出雲大神宮粥占祭2025/1/15(日程時間・・・)

平出雲大神宮粥占祭

出雲大神宮粥占祭(日程・時間・・・)を紹介しています。粥占祭は例年1月15日に行われています。粥占祭では一晩掛けて炊き上げた小豆粥の中に3本の竹筒を入れ、その竹筒に詰まっている米と小豆の量により、その年の稲の豊凶を占います。竹筒の中に小豆が少なく、米がたくさん詰まっていると豊作になると言われています。(詳細下記参照)

【出雲大神宮粥占祭2025 日程時間(要確認)】
出雲大神宮粥占祭2025は2025年(令和7年)1月15日(水曜日)7:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・出雲大神宮ホームページ

【出雲大神宮粥占祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市千歳町出雲無番地
最寄り駅・バス停・・・出雲神社前(徒歩約2分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR嵯峨野線・亀岡駅(北口ひろば6番のりば)から京阪京都交通バス

*JR嵯峨野線・千代川駅から京阪京都交通バスの場合、出雲神社前(徒歩約25分)

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【出雲大神宮粥占祭 歴史・簡単概要】
出雲大神宮粥占祭(よねうらさい)は古くから行われています。粥占祭は例年1月15日に行われています。ちなみに例年1月15日には古神札守焼納祭(こしんさつしょうのうまつり・左義長(さぎちょう))・大国祭(おおくにさい)も行われています。
粥占祭では先ず神前に炊き上がった粥を供え、本殿で神事が行われ、その後粥占が行われます。粥占祭では夜前(前日の夜)、宮司が火入れ神事(浄火(じょうか))行い、その後秘伝の方法によって小豆を混ぜた小豆粥を神饌所で炊き上げます。一晩掛けて炊き上げた小豆粥の中に一(早生(わせ))・二(中生(なかて))、三(晩生(おくて))と刻まれた3本の竹筒(シノブ竹)を入れ、その竹筒に詰まっている米と小豆の量により、その年の稲の豊凶を占います。竹筒の中に小豆が少なく、米がたくさん詰まっていると豊作になると言われています。粥占祭では神前に供えられた小豆粥を椿の葉で包み、御神札とともに竹筒に挟んで奉製された粥占神符が授与されます。粥占神符は田畑に突き刺したり、神棚や高い所に祀ると虫除けになり、豊作になるとも言われています。なお粥占祭では小豆粥と甘酒の接待も行われます。(要確認)
小豆粥は赤飯と同じく、ハレの日に食べる食べ物とされています。小豆粥はその色から桜粥・紅調粥(うんじょうしゅく)とも言われています。小豆の「あ」は赤を意味するそうです。なお小豆は縄文遺跡からも発掘され、日本最古の歴史書・古事記にも記されています。高天原(たかまのはら)から追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)がお腹が空いた際、オオゲツヒメと出会い、オオゲツヒメが差し出した食べ物を汚いものと勘違いし、オオゲツヒメを斬り殺してしまいます。 そのオオゲツヒメの亡骸から小豆・大豆・稲・粟・麦の五穀が芽生えたとされています。

【出雲大神宮 歴史・簡単概要】
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)・出雲神社・元出雲・千年宮は起源が明確ではありません。元出雲は社伝によると島根・出雲大社が出雲大神宮からの分霊によって祀られたとも言われることに由来しています。出雲大神宮は古来御蔭山(みかげやま)を神体山として祀られていたが、709年(和銅2年)10月21日に社殿が造営されたとも言われています。その後818年(弘仁9年)に名神に預かり、845年(承和12年)に従五位下を賜り、1292年(正応5年)には雨乞いの功によって神階が最高位の正一位に昇叙しました。出雲大神宮は丹波国一宮とも言われるようになりました。1345年(貞和元年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が現在の社殿を造営したと言われています。明治維新後に神宮寺が現在の極楽寺に借地移転しました。なお出雲大神宮は大国主命(おおくにぬしのみこと)・三穂津姫命(みほつひめのみこと)を主祭神、天津彦根命(あまつひこねのみこと)・天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)を配祀神として祀っています。また出雲大神宮には上ノ社・黒太夫社(下ノ社)・笑殿社・春日社・稲荷社・崇神天皇社・弁財天社・祖霊社などの摂末社もあります。
*参考・・・出雲大神宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【出雲大神宮粥占祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
出雲大神宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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