炮烙(ほうらく)・演目「炮烙割り」と壬生寺節分会
炮烙・演目「炮烙割り」と壬生寺節分会
炮烙は例年節分の際に境内や参道に立ち並ぶ露店で奉納することができます。炮烙は素焼きの焼き物で、奉納者は家族などの年齢・性別・願い事などを墨書きして奉納します。炮烙の奉納は壬生寺でしか見られない珍しい風習と言われています。
【壬生寺節分会 日程時間(要確認)】
壬生寺節分会は例年節分(立春の前日)とその前日・後日の3日間に行われています。なお節分の日程は2月3日になることが多いが、変動する場合があります。(節分は毎年同じ日ではありません。)
壬生寺節分会
【壬生寺節分会 歴史・簡単概要】
壬生寺節分会は平安時代(794年~1185年)後期に第72代・白河天皇の発願によって始められ、900年以上の歴史があります。節分会では本尊・延命地蔵菩薩像(重要文化財)に除災・招福を祈願し、身代り守・起上がりダルマ守などが授与されます。節分会では厄除け祈祷会などが行われ、壬生狂言の演目「節分」が演じられます。なお壬生寺は吉田神社・北野天満宮・伏見稲荷大社(八坂神社)とともに節分に行う四方参りに数えられています。
【炮烙(ほうらく)・演目「炮烙割り」】
炮烙は例年2月の節分の際に境内や参道に立ち並ぶ露店で奉納することができます。炮烙は素焼きの焼き物で、奉納者は家族などの年齢・性別・願い事などを墨書きして奉納します。炮烙の奉納は壬生寺でしか見られない珍しい風習と言われています。奉納された炮烙は例年、春のゴールデンウィーク・秋の10月に行われる壬生狂言(壬生大念佛狂言)の際、毎日13:00から初番として上演される演目「炮烙割り」で割られます。(変更の可能性あり)高さ約3メートルの大念仏堂(狂言堂)舞台から積み上げられた炮烙が次々と投げ落とされます。炮烙の数は1千枚にもなることもあります。演目「炮烙割り」で炮烙が割られると奉納者に厄除け・開運のご利益があると言われています。また願い事が成就するとも言われています。なお2025年(令和7年)1月、演目「炮烙割り」で割られる炮烙の価格が500円から700円に値上げされました。炮烙は京都府城陽市・愛知県高浜市・岐阜県土岐市の業者から仕入れされているが、物価高や人件費の高騰などの理由から値上げされました。値上げは1980年(昭和55年)以来、45年振りになるそうです。
●演目「炮烙割り」は市場への一番乗りを巡って、炮烙売りに騙された太鼓売りが仕返しに商品である炮烙を落とします。舞台に並べられた炮烙が次々と落とされ、大きな音とともにほこりが舞い上がります。
●大念仏堂(狂言堂)は江戸時代(1603年~1868年)末期の1856年(安政3年)に再建されました。ちなみに1788年(天明8年)1月に天明の大火によって壬生寺が全山焼失し、翌1789年(寛政元年)に大念仏堂が創建されると本堂で行われていた壬生狂言が大念仏堂で行われるになりました。その後1985年(昭和60年)に解体修理されました。大念仏堂は2階建ての狂言舞台で、2階の舞台や橋掛りが能舞台に類似するような構造になっています。大念仏堂は桁行約13.9メートル・梁間約5.9メートルで、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。大念仏堂は北面に突出部が附属し、南面に切妻破風(きりづまはふ)付きです。大念仏堂には舞台・橋掛かり以外に鬼などが飛び込んで消える飛び込み・綱渡り芸をする為の獣台(けものだい)などの特異な構造があり、独特な舞台建築になっています。
●壬生狂言は1300年(正安2年)に壬生寺中興の祖・円覚上人が大念仏会を催した際、身振り手振りで、仏の教えを広める持斎融通念仏を考えついたのが起源と言われています。円覚上人は拡声器などない時代に大衆の前で最も分かりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。壬生狂言では仮面を付けた演者が太鼓・鉦・笛の演奏に合わせて、無言のまま身振り手振りで演じます。壬生狂言の演目には炮烙割りや愛宕詣り・安達が原・大江山・大原女など合計30の演目が伝えられています。なお壬生狂言は引接寺(千本ゑんま堂)のゑんま堂大念仏狂言・清凉寺(嵯峨釈迦堂)の嵯峨大念仏狂言とともに京の三大狂言に数えられ、1976年(昭和51年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。京都府内では第1番に指定されました。
●壬生狂言の演者は地元の小学生から長老までの約30人が属する壬生大念仏講中です。講中の人々は学校や仕事などのかたわらに練習に励んで公演を行っています。講中は舞台で演じ、囃子を奏でる狂言師と衣裳方に分かれ、狂言師は男性です。
【炮烙・演目「炮烙割り」と壬生寺節分会 備考】
京都節分・豆まき2026














