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カテゴリー:その他
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社家条々記録(しゃけじょうじょうきろく)」と祇園祭
「社家条々記録」は1323年(元亨3年)に祗園社執行・晴顕が記した記録です。執行は八坂神社の運営の中心で、人事権を持ち、恒例・臨時の法会や神事の準備を公人に命じました。執行は神官でもり、仏僧でもあり、外見は僧形でした。 -
「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」と祇園祭
「祇園社本縁録」は江戸時代(1603年~1868年)に成立し、八坂神社・祇園祭・大政所御旅所の起源などが記されていました。ただ「祇園社本縁録」は現在、失われており、見ることはできません。 -
田楽(でんがく)・永長の大田楽と祇園祭
祇園祭にはかつて田楽や馬長・童・巫女などが様々な人々が参加していました。1096年(永長元年)は京都で田楽が爆発的に流行して人々が熱狂し、「永長の大田楽」とも言われ、祇園祭でも田楽が参加した記録が残されています。 -
京の夏の旅2025年7月11日~9月30日(文化財特別公開)
京の夏の旅・非公開文化財特別公開は1976年(昭和51年)に始まり、夏の京都の魅力を発信しています。夏の京都は2025年(令和7年)に50回目を迎え、「昭和100年」という節目の年に因んで、近代京都の名建築と夏に訪ねたい水景をテーマに行われます。 -
1678年(延宝6年)の「京雀跡追(きようすずめあとおい)」と祇園祭
「京雀跡追」は1678年(延宝6年)に刊行されました。「京雀跡追」は著者が不詳で、当初上下二冊で構成されていたと言われています。「京雀跡追」は1664年(寛文4年)に刊行された「京雀」の記述を取り入れながら増補が加えられました。 -
壬生晴富の「晴富宿禰記(はるとみすくねき)」と祇園祭
壬生晴富は応仁の乱の最中である1468年(応仁2年)に左大史に任ぜられ、日記「晴富宿禰記」では応仁の乱後の室町幕府の政治や室町幕府10代将軍・足利義稙と室町幕府11代将軍・足利義澄の関係などを知ることができます。 -
室町幕府11代将軍・足利義澄(あしかがよしずみ)と祇園祭
室町幕府11代将軍・足利義澄は1495年1月23日(明応3年12月27日)に将軍に就任し、1508年5月15日(永正5年4月16日)まで勤めました。足利義澄は将軍在職中の1500年(明応9年)に祇園祭を見物したと言われています。 -
俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と祇園祭
松尾芭蕉は1690年(元禄3年)4月6日から7月23日までは近江の弟子で、膳所藩士・菅沼曲翠の勧めにより、滋賀郡国分の幻住庵に滞在して静養しました。ただ静養中も6月上旬頃に京都に行き、「猿蓑」を企画し、6月18日まで京都に滞在しました。 -
三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の「実隆公記」と祇園祭
三条西実隆は後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇の3代に仕え、足利義政、足利義澄らと親交があり、肖柏・飯尾宗祇らの文化人と交流し、「実隆公記」には朝廷・公家・幕府・戦国大名の動向など様々な事項が記されています。 -
祇園祭八坂礼拝講2026年7月21日(比叡山延暦寺)
祇園祭八坂礼拝講(日程・時間・・・)を紹介。八坂礼拝講では疫病退散・国家安寧・世界平和を祈願します。八坂礼拝講では八坂神社の宮司が祝詞を奏上し、次に天台座主が祭文を読み上げ、その後延暦寺の僧侶が独特の節回しで「法華経」の問答を行います。 -
出町ふたば(アクセス・歴史概要・・・)名代豆餅
出町ふたばの名代豆餅はお餅に滋賀産の羽二重もち米、餡に北海道十勝産の小豆、豆に北海道産の赤えんどう豆を使用しています。蒸したもち米を2度に分けて撞くことで柔らかな食感になり、餡を素早く包むことで風味を保つそうです。 -
黒川道祐(くろかわどうゆう)の「日次記事」と祇園祭
広島藩主・浅野家の典医で、1673年(延宝元年)から京都洛中に住した歴史家・黒川道祐が1685年(貞享2年)に京都を中心とする朝野公私の年中行事を解説した解説書「日次紀事」を記し、祇園祭・鴨川納涼床などが記されています。