石庭(枯山水・謎トリック・作庭者・・・)龍安寺見どころ

石庭

石庭(枯山水・謎トリック・作庭者・・・)

石庭を解説します。石庭は作庭時期・作庭者・意味などに謎が残されています。石庭では15個の石が一見無造作に配置されているが、15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れて見えないように意図的に配置されています。(詳細下記参照)

龍安寺見どころ(石庭・方丈など)

【石庭の概要・概略】

  • 概要・概略:石庭(方丈庭園)は龍安寺のハイライトで、特別名勝・史跡です。石庭は縦約10メートル・横約25メートルの油土塀(あぶらどべい)に囲まれた枯山水式庭園です。石庭は白砂を敷いて帚目を付け、15個の石を一見無造作に配置しています。
  • 方丈:石庭は方丈(重要文化財)に面した方丈庭園です。方丈は1797年(寛政9年)に焼失し、寛永年間に1606年(慶長11年)に建立された西源院(せいげんいん)の方丈を移して再建されました。
  • 枯山水式庭園:枯山水式庭園は池や流れる遣水(やりみずな)などの水を用いず、石や砂、そして地形などで山水の風景を表現します。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。なお枯山水式庭園は室町時代に禅宗寺院でよく用いられました。
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【石庭の歴史・時代】

  • 歴史・時代の謎:石庭はいつ作庭されたかは明確ではなく、謎が残されています。石庭は龍安寺の寺伝によると室町時代末期(1500年頃)に禅僧によって作庭されたとも言われています。方丈が1499年(明応8年)に再建され、石庭(方丈庭園)もこの時に作庭されたと伝えられています。また石庭は龍安寺が中興された応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。
  • 応仁の乱:応仁の乱は室町幕府8代将軍・足利義政の後継者争いなどが原因になって勃発し、細川勝元を東軍総大将・山名宗全(やまなそうぜん)を西軍総大将とする東軍・西軍が戦い、1468年(応仁2年)に龍安寺が焼失し、その後洛中に一時移転しました。

【石庭の作庭者(作者)】

  • 作庭者(作者)の謎:石庭の作庭者は石庭の作庭時期と同じように明確ではなく、謎が残されています。石庭は龍安寺の寺伝によると特芳禅傑(どくほうぜんけつ)らの禅僧が作庭したとも言われています。また絵師の相阿弥(そうあみ)、龍安寺の開山である義天玄詔、龍安寺を創建した細川勝元・勝元の子である政元(まさもと)、茶人である金森宗和(かなもりそうわ)などが作庭したとも言われています。
  • 相阿弥:相阿弥は室町時代の絵師・連歌師・表具師・鑑定家である芸阿弥の子、室町時代の絵師・茶人・連歌師・表具師・鑑定家である能阿弥の孫として生まれました。祖父・父などに学び、祖父によって開祖された阿弥派の絵画を大成させたり、書院飾りを完成させたりしました。また祖父・父に引き続いて、足利将軍家に芸能に優れた同朋衆として仕え、唐物(中国)の目利き・管理を行った唐物奉行も務めました。相阿弥は書画の鑑定・造園・香・連歌・茶道など多方面でも活躍しました。相阿弥は青蓮院の築山泉水庭・銀閣寺(慈照寺)の庭園・長楽寺の庭園・願泉寺の庭園を作庭しました。
  • 石:石庭の石の中で、油土塀近くにある石には「小太郎・■二郎(清二郎)」と刻まれた石があり、作庭に関係した人物とも言われています。

【石庭の石の配置】

  • 石の配置:石庭は白砂を敷き、箒で掃いた帚目(ほうきめ)を付け、15個の石が一見無造作(アットランダム)に配置されているように見えます。ただ15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れて見えないように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。また石庭の石は大海や雲海に浮かぶ島々や高峰、そして中国三大宗教のひとつ道教(どうきょう)の聖地である中国の五岳(北岳恒山・東岳泰山・西岳華山・南岳衡山・中岳嵩山)などを表現しているとも言われています。更に「心」という漢字を表現しているとも言われているそうです。
  • 岩質:石庭の石には龍安寺裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種であるチャート石・京都丹波(たんば)周辺の山石・日本最大の広域変成帯である三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)の緑色片岩(りょくしょくへんがん)が使われています。

【石庭の油土塀(あぶらどべい)】

  • 油土塀:石庭は縦約10メートル・横約25メートルの油土塀に囲まれているが、油土塀の高さ1.8メートルは一定ではありません。油土塀は手前から奥に向かって低くなるように造られ、最大高さ50センチの高低差があます。その為約75坪の石庭は目の錯覚(遠近法)により、実際よりも広く見えるトリックになっています。なお石庭は油土塀の高さだけでなく、水平にも工夫が施されています。なお石庭は東南の隅が低くすることにより、雨水などを排水しやすくしています。
  • 耐久性:油土塀は土に菜種油を混ぜて造られ、長い風雪に耐えられるように造られているそうです。

【石庭の名称・名前】

  • 名称名前:石庭の名称は石が七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられることから「七五三の庭」とも言われます。また中国の説話「癸辛雑識」の中の「虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。なお「虎の子渡し」は虎が三匹の子を産むと必ず一匹の豹の子が混じり、豹の子が他の虎の子を食う。その為母虎は虎の子を守る為に都合7回川を渡らなければならない。最初に母虎は豹の子を対岸に渡し、母虎だけが戻ります。次に一匹の虎の子を対岸に渡し、豹の子を背負って引き返す。次に豹の子を残して一匹の虎の子を対岸に渡し、母虎だけが戻ります。最後に豹の子を再び対岸に渡し、母虎は結局7回川を渡らなければならない。
  • 豆知識:「虎の子渡し」では豹の子はどう猛な虎の子とする場合もあります。

【石庭 備考】
*参考・・・龍安寺(見どころ・歴史・石庭・・・)ホームページ

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