泉涌寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

泉涌寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
泉涌寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには泉涌寺の本堂である仏殿(重要文化財)、月輪大師の墓所である石造無縫塔を祀る開山堂(重要文化財)、楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂などがあります。また舎利殿・御座所庭園・霊明殿なども見逃せません。
- 泉涌寺の本堂である仏殿(重要文化財)
- 石造無縫塔を祀る開山堂(重要文化財)
- 南宋から請来された楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂
- 御所から移築された舎利殿(府指定文化財)
- 仙洞御所から移された雪見灯籠がある御座所庭園
【泉涌寺の本堂である仏殿(重要文化財)の見どころ解説】
★仏殿は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。仏殿は禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿として日本最大級とも言われています。仏殿は泉涌寺の本堂で、仏師・運慶(うんけい)作で、過去・現在・来世(三世仏)を表す釈迦如来(しゃかにょらい)像(現在)・阿弥陀如来(あみだにょらい)像(過去)・弥勒如来(みろくにょらい)像(来世)を本尊として安置しています。鏡天井に絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描いた雄壮な蟠龍図(ばんりゅうず・雲龍図)があります。また裏壁に白衣観音(びゃくえかんのん)図、本尊背後に飛天(ひてん)図もあります。白衣観音はどこから見ても必ず目が合うと言われています。
★歴史:仏殿は1668年(寛文8年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が再建しました。
★様式:仏殿は花頭窓(かとうまど)などを用いた禅宗様です。仏殿は桁行三間・梁間三間、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)で、一見二階建てに見える一重もこし(裳階)付きです。仏殿は内陣・外陣に分かれ、内外2列に30数本のケヤキ材が並んでいます。
★蟠龍図:蟠龍図は1669年(寛文9年)に絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の孫・狩野探幽が描きました。蟠龍図は畳8畳分の大きさがあります。
★行事:例年3月14日から16日に涅槃会(ねはんえ)が行われ、日本最大と言われる縦約16メートル・横約8メートルの絹本著色涅槃図(けんぽんちゃくしょくねはんず)が掲げられます。
【石造無縫塔を祀る開山堂(重要文化財)の見どころ解説】
★開山堂は見逃せません。開山堂は第87代・四条天皇(しじょうてんのう)などの陵墓(りょうぼ)・月輪陵(つきのわのみささぎ)の奥にあります。開山堂は塔身が卵形で、真言宗(しんごんんしゅう)泉涌寺派の宗祖である月輪大師・俊じょうの墓所である開山塔・石造無縫塔(むほうとう)を安置しています。
★歴史:開山堂は寛文年間(1661年~1672年)頃に建立されました。なお開山堂は1486年(文明18年)に再建され、第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)から勅額「霊光」を賜ったと言われています。
★様式:開山堂は正面一間・背面二間・側面二間、宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。開山堂は正面に軒唐破風(のきからはふ)付きです。
★開山塔は宋(中国)の石工作とも、鎌倉時代前期(1185年~1274年)に造られたとも言われています。開山塔は日本最古と言われています。
★石造無縫塔は開山堂の北に2基並んで建立されています。2基はほぼ同形式だが、南の方が裝飾が多くなっています。石造無縫塔は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されたと言われています。
【御所の南門を移築した大門(重要文化財)の見どころ解説】
★大門は御所の門の遺構とも言われています。大門は南宋(中国)の書家・張即之(ちょうそくし)筆とも言われている扁額「東山」が掛けられ、東山門と言われています。蟇股(かえるまた)に唐獅子(からじし)・龍(りゅう)・麒麟(きりん)・獏(ばく)・玄武(げんぶ)などの霊獣(れいじゅう)が彫られています。
★歴史:大門は慶長年間(1596年~1615年)に御所の南門として建てられ、寛永年間(1624年~1645年)に移築されました。
★様式:大門は四脚門(よつあしもん)です。大門は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
【楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂の見どころ解説】
★楊貴妃(ようきひ)観音堂は仏殿に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。楊貴妃観音堂は楊貴妃のような美しくなれると言われ、美人祈願を行う女性参拝者が多いと言われています。楊貴妃観音堂は楊貴妃観音(観音菩薩坐像)を安置しています。近くに桜のヨウキヒ(楊貴妃)が植えられ、例年4月中旬頃に見ごろを迎えます。
★歴史:楊貴妃観音堂は寛文年間(1661年~1673年)に建立されたと言われています。
★仏像:楊貴妃観音は1255年(建長7年)に月輪大師・俊じょうの弟子・湛海(たんかい)が仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)とともに南宋(中国)から持ち帰ったと言われています。楊貴妃観音はかつて楊柳観音(ようりゅうかんのん)と言われていたが、美しい面立から楊貴妃観音と言われるようになりました。楊貴妃は唐(中国)の玄宗(げんそう)皇帝の妃で、その美貌から玄宗皇帝に失政があったとされて討たれました。楊貴妃観音はかつて100年に一度公開する秘仏でだったが、請来700年目の1955年(昭和30年)から一般公開されています。
★行事:例年成人の日に七福神巡り(せんざんしちふくじんめぐり)が行われ、楊貴妃観音堂は七福神の番外になっています。
【御所から移築された舎利殿(府指定文化財)の見どころ解説】
★舎利殿は見逃せません。舎利殿は湛海が南宋(中国)の白蓮寺(びゃくれんじ)から請来したという仏牙舎利(釈尊の歯)を安置しています。また韋駄天(いだてん)像(重要文化財)・月蓋長者(がっかいちょうじゃ)像(重要文化財)も安置しています。天井に絵師・狩野山雪(かのうさんせつ)が描いた蟠龍図「鳴き龍」があります。舎利殿は謡曲「舎利」に謡われています。
★歴史:舎利殿は慶長年間(1596年~1615年)に御所から移築され、その後現在の場所に移されたと言われています。なお舎利殿は1522年(大永2年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)から舎利殿建立・勧進の綸旨が下されました。
★蟠龍図:「鳴き龍」は龍の目を見ながら手を叩くと鳴き返すように残響音が響くことから「鳴き龍」と言われています。蟠龍図は通常非公開だが、12年に1度の辰年に特別公開されます。(要確認)
★行事:例年10月7日・8日に舎利会宿忌(しゃりえしゅっき)が行われています。
【歴代天皇・皇后の尊牌を祀る霊明殿の見どころ解説】
★霊明殿は尊牌殿で、第111代・後西天皇による扁額「霊明」が掛けられています。霊明殿は第38代・天智天皇(てんじてんのう)、第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)から第124代・昭和天皇(しょうわてんのう)までの歴代天皇・皇后の尊牌(位牌)を安置しています。
★歴史:霊明殿は1882年(明治15年)に焼失し、1884年(明治17年)に第122代・明治天皇(めいじてんのう)の勅命によって再建されました。
★様式:霊明殿は入母屋造の檜皮葺です。霊明殿は全て尾州檜材で造られ、内陣・中陣・外陣に分かれています。
★行事:例年華道月輪未生流献華展では古式に則った艶かな衣裳を身に纏い、厳かな雰囲気の中で献菊式が行われます。
【御所から移築された御座所の見どころ解説】
★御座所には玉座の間・皇族の間・勅使の間・侍従の間・女官の間・門跡の間・御車寄などがあり、玉座の間は天皇・皇后が訪れた際に休息所として使用されています。御座所前には山桜の大木が植えられています。
★歴史:御座所は1818年(文化15年)に御所の御里御殿として建てられ、1884年(明治17年)に移築されました。御里御殿は第122代・明治天皇(めいじてんのう)も使用しました。
★豆知識:御座所には第119代・光格天皇(こうかくてんのう)の遺品である桑製の机が置かれています。
【御所から移築された海会堂の見どころ解説】
★海会堂(かいえどう)は歴代天皇・皇后・親王らの念持仏(ねんじぶつ)30数体を安置しています。また阿弥陀如来坐像と俊じょう律師像も安置しています。
★歴史:海会堂は明治維新後の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)を機に御所内の仏殿・御黒戸(おくろど)が移築されました。
★様式:海会堂は土蔵造(どぞうづくり)の仏堂です。海会堂は宝形造の本瓦葺です。
【雪見灯籠がある御座所庭園の見どころ解説】
★御座所庭園は見逃せません。御座所庭園は御座所の東から海会堂の南に広がっています。御座所庭園には仙洞御所(せんとうごしょ)から移された雪見灯籠(ゆきみどうろう)が据えられ、桂離宮(かつらりきゅう)の雪見灯籠とともに雪見灯籠の双璧と言われています。またツツジ・ウメモドキ・モミジ・松などの植物も植えられています。
★歴史:御座所庭園は1882年(明治15年)に焼失し、1884年(明治17年)に作庭されたと言われています。第124代・昭和天皇(しょうわてんのう)は御陵参拝の際に「春ふけて 雨のそぼふる いけ水に かじかなくなり ここ泉涌寺」と詠みました。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
泉涌寺見どころ(鎮守社・泉涌水屋形など)
【泉涌寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・泉涌寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ