雙栗天神社(アクセス・マップ・概要・・・)
雙栗天神社
雙栗天神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。雙栗天神社では770年(宝亀元年)に第49代・光仁天皇の勅命により、同年9月9日に境内から西側に三神が遷されて大宮神社が祀られるようになり、雙栗天神社が本宮と言われるようになったとも言われています。
【雙栗天神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府綴喜郡宇治田原町岩山上田13
最寄り駅・バス停・・・維中前(徒歩約16分)、岩山(徒歩約12分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線宇治駅・京阪宇治線宇治駅・近鉄京都線新田辺駅から京都京阪バス(維中前・工業団地・緑苑坂行き)
路線・時刻表・運賃チェック
【雙栗天神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【雙栗天神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【雙栗天神社 歴史・簡単概要】
雙栗天神社(さぐりてんじんじゃ・双栗天神社)は京都府綴喜郡宇治田原町岩山上田にあります。雙栗天神社は「社伝記」によると古墳時代の538年(宣化天皇3年)9月7日に山城国東県綴喜郡雙栗田原郷の大岩本の頂に瑞祥(ずいしょう)があり、神が岩上に降りて光明が放たれ、住人である雙栗忌寸宿祢・和邇部茨彦が大岩の下に宮柱を建て祀ったのが起源とも言われています。雙栗天神社背後の大岩獄を登ると7~8メートルの大岩石があり、その下に祠(ほこら)が祀られ、奥の院と称されています。奈良時代後期の770年(宝亀元年)6月に第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の勅命により、同年9月9日に雙栗天神社から大宮神社が遷されて西側に祀られたと言われています。その後平安時代後期に平清盛(たいらのきよもり)が源義朝(みなもとのよしとも)らを倒した1160年(平治元年)の平治の乱(へいじのらん)が起こり、雙栗天神社を始め、大宮神社・山瀧寺(さんりゅうじ)・雙栗寺など一帯が焼失したと言われています。鎌倉時代初期の1193年(建久4年)に再建されたが、江戸時代中期の1761年(宝暦11年)に村内の出火により、社殿や古記録などが一切焼失したと言われています。江戸時代後期の1848年(嘉永元年)に社殿が焼失したが、同年5月に社殿が再建されました。雙栗天神社は天穂日尊(あめのほひのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・大蔵命(おおとしのみこと)・菅原道真(すがわらのみちざね)を合祀しました祀っています。また戸隠社・稲荷社・白山社・山王社・皇大神宮・貴船社も祀っています。なお久御山町の雙栗神社(さぐりじんじゃ)は雙栗天神社から勧請されて祀られるようになったとも言われています。
*参考・・・雙栗天神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【雙栗天神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
雙栗天神社の見どころは江戸時代後期に再建された本殿です。本殿は大工・柴田新八郎が再建し、前面に向拝(こうはい)が付いた一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)です。
【雙栗天神社 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0774-88-3364(雙栗天神社社務所)
【雙栗天神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【雙栗天神社 おすすめ散策ルート】
雙栗天神社からのおすすめ散策ルートは南西に位置する大宮神社(田原天皇社)に向かうルートです。大宮神社(田原天皇社)は雙栗天神社にゆかりがあるとも言われています。また西側にある奥の院に向かうのもいいかもしれません。なお雙栗天神社周辺にはあまり観光スポットがない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。