熊野神社神幸祭(日程・時間・・・)

熊野神社

熊野神社神幸祭

熊野神社神幸祭(日程・時間・・・)を紹介しています。神幸祭は例年4月29日に行われます。神幸祭では氏子地域の繁栄を祈願します。神幸祭では熊野少年勤皇隊・神輿などが氏子地域を巡行します。なお巡行中には聖護院(しょうごいん)で法要が行われ、熊野少年勤皇隊が演奏を奉納します。(詳細下記参照)

【熊野神社神幸祭2016 日程時間(要確認)】
熊野神社神幸祭2016は2016年4月29日(金曜日)10:30から行われます。

【熊野神社神幸祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区聖護院山王町
最寄り駅・バス停・・・熊野神社前(徒歩約1分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から熊野神社は206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは31系統、201系統、203系統
*四条烏丸からは31系統、201系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は神宮丸太町駅(徒歩約5分)

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【熊野神社神幸祭 歴史・簡単概要】
熊野神社神幸祭(しんこうさい)・氏子大祭(うじこたいさい)では氏子地域の繁栄を祈願します。神幸祭では熊野少年勤皇隊・神輿などが氏子地域を巡行します。なお熊野少年勤皇隊は1928年(昭和3年)から参加しているそうです。
神幸祭では先ず本殿前で神事が行われ、次に熊野少年勤皇隊が演奏を奉納します。その後熊野少年勤皇隊・神輿などが氏子地域を巡行します。巡行に参加する人は熊野神社のご神木である梛(なぎ)の葉を付けます。なお巡行中には聖護院(しょうごいん)で法要が行われ、熊野少年勤皇隊が演奏を奉納します。
熊野少年勤皇隊は1868年(明治元年)の王政復古の大号令に呼応し、西園寺公望からの募兵により、丹波山国郷に結成された農兵隊・維新勤皇山国隊をモチーフにしています。維新勤皇山国隊は出迎えが見守る中、鼓笛を奏でながら京都から山国に凱旋したそうです。なお山国郷は平安時代以来の皇室との関係が深かったそうです。
梛は熊野の御神木で、梛の葉は阿弥陀如来の化身とされる金剛童子の変化身とされ、熊野詣での参詣者は帰路の安全を願い、梛の葉を護符として身に付けて帰ったそうです。
聖護院は熊野神社を守護神としています。なお聖護院は1090年(寛治4年)白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸の際、先達を務めた増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が常光寺を賜り、聖体護持の二字から聖護院としたのが起源です。

【熊野神社 歴史・簡単概要】
熊野神社(くまのじんじゃ)・権現さん(ごんげんさん)は起源が明確ではありません。熊野神社は811年(弘仁2年)日円上人(にちえんしょうにん)が紀州・熊野権現を勧請したのが起源とも、1103年(康和5年)園城寺(三井寺)の僧・増譽(ぞうよ)が白河上皇の意により、熊野新宮御霊を勧請したのが起源とも言われています。その後1396年(応永3年)室町幕府3代将軍・足利義満から広大な社地を寄進されました。ただ応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって社殿は焼失し、その後再建されました。1666年(昭和41年)聖護院宮道寛法親王(しょうごいんのみやどうかんほうしんのう)が再興しました。なお熊野神社は聖護院の守護神と言われています。
*参考・・・熊野神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【熊野神社神幸祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
熊野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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