平岡八幡宮左義長2026年1月15日(無病息災・厄除け)

平岡八幡宮左義長(日程・アクセス・概要)

平岡八幡宮左義長(日程時間など)を紹介しています。左義長は例年1月15日に行われています。左義長では1月15日の小正月に注連縄(しめなわ)・門松(かどまつ)などの正月飾りを焚き上げ、無病息災・厄除けなどを祈願します。左義長では神前に供えらた鏡餅(かがみもち)を焼いた左義長もちが氏子などに授与されます。(要確認)(詳細下記参照)

【平岡八幡宮左義長2026 日程時間(要確認)】
平岡八幡宮左義長2026は2026年(令和8年)1月15日(木曜日)8:00~13:00頃に行われます。(現在確認中・要注意)
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【平岡八幡宮左義長 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町23番地
最寄り駅・バス停・・・平岡八幡前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮からは高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ

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【平岡八幡宮左義長 歴史・簡単概要】
平岡八幡宮左義長(さぎちょう)・とんど祭では1月15日の小正月に注連縄(しめなわ)・門松(かどまつ)などの正月飾りを焚き上げ、無病息災(むびょうそくさい)・厄除けなどを祈願します。なお1月15日は1月1日の大正月に対して、小正月と言われています。
左義長では先ず祝詞奏上などの神事が行われます。その後注連縄・門松などの正月飾りが焚き上げられます。なお左義長では神前に供えらた鏡餅(かがみもち)を焼いた左義長もちが氏子などに授与されます。(要確認)
左義長(左義長神事)は平安時代に行われていた宮中行事(神事)が起源です。宮中では小正月に清涼殿(せいりょうでん)の庭に青竹を束ねて立て、毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡い囃子ながら焚き上げて、吉凶などを占ったと言われています。左義長は毬杖を三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)とも言われたそうです。また地方により、とんど祭・とんど(歳徳)・とんど焼き・どんど・どんど焼き・さいと焼き・爆竹祭などとも言われるそうです。
注連縄(標縄・七五三縄)は神域(常世・とこよ)と現世(うつしよ)を隔てる結界の役目や厄・禍を祓う役割があると言われています。なお注連縄は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸から出た際、太玉命(ふとだまのみこと)が二度と天岩戸に入れないよう注連縄で塞いだのが起源とも言われているそうです。
門松は正月に歳神(年神)を迎える依代(よりしろ) として門口に立てる松飾りです。門松は古来神が木の梢に宿ると考えられていたことに由来するそうです。
鏡餅は穀物神・歳神(年神)に供える正月飾りです。鏡餅の名称は青銅製の丸鏡に似ていることに由来しています。なお鏡餅が一般に普及したのは室町時代以降とも言われています。

【平岡八幡宮 歴史・簡単概要】
平岡八幡宮は809年(大同4年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が神護寺(高雄山寺)の鎮守社として大分・宇佐八幡宮から勧請し、自ら描いた僧形八幡神像をご神体として祀ったのが起源とも言われています。平岡八幡宮は山城国(京都)最古の八幡宮です。平安時代末期に一時廃絶したが、1190年(建久元年)に真言宗の僧・文覚上人(遠藤盛遠)が再興し、その後文覚の高弟・浄覚が現在の場所に移したとも言われています。1407年(応永14年)に焼失して荒廃し、その後室町幕府3代将軍・足利義満が再建しました。足利義満の奥方が女官とともに紅葉狩りをした際に荒廃した姿に心を痛めたとも言われています。1826年(文政9年)に現在の本殿が再建されました。なお平岡八幡宮は誉田別命を祭神として祀っています。
*参考・・・平岡八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【平岡八幡宮左義長 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
平岡八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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