円部高さ約7.5メートルで、古墳時代後期に丹波地方で築造された最大規模の古墳です。千歳車塚古墳は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の5世孫・倭彦王(やまとひこのおおきみ)の墓とも言われています。なお千歳車塚古墳は1982年(昭和57年)に国の史跡に指定されました。
彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ・マンジュシャカ)・死人花(しびとばな)・葬式花(そうしきばな)・墓花(はかばな)・地獄花(じごくばな)・蛇花(へびのはな)・狐花(きつねばな)・捨て子花(すてごばな)・火事花(かじばな)・灯籠花(とうろうばな)・石蒜(せきさん)・天蓋花(てんがいばな)・天涯花・幽霊花(ゆうれいばな)・剃刀花(かみそりばな)などとも言われています。彼岸花には不吉な別名が多くあります。彼岸花は中国大陸原産で、古くに日本に伝わり、北海道から南西諸島までの日本各地の土手・堤防・畦・墓地などの人家近くに分布しています。彼岸花は秋の彼岸頃に高さ30~50センチの花茎(かけい)を鱗茎(りんけい)から伸ばし、茎頂(けいちょう)に長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状に咲かせます。花色には深紅色・紫色・白色などもあります。彼岸花は花が咲いた後に鱗茎から線形の厚い葉を叢生(そうせい)し、花と葉は同時に見ることができません。なお彼岸花はリコリンを含む有毒植物だが、鱗茎が外用薬に使われています。
【出雲大神宮 歴史・簡単概要】
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は社伝によると島根・出雲大社(いずもたいしゃ)が出雲大神宮からの分霊によって祀られたとも言われることに由来しています。出雲大神宮は古来、御蔭山(みかげやま)を神体山(しんたいさん)として祀られていたが、飛鳥時代末期の709年(和銅2年)10月21日に社殿が造営されたとも言われています。その後平安時代前期の818年(弘仁9年)に名神(みょうじん)に預かり、845年(承和12年)に従五位下(じゅごいげ)を賜り、鎌倉時代後期の1292年(正応5年)に雨乞い(あまごい)の功によって神階が最高位の正一位(しょういちい)に昇叙しました。出雲大神宮は丹波国一宮とも言われるようになりました。南北朝時代の1345年(興国6年・貞和元年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が現在の社殿を造営したと言われています。明治維新後に神宮寺が現在の極楽寺に借地移転しました。なお出雲大神宮は大国主命(おおくにぬしのみこと)・三穂津姫命(みほつひめのみこと)を主祭神、天津彦根命(あまつひこねのみこと)・天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)を配祀神として祀っています。また出雲大神宮には上ノ社・黒太夫社(下ノ社)・笑殿社・春日社・稲荷社・崇神天皇社・弁財天社・祖霊社などの摂末社もあります。
*参考・・・出雲大神宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【出雲大神宮彼岸花見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
出雲大神宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報