
銀閣
銀閣を解説します。銀閣は1489年(長享3年)に創建され、江戸時代に数度改修されたと言われています。銀閣は2007年(平成19年)の奈良文化財研究所による調査により、一度も銀箔が張られていなかったことが判明しました。(詳細下記参照)
【銀閣寺銀閣以外の情報】
銀閣寺見どころ(銀閣・東求堂など)
【銀閣 基礎知識】
銀閣寺(ぎんかくじ)・東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)は平安時代中期に智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)が創建し、寛仁年間に天台座主第25世・明求が堂宇を再建したが、応仁の乱の兵火によって焼失した浄土寺があった場所です。1473年(文明5年)に室町幕府8代将軍・足利義政は長子・足利義尚に将軍職を譲り、浄土寺跡に東山山荘・東山殿の造営を始めました。東山殿の名称は後土御門天皇から賜りました。その後1490年(延徳2年)に足利義政が亡くなり、遺命によって東山殿が臨済宗相国寺派の禅寺・慈照院に改められました。慈照院の名前は足利義政の法号「慈照院殿喜山道慶」に由来しています。
銀閣寺歴史(起源・・・)
【概要の解説・銀閣】
- 概要・・・銀閣(観音殿(かんのんでん))は銀閣寺のハイライトです。銀閣は国宝で、池泉回遊式庭園の中心である錦鏡池(きんきょうち)の畔にあります。銀閣は木造二階建てで、二階は当初外面・内面も黒漆塗だったそうです。
- 仏像・・・一階は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像・千体地蔵菩薩立像、二階は観音菩薩(かんのんぼさつ)坐像(洞中観音)を安置しています。
- 観音菩薩・・・観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。
【歴史の解説・銀閣】
- 概要・・・銀閣は1489年(長享3年)に創建されました。その後江戸時代に数度改修されたと言われています。銀閣は足利義政が祖父で、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が創建した金閣の2階・3階や苔寺(こけでら・西芳寺(さいほうじ))の舎利殿(しゃりでん・瑠璃殿(るりでん))を参考にして創建したとも言われています。銀閣の屋根には18世紀後半頃までは鳳凰(ほうおう)ではなく、宝珠(ほうじゅ)が置かれていたそうです。なお宝珠は災難を除くとされているそうです。なお2008年(平成20年)2月から2010年(平成22年)3月までの期間、大正時代以来の大規模な修復作業が行われました。
- 記録・・・銀閣は1489年(長享3年)3月に立柱上棟が行われたが、1487年(文明19年)に足利義政が金閣寺を不意に訪れ、参考にしたとも言われています。ちなみに苔寺には1457年(長祿元年)3月14日・1458年(長祿2年)2月30日と10月3日・1459年(長祿3年)3月10日と10月7日・1460年(寛正元年)3月20日・1461年(寛正2年)2月27日と6月20日と10月4日・1462年(寛正3年)6月23日と10月11日・1464年(寛正5年)2月27日・1465年(寛正6年)10月5日・1466年(文正元年)閏2月21日・1480年(文明12年)10月9日に訪れた記録が残されています。
- 苔寺の瑠璃殿・・・苔寺の瑠璃殿は銀閣と同じ二階建ての楼閣建築で、その斬新な姿が銀閣・金閣に強い影響を与えたと言われています。瑠璃殿は池の周辺に建立され、庭園を見下ろすことができました。
【構造の解説・銀閣】
- 概要・・・銀閣は木造二階建ての楼閣建築で、一階が住宅風様式、二階が禅宗様式(唐様)です。一階は東西8.2メートル・北7.0メートル・南5.9メートルです。南が北よりも短くなっています。銀閣の屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺き(こけらぶき)です。なお銀閣は銀閣寺と同じく世界遺産である金閣寺の金閣の二階・三階や苔寺(西芳寺)の瑠璃殿を参考にして建立されたとも言われています。ちなみに銀閣寺の庭園も足利義政が女人禁制の苔寺の庭園を母に見せる為に模したとも言われています。
- 各階・・・一階が心空殿(しんくうでん)、二階が潮音閣(ちょうおんかく)と言われています。
【銀箔の解説・銀閣】
- 銀箔・・・銀閣は2007年(平成19年)に銀閣寺が奈良文化財研究所に依頼した科学的調査により、建立以来一度も外壁に銀箔が張られていなかったことが判明しました。調査では風雨に晒されにくく、これまで修理されなかった部分から分析試料を取り出し、極少量の元素でも検出可能と言われるエックス線による元素分析とICP/MS(誘導結合プラズマ質量分析法)が行われたが、銀の成分は全く検出されなかったそうです。ただ白土と明礬(みょうばん)が検出されました。銀閣は壁面に黒漆が施され、その上に白土を塗り重ね、更に明礬を溶かした液を塗ると固まった明礬が白く輝いていたとも言われています。
- 豆知識・・・銀は金に次いで延性に富み、1グラムの銀は約2,200メートルの線に伸ばすことができるそうです。
【名称の解説・銀閣】
- 名称・・・銀閣が金閣に対し、銀閣と言われるようになったのは江戸時代以降のことで、1658年(万治元年)山本泰順(やまもとたいじゅん)が記した「洛陽名所集(らくようめいしょしゅう)」に銀閣寺の名称が記されているそうです。なお銀閣と言われるようになった理由は当初銀箔を貼る予定だったが、財政事情や足利義政の死によってできなかったとも、外壁の黒漆が日光によって銀色に輝いて見えたからとも言われています。
- 平成の修復・・・銀閣は2008年(平成20年)から2010年(平成22年)まで大規模な修復作業が行われ、二階の内部に黒漆の塗ったり、屋根を葺き替えたりしたが、外壁の黒漆塗り替えは銀閣寺の意向によって行わなかったそうです。ちなみに修復作業には約1億4,000万円掛かったそうです。
【銀閣・銀閣寺見どころ 備考】
*参考・・・銀閣寺(見どころ・歴史・・・)ホームページ