泉涌寺の文化財・見どころ-修学旅行・観光の豆知識
泉涌寺の文化財・見どころ-仏殿・開山堂・楊貴妃観音堂・舎利殿・庭園
泉涌寺の文化財・見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには狩野探幽が描いた蟠龍図がある仏殿(重要文化財)、月輪大師の墓所がある開山堂(重要文化財)、楊貴妃観音像を安置する楊貴妃観音堂などがあります。また舎利殿・御座所庭園等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財の概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 狩野探幽が描いた蟠龍図があり、本堂である仏殿(重要文化財)
- 月輪大師の墓所である石造無縫塔を祀る開山堂(重要文化財)
- 南宋から請来された楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂
- 御所の建物が移築された舎利殿(京都府指定文化財)
- 仙洞御所から移された雪見灯籠がある御座所庭園
【泉涌寺の歴史・簡単概要】
泉涌寺は天長年間(824年~834年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が草庵を結んで、法輪寺と名付けたのが起源とも言われています。また泉涌寺は856年(斉衡3年)に開基・藤原緒嗣が開山・神修上人に山荘を与えて寺院に改め、仙遊寺と称したのが起源とも言われています。その後1218年(建保6年)に真言宗泉涌寺派の宗祖である月輪大師・俊じょうが鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の家臣・宇都宮信房から寄進され、1226年(嘉禄2年)に宋法式を取り入れた大伽藍を造営し、泉涌寺に寺号を改めました。
【絵師・狩野探幽が描いた蟠龍図があり、本堂である仏殿(重要文化財)】
- 簡単概要:仏殿は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。仏殿は禅宗様の仏殿として日本最大級とも言われ、泉涌寺の本堂です。仏殿は仏師・運慶(うんけい)作で、本尊として過去・現在・来世(三世仏)を表す釈迦如来(しゃかにょらい)像(現在)・阿弥陀如来(あみだにょらい)像(過去)・弥勒如来(みろくにょらい)像(来世)を安置しています。仏殿は鏡天井に絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描いた雄壮な蟠龍図(ばんりゅうず・雲龍図)があります。また裏壁に白衣観音(びゃくえかんのん)図、本尊背後に飛天(ひてん)図もあります。白衣観音はどこから見ても必ず目が合うと言われています。
- 歴史ポイント:仏殿は1668年(寛文8年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が再建しました。仏殿は歴史的価値があります。
- 様式:仏殿は花頭窓(かとうまど)などを用いた禅宗様(ぜんしゅうよう)です。仏殿は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。仏殿は一見二階建てに見える一重もこし(裳階)付きです。仏殿は桁行三間・梁間三間です。
- 構造:仏殿は内陣・外陣に分かれています。仏殿は内外2列に30数本のケヤキ材が並んでいます。仏殿は禅宗様の仏殿として、日本最大級とも言われています。
- 蟠龍図:蟠龍図は畳8畳分の大きさがあります。蟠龍図は1669年(寛文9年)に絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の孫である絵師・狩野探幽が描きました。
- 行事:例年3月14日から16日に涅槃会(ねはんえ)が行われ、縦約16メートル・横約8メートルで、日本最大と言われる絹本著色涅槃図(けんぽんちゃくしょくねはんず)が掲げられます。
【月輪大師・俊じょうの墓所である石造無縫塔を祀る開山堂(重要文化財)】
- 簡単概要:開山堂は修学旅行・観光で見逃せません。開山堂は第87代・四条天皇(しじょうてんのう)などの陵墓(りょうぼ)・月輪陵(つきのわのみささぎ)の奥にあります。開山堂は塔身が卵形で、真言宗(しんごんんしゅう)泉涌寺派の宗祖である月輪大師・俊じょうの墓所である開山塔・石造無縫塔(むほうとう)を安置しています。
- 歴史ポイント:開山堂は寛文年間(1661年~1672年)頃に建立されました。開山塔は宋(中国)の石工作とも、鎌倉時代前期(1185年~1274年)に造られたとも言われています。開山塔は日本最古と言われています。ちなみに開山堂は1486年(文明18年)に再建され、第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)から勅額「霊光」を賜ったと言われています。
- 様式:開山堂は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。開山堂は正面に軒唐破風(のきからはふ)付きです。開山堂は正面一間・背面二間・側面二間です。
- 石造無縫塔(開山塔):石造無縫塔は開山堂の北に2基並んで建立されています。2基はほぼ同形式だが、南の方が裝飾が多くなっています。無縫塔は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されたと言われています。
【御所の南門を移築した大門(重要文化財)】
- 簡単概要:大門は御所の門の遺構とも言われています。大門は南宋(中国)の書家・張即之(ちょうそくし)筆とも言われている扁額「東山」が掛けられ、東山門と言われています。大門には蟇股(かえるまた)に唐獅子(からじし)・龍(りゅう)・麒麟(きりん)・獏(ばく)・玄武(げんぶ)などの霊獣(れいじゅう)が彫られています。
- 歴史ポイント:大門は慶長年間(1596年~1615年)に御所の南門として建てられ、寛永年間(1624年~1645年)に移築されて建立されました。
- 様式:大門は四脚門(よつあしもん)です。大門は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
【南宋(中国)から請来された楊貴妃観音を祀る楊貴妃観音堂】
- 簡単概要:楊貴妃観音堂は仏殿に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。楊貴妃観音堂は楊貴妃(ようきひ)のような美しくなれると言われ、美人祈願を行う女性参拝者が多いと言われています。楊貴妃観音堂は楊貴妃観音(観音菩薩坐像)を安置しています。楊貴妃観音堂近くにヨウキヒ(楊貴妃)が植えられ、例年4月中旬頃に見ごろを迎え、彩りを添えます。
- 歴史ポイント:楊貴妃観音堂は寛文年間(1661年~1673年)に建立されたと言われています。
- 楊貴妃観音:楊貴妃観音は1255年(建長7年)に月輪大師・俊じょうの弟子・湛海(たんかい)が仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)とともに南宋(中国)から持ち帰ったと言われています。楊貴妃観音はかつて楊柳観音(ようりゅうかんのん)と言われていたが、美しい面立から楊貴妃観音と言われるようになりました。ちなみに楊貴妃は唐(中国)の玄宗(げんそう)皇帝の妃で、その美貌から玄宗皇帝に失政があったとされて討たれました。楊貴妃観音はかつて100年に一度公開する秘仏でだったが、請来700年目の1955年(昭和30年)から一般公開されています。なお楊貴妃観音は洛陽三十三所観音巡礼の第20番札所になっています。
- 行事:例年成人の日に七福神巡り(せんざんしちふくじんめぐり)が行われ、楊貴妃観音堂は新善光寺(愛染明王)とともに即成院(福禄寿)・戒光寺(弁財天)・観音寺(恵比寿神)・来迎院(布袋尊)・雲龍院(大黒天)・悲田院(毘沙門天)・法音院(寿老人)の七福神の番外になっています。
【御所の建物が移築された舎利殿(京都府指定文化財)】
- 簡単概要:舎利殿は修学旅行・観光で見逃せません。舎利殿は仏殿の後ろにあります。舎利殿は湛海が南宋(中国)の白蓮寺(びゃくれんじ)から請来したという仏牙舎利(釈尊の歯)を安置しています。また舎利殿は韋駄天(いだてん)像(重要文化財)・月蓋長者(がっかいちょうじゃ)像(重要文化財)も安置しています。舎利殿は天井に絵師・狩野山雪(かのうさんせつ)が描いた蟠龍図(雲龍図)があります。なお舎利殿は謡曲「舎利」に謡われています。
- 歴史ポイント:舎利殿は慶長年間(1596年~1615年)に御所の建物が移築されて建立され、その後現在の場所に移されたと言われています。ちなみに舎利殿は1522年(大永2年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)から舎利殿建立・勧進の綸旨が下されました。
- 蟠龍図:蟠龍図「鳴き龍」は龍の目を見ながら手を叩くと鳴き返すように残響音が響くことから「鳴き龍」と言われています。蟠龍図は通常非公開だが、12年に1度の辰年に特別公開されます。(要確認)
- 行事:例年10月7日・8日に舎利会宿忌(しゃりえしゅっき)が行われています。
【歴代天皇・皇后の尊牌(位牌)を安置する霊明殿】
- 簡単概要:霊明殿は尊牌殿で、第111代・後西天皇による扁額「霊明」が掛けられています。霊明殿には第38代・天智天皇(てんじてんのう)、第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)から第124代・昭和天皇(しょうわてんのう)までの歴代天皇・皇后の尊牌(位牌)を安置しています。
- 歴史ポイント:霊明殿は1882年(明治15年)に焼失し、1884年(明治17年)に第122代・明治天皇(めいじてんのう)の勅命によって再建されました。
- 様式:霊明殿は屋根が入母屋造の檜皮葺です。霊明殿は全て尾州檜材で造られています。
- 構造:霊明殿は内陣・中陣・外陣に分かれています。
- 行事:例年華道月輪未生流献華展では古式に則った艶かな衣裳を身に纏い、厳かな雰囲気の中で献菊式が行われます。
【御所の御里御殿から移築された御座所】
- 簡単概要:御座所は仏殿と舎利殿の後ろにあります。御座所には玉座の間・皇族の間・勅使の間・侍従の間・女官の間・門跡の間・御車寄などがあります。玉座の間は天皇・皇后が訪れた際に休息所として使用されています。御座所前には山桜の大木が植えられ、美しく咲きます。
- 歴史ポイント:御座所は1818年(文化15年)に御所の御里御殿として建てられ、1884年(明治17年)に移築されて建立されました。御里御殿は第122代・明治天皇も使用しました。
- 豆知識:御座所には第119代・光格天皇(こうかくてんのう)の遺品である桑製の机が置かれています。
【御所の仏殿・御黒戸が移築された海会堂】
- 簡単概要:海会堂(かいえどう)は御座所に接しています。海会堂は歴代天皇・皇后・親王らの念持仏30数体を安置しています。また海会堂は阿弥陀如来坐像と俊じょう律師像も安置しています。
- 歴史ポイント:海会堂は明治維新後の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)を機に御所内の仏殿・御黒戸(おくろど)が移築されて建立されました。
- 様式:海会堂は土蔵造(どぞうづくり)の仏堂です。海会堂は屋根が宝形造の本瓦葺です。
【仙洞御所から移された雪見灯籠がある御座所庭園】
- 簡単概要:御座所庭園は修学旅行・観光で見逃せません。御座所庭園は御座所の東から海会堂の南に広がっています。御座所庭園にはツツジ・ウメモドキ・モミジ・松などの植物が植えられ、四季折々に美しい光景が見られます。紅葉シーズンには紅葉に彩られた絶景が見られます。御座所庭園には仙洞御所(せんとうごしょ)から移された雪見灯籠(ゆきみどうろう)が据えられ、桂離宮(かつらりきゅう)の雪見灯籠とともに雪見灯籠の双璧と言われています。
- 歴史ポイント:御座所庭園は1882年(明治15年)に焼失し、1884年(明治17年)に作庭されたと言われています。第124代・昭和天皇は御陵参拝の際に「春ふけて 雨のそぼふる いけ水に かじかなくなり ここ泉涌寺」と詠みました。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
泉涌寺見どころ(鎮守社・泉涌水屋形など)
【泉涌寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・泉涌寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ