- Home
- 過去の記事一覧
カテゴリー:その他
-
小倉神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
小倉神社が祀られている大山崎町では1582年(天正10年)6月に関白・豊臣秀吉と明智光秀による山崎の戦いが行われ、標高約270メートルの天王山を制した方が天下を取るとして、「天下分け目の天王山」とも言われました。 -
神応寺(アクセス・マップ・見どころ・・・)
神応寺は丹波七福神めぐりの第1番札所になっています。丹波七福神めぐりでは神応寺(毘沙門天)・養仙寺(布袋尊)・蔵宝寺(大黒天)・金光寺(弁財天)・耕雲寺(恵比寿)・極楽寺(寿老人)・東光寺(福禄寿)を巡ります。 -
一願不動(アクセス・マップ・見どころ・・・)
一願不動と言われる不動明王は降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王とともに五大明王に数えられています。五大明王は不動明王を中心に北に金剛夜叉明王、南に軍荼利明王、東に降三世明王、西に大威徳明王が配されます。 -
理性院(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
理性院に伝承されている太元帥大法は平安時代前期の852年(仁寿2年)から毎年1月8日から7日間、宮中の真言院で太元帥明王を本尊として行われていました。太元帥大法は国家安穏を祈願する後七日御修法と双璧をなす大法とされました。 -
水呑み地蔵(アクセス・マップ・見どころ・・・)
水呑み地蔵ゆかりの荒木又右衛門は伊賀国服部郷荒木村に生まれ、柳生十兵衛に剣を学んだとも言われています。大和郡山藩の剣術師範になり、その後妻の弟を助けて、仇敵らを伊賀上野の鍵屋の辻で討った伊賀越の敵討で知られています。 -
不動川砂防歴史公園(アクセス・マップ・見どころ・・・)
不動川砂防歴史公園ゆかりのオランダの土木技師であるヨハニス・デ・レーケは明治政府が招聘したお雇い技師で、河川改修や砂防工事に新技術を導入して貢献したことから「治水の恩人」・「近代砂防の租」と称されています。 -
カラスの壺二尊(アクセス・マップ・見どころ・・・)
カラスの壺二尊がある木津川市東南部の当尾地区は南都仏教の影響を受け、浄瑠璃寺と岩船寺を結ぶ長さ約1.5キロの山道沿いなどに平安時代から室町時代に造られた石仏・石塔などが点在し、当尾の石仏と言われています。 -
わらい仏(アクセス・マップ・見どころ・・・)
わらい仏が建立されている木津川市の東南部の当尾(とうの)地区には石仏や石塔などが多くあります。平安時代から修行僧の行場などが設けられ、鎌倉時代後期から室町時代に行き交う人々の為に磨崖仏が造られたと言われています。 -
常念寺(アクセス・マップ・見どころ・・・)
常念寺には戦国時代(室町時代後期)の「永正十七年(1520)庚辰二月」の紀年銘が刻まれた盛憲上人念仏供養板碑が建立されています。盛憲上人念仏供養板碑には蓮華座上に「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。 -
西光寺(アクセス・マップ・見どころ・・・)
西光寺を創建したとも言われる僧・行基菩薩は法相宗初伝の道昭らに法相宗を学び、民衆に仏法の教えを説き、寺院などを創建しました。また布施屋の設立などの社会事業も行い、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。 -
大庄屋上野家(アクセス・マップ・見どころ・・・)
大庄屋上野家が務めていた大庄屋は江戸時代に地方行政を担った村役人の最上位の役職です。大庄屋は代官・郡代・郡奉行のもとで法規の伝達・年貢や夫役の割り当て・訴訟の調停・庄屋の取締りなどを行いました。 -
高麗寺跡(アクセス・マップ・見どころ・・・)
高麗寺跡は木津川北岸の河岸段丘上に立地し、舟運の港・上津遺跡の対岸に位置しています。高麗寺跡は寺域が南北約180メートル・東西約190メートルで、回廊で囲まれた伽藍中心部が南北約65.6メートル・東西約61.9メートルです。