泉涌寺泉山七福神巡り2025/1/13(日程時間・・・)

泉山七福神巡り

泉涌寺泉山七福神巡り

泉涌寺泉山七福神巡り(日程・時間・・・)を紹介しています。泉山七福神巡りは毎年成人の日に行われています。泉山七福神巡りでは即成院(福禄寿)・戒光寺(弁財天)・観音寺(恵比寿神)・来迎院(布袋尊)・雲龍院(大黒天)・悲田院(毘沙門天)・法音院(寿老人)の七福神に番外である新善光寺・楊貴妃観音堂を加えた九福神を巡ります。(詳細下記参照)

【泉涌寺泉山七福神巡り2025 日程時間(要確認)】
泉涌寺泉山七福神巡り2025は2025年(令和7年)1月13日(月曜日)8:00~16:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・泉涌寺ホームページ

【泉涌寺泉山七福神巡り マップ・地図】

泉山七福神巡り2017では即成院・戒光寺・新善光寺・観音寺・来迎院・雲龍院・楊貴妃観音堂・悲田院・法音院の順に巡ります。

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【泉涌寺泉山七福神巡り 歴史・簡単概要】
泉涌寺泉山七福神巡り(せんざんしちふくじんめぐり)・泉涌寺七福神巡りは1951年(昭和26年)から成人の日に行われるようになりました。なお七福神信仰は室町時代に京都で始まったとされ、泉涌寺の泉山七福神巡りが七福神巡りの起源とも言われてるそうです。なお泉山七福神巡りでは即成院(福禄寿)・戒光寺(弁財天)・観音寺(恵比寿神)・来迎院(布袋尊)・雲龍院(大黒天)・悲田院(毘沙門天)・法音院(寿老人)の七福神と番外である新善光寺(愛染明王)・楊貴妃観音堂(楊貴妃観音)を加えた九福神を巡ります。
泉山七福神巡りでは先ず即成院で福笹を受け取り、即成院・戒光寺・観音寺・来迎院・雲龍院・悲田院・法音院・新善光寺・楊貴妃観音堂を巡って、吉兆を表す縁起物を授かっていきます。ちなみに泉山七福神巡りは全長約2.5キロと言われています。なお即成院(福禄寿)には長寿・幸福、戒光寺(弁財天)には商売繁盛・芸能上達、観音寺(恵比寿神)には商業繁栄・海運守護、来迎院(布袋尊)には知足福・家業繁盛、雲龍院(大黒天)には福徳、悲田院(毘沙門天)には財宝自在、法音院(寿老人)には長寿・健康、新善光寺(愛染明王)には敬愛和合、楊貴妃観音堂(楊貴妃観音)には良縁・諸願成就などのご利益があるとも言われています。
九福神の「九」は中国において最大の吉数を表し、「久しく」福が続くようにという意味があるそうです。なお奇数は中国では聖数とされ、中国文化影響を受けている日本でも奇数は割り切れないことから縁起がよいとされ、「一」・「三」・「五」・「七」が好まれています。ただ「九」は「苦」に通じることから日本では忌み数と見なされることが多いようです。
●泉涌寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
泉涌寺歴史(空海・藤原緒嗣・神修上人)
●泉涌寺の見どころ(仏殿・開山堂など)を紹介しています。
泉涌寺見どころ(仏殿・開山堂など)

【泉山七福神巡り 泉涌寺】
泉涌寺は天長年間に弘法大師・空海が草庵を結んだのが起源とも、855年(斉衡2年)左大臣・藤原緒嗣が神修上人を開山として山荘を改めたのが起源とも言われています。なお山内には後堀河天皇の陵墓が築かれ、後水尾天皇などが葬られ、「御寺(みてら)」と言われるようになりました。
泉涌寺・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 即成院(福禄寿)】
即成院は992年(正暦3年)源信(げんしん)が伏見に建立した光明院が起源とも、寛治年間に橘俊綱が伏見山の山荘に阿弥陀如来・二十五菩薩像を安置したのが起源とも言われています。その後一時廃寺になったが、1902年(明治35年)に現在の場所に移りました。
即成院・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 戒光寺(弁財天)】
戒光寺は1228年(安貞2年)宋から帰朝した曇照が後堀河天皇の勅願所・戒律復興の道場として猪熊八条に建立し、戒光律寺と言われていました。なお弁財天は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作とも言われています。
戒光寺・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 新善光寺(愛染明王)】
新善光寺は1243年(寛元元年)値願念西が勧進し、後嵯峨天皇の御願寺として一条大宮に創建されました。その後応仁の乱の兵火によって焼失し、1473年(文明5年)に泉涌寺山内に移り、孤雲正瑞が再興しました。
新善光寺・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 観音寺(恵比寿神)】
観音寺・今熊野観音寺は807年(大同2年)弘法大師・空海が熊野権現の霊示を受け、自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが起源と言われています。その後永暦年間に新熊野神社(いまくまのじんじゃ)が造営されるとその本地仏を祀る寺とされました。
観音寺・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 来迎院(布袋尊)】
来迎院は寺伝によると弘法大師・空海が唐で感得した三宝大荒神像を安置して創建したと言われています。その後応仁の乱の兵火によって荒廃したが、1574年(天正2年)舜甫明韶が織田信長の援助によって再興しました。
来迎院・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 雲龍院(大黒天)】
雲龍院は1372年(応安5年)後光厳天皇が竹巌聖皐律師(ちくがんしょうこうりっし)を開山として、菩提所に建立しました。その後応仁の乱の兵火によって焼失し、後柏原天皇から後土御門天皇の御殿が寄進され、本堂として再建されました。
雲龍院・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 楊貴妃観音堂(楊貴妃観音)】
楊貴妃観音堂は大門を入った左手奥に建ち、南宋時代に造られた楊貴妃観音(観音菩薩坐像)を安置しています。楊貴妃観音は重要文化財で、1255年(建長7年)南宋から伝わったと言われています。

【泉山七福神巡り 悲田院(毘沙門天)】
悲田院は聖徳太子が孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源です。悲田院は1308年(延慶元年)無人如導(むにんにょどう)が一条安居院に再興しました。その後1646年(正保3年)永井直清が現在の場所に移し、泉涌寺の塔頭になりました。
悲田院・泉山七福神巡り

【泉山七福神巡り 法音院(寿老人)】
法音院は寺伝によると1326年(嘉暦元年)僧・無人如導(むにんにょどう)が創建したと言われています。その後応仁の乱の兵火によって焼失するが、覚雲西堂が本多正貫(ほんだまさつら)夫妻の支援により、現在の場所に移して再建しました。
法音院・泉山七福神巡り

【泉涌寺泉山七福神巡り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
泉山七福神巡りでは泉涌寺の拝観料は無料になります。(要確認)
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