知恩院(濡髪大明神(守護神)・崇泰院)

知恩院見どころ

知恩院

知恩院を観光するなら歴史的に関係が深い知恩院の守護神である濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)や塔頭である崇泰院(そうたいいん)・良正院(りょうしょういん)・松宿院(しょうしゅくいん)も一緒に回るのもいいかもしれません。ただ崇泰院・良正院・松宿院は通常非公開の為、拝観には注意が必要になります。なお知恩院では御忌大会(ぎょきだいえ)などが行われ、行事も一緒に見るのもいいかもしれません。

【知恩院・濡髪大明神・塔頭 基本情報】
京都・知恩院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
知恩院の守護神・濡髪大明神(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
知恩院の塔頭・崇泰院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
知恩院の塔頭・良正院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
知恩院の塔頭・松宿院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【知恩院・濡髪大明神・塔頭 マップ・地図】

【知恩院 歴史・簡単概要】
知恩院(ちおんいん)は平安時代後期の1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が東山・吉水(よしみず)に草庵を結び、専修念仏(せんじゅねんぶつ)を布教したのが起源です。知恩院は当初吉水御坊・大谷禅坊などと称されていました。その後鎌倉時代の1227年(嘉禄3年)に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の衆徒によって破壊されたが、1234年(文暦元年)に法然上人の弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が再興し、第87代・四条天皇から寺号「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」を賜りました。しかしその後の火災や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失しました。江戸時代初期の1608年(慶長13年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が伽藍を建立し、2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が引き継ぎました。なお法然上人は唐の高僧・善導(ぜんどう)の著作「観経疏(かんぎょうしょ・観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ))」を読み、六字名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と一心に声高くた称えることにより、人々が極楽往生できるという専修念仏の思想に開眼しました。
知恩院は浄土宗の総本山です。
*参考・・・京都・知恩院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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【濡髪大明神 歴史・簡単概要】
濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)は1633年(寛永10年)江戸幕府3代将軍・德川家光が焼失した知恩院(ちおんいん)を再建した際に造営されたと言われています。濡髪大明神の祭神・白狐は知恩院を火災から守る濡髪大明神(濡髪童子)で、知恩院の守護神とも言われています。知恩院は浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が東山・吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んでいた草庵が起源です。なお濡髪大明神は祇園の芸舞妓の間で縁結びのご利益があると言われています。

【崇泰院 歴史・簡単概要】
崇泰院(そうたいいん)は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が生母・伝通院の菩提を弔う為に知恩院を再興した際、知恩院再建普請奉行・竹村道清(たけむらみちきよ)が建立しました。崇泰院の名称は道清の法名「崇泰院勝誉道清居士」に由来しています。なお崇泰院がある場所は浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)没後に建てられた大谷廟堂があったと言われています。また本願寺中興の祖と言われている本願寺8世・蓮如上人(れんにょしょうにん)の誕生地とも言われています。
崇泰院は浄土宗総本山・知恩院の塔頭です。
*参考・・・崇泰院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【良正院 歴史・簡単概要】
良正院(りょうしょういん)は室町時代中期の1428年(正長元年)に春浩翁軒善誉九感が創建し、浩翁軒・浩翁院と言われました。江戸時代前期の1615年(慶長20年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の次女・督姫(とくひめ)が亡くなり、その子・池田忠雄(いけだただかつ)が母・督姫の菩提を弔う為に浩翁軒を拡張して伽藍を建立し、本山・知恩院に安置されていた母の位牌・御影を移して香花所にしました。1631年(寛永8年)に本堂が建立されました。良正院の寺号は督姫の法号「良正院殿智光慶安大禅定尼」に由来しています。なお幕末(江戸時代末期)の1863年(文久3年)の本圀寺事件では河田景与(かわたかげとも・河田左久馬)ら因幡二十士が集まり、鳥取藩側用人・黒部権之介(くろべごんのすけ)らを暗殺し、奥田萬次郎(おくだまんじろう)が本堂・竹の間で自刃しました。
良正院は浄土宗総本山・知恩院の塔頭です。

【松宿院 歴史・簡単概要】
松宿院(しょうしゅくいん)・松風天満宮(まつかぜてんまんぐう)は知恩院(ちおんいん)の宿坊として建てられました。当初松宿庵と言われていました。歌人であり、僧であった西行(さいぎょう)が感得したと言われ、寛永年間に知恩院32世・霊巌(れいがん)が知恩院に安置した天神像が移され、松風天満宮・松宿院と言われるようになりました。その後名称を松風院に改めました。なお知恩院は浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が東山・吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んでいた草庵が起源です。
松宿院は浄土宗総本山・知恩院の塔頭です。

【知恩院御忌大会 歴史・簡単概要】
知恩院御忌大会(ぎょきだいえ)は浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の忌日に門弟が行った知恩講に由来する一番重要な法要です。「御忌」は天皇などの忌日法要を指すが、1524年(大永4年)第104代・後柏原天皇から「大永の御忌鳳詔」が出されたことより、法然上人の忌日法要を「御忌」と言うようになったそうです。御忌大会はかつて1月に行われていたが、1876年(明治10年)からは4月に行われるようになりました。なお知恩院御忌大会は例年4月18日から25日まで行われます。

【知恩院 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
知恩院見どころ(御影堂・三門など)

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