泉涌寺の見どころ簡単解説2-修学旅行・観光の豆知識
泉涌寺の見どころは鎮守社・泉涌水屋形・浴室・紅葉・桜・本坊・泉山七福神巡りなど
泉涌寺の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには稲荷大明神を祀る鎮守社、泉涌水が湧き出す泉涌水屋形(府指定文化財)、蒸し風呂である浴室(府指定文化財)、紅葉、桜、本坊、泉山七福神巡りなどがあります。(個別解説下記参照)
●仏殿(重要文化財)と蟠龍図・楊貴妃観音などの泉涌寺見どころは下記リンクから確認することができます。
泉涌寺見どころ(仏殿・開山堂など)
【泉涌寺の歴史・簡単概要】
泉涌寺(せんにゅうじ)は起源が明確ではありません。泉涌寺は平安時代前期の天長年間(824年~834年)に真言宗(しんごんんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が草庵を結んで、法輪寺(ほうりんじ)と名付けたのが起源とも言われています。また泉涌寺は856年(斉衡3年)に左大臣で、泉涌寺開基・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が泉涌寺開山・神修上人(じんしゅうしょうにん)に山荘を与えて寺院に改め、仙遊寺(せんゆうじ)と称したのが起源とも言われています。その後鎌倉時代前期の1218年(建保6年)に真言宗泉涌寺派の宗祖である月輪大師(がちりんだいし)・俊じょう(しゅんじょう)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の家臣・宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)から寄進され、1226年(嘉禄2年)に宋法式を取り入れた大伽藍を造営し、泉涌寺に寺号を改めました。
泉涌寺歴史年表
【稲荷大明神を祀る鎮守社】
- 概要:鎮守社は境内北側にある森の中にあります。鎮守社は稲荷大明神(いなりだいみょうじん)を祀っています。
- 歴史:本殿は1668年(寛文8年)に建立されました。
- 様式:本殿は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
【泉涌水が湧き出す泉涌水屋形(府指定文化財)】
- 概要:泉涌水屋形は寺号「泉涌寺」の由来となった泉涌水(せんにゅうすい)を覆っています。泉涌水は今もこんこんと湧き出しています。
- 歴史:水屋形は1668年(寛文8年)に再建されました。
- 様式:水屋形は入母屋造のこけら葺です。
【蒸し風呂である浴室(府指定文化財)】
- 概要:浴室は泉涌水屋形近くにあります。浴室は床下の鉄釜で湯を沸かす蒸し風呂です。
- 歴史:浴室は寛文年間(1661年~1673年)に再建されました。浴室は仏殿の北にあったが、1897年(明治30年)に現在の場所に移されました。
- 様式:浴室は切妻造です。
【文化財を収蔵・展示する心照殿(宝物館)】
- 概要:心照殿(しんしょうでん)は宝物館で、楊貴妃観音堂に接しています。心照殿は所有する文化財を収蔵・展示しています。心照殿は無料ですが、拝観料は必要です。
- 歴史:心照殿は2004年(平成16年)に建設されました。
【春の桜・見ごろ】
- 概要:泉涌寺は桜の名所です。山内にヤマザクラ・ソメイヨシノ・ヨウキヒ・シダレザクラなどが植えられています。ヤマザクラの大木は御座所前、ヨウキヒは楊貴妃観音堂前に植えられています。桜は例年3月下旬頃から4月中旬頃に見ごろを迎えます。
【秋の紅葉・見ごろ】
- 概要:泉涌寺は紅葉の名所です。御座所庭園などの山内にカエデなどが分布しています。紅葉は例年11月中旬から11月下旬頃に見ごろを迎えます。なお紅葉の見ごろに窯元一帯で窯元もみじまつりが行われます。
【御朱印などを授与する本坊(寺務所)】
- 概要:本坊(寺務所)は舎利殿の奥に位置し、御座所・海会堂・霊明殿と繋がっています。本坊では御朱印・御朱印袋・お守り・ステッカ・お香などを授与しています。ちなみに泉涌寺ではその塔頭でも御朱印を授与している寺院もあります。(要確認)なお本坊は京都非公開文化財特別公開などで特別公開されることもあります。
【塔頭・即成院】
- 概要:即成院(そくじょういん)は塔頭です。即成院は寺伝によると992年(正暦3年)に恵心僧都・源信が伏見に創建した光明院が起源とも、寛治年間(1087年~1094年)に太政大臣・藤原頼通の次男で、伏見長者・橘俊綱が伏見山の山荘に阿弥陀如来・二十五菩薩像を安置し、即成就院・伏見寺と言われたのが起源とも言われています。
【塔頭・戒光寺】
- 概要:戒光寺(かいこうじ)は塔頭です。戒光寺は1228年(安貞2年)に南宋(中国)から帰朝した浄業曇照が第86代・後堀河天皇の勅願所として大宮八条の東堀川の西に創建したのが起源です。戒光寺は運慶・湛慶父子の合作である丈六の釈迦如来立像を本尊として安置し、当初戒光律寺とも言われていました。
【塔頭・今熊野観音寺】
- 概要:今熊観音寺(いまくまのかんのんじ)は塔頭です。今熊観音寺は807年(大同2年)に弘法大師・空海が熊野権現の霊示を受け、自ら一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻んで草堂に安置したのが起源とも言われています。十一面観世音菩薩像には空海が熊野権現の化身である老翁から授かった一寸八分の十一面観世音菩薩像が体内仏として納められているとも言われています。
【雲龍院・悲田院などの別院・塔頭】
- 概要:山内には別院である雲龍院(うんりゅういん)や悲田院などの塔頭(たっちゅう)があります。なお塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
- 雲龍院:雲龍院は1372年(応安5年)に北朝第4代・後光厳天皇が竹巌聖皐律師(ちくがんしょうこうりっし)を開山に菩提所として建立しました。
- 悲田院:悲田院は聖徳太子が孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源です。悲田院は1308年(延慶元年)に無人如導が一条安居院に再興し、四宗兼学の寺にしました。
【成人の日に行われる泉山七福神巡り】
- 概要:泉山七福神巡り(せんざんしちふくじんめぐり)は例年成人の日に行われています。泉山七福神巡りでは即成院(福禄寿)・戒光寺(弁財天)・今熊野観音寺(恵比寿神)・来迎院(布袋尊)・雲龍院(大黒天)・悲田院(毘沙門天)・法音院(寿老人)の七福神と番外である新善光寺(愛染明王)・楊貴妃観音堂(楊貴妃観音)を加えた九福神を巡ります。
- 豆知識:七福神信仰は室町時代に京都で始まったとされ、泉山七福神巡りが七福神巡りの起源とも言われてるそうです。
【泉涌寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・泉涌寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ