洞玄寺牡丹見ごろ(4月下旬~5月上旬頃)

洞玄寺牡丹見ごろ(例年)・見どころ

洞玄寺牡丹見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。洞玄寺にはボタン園に約50種・約250株の牡丹が植えられ、赤・白・ピンクなどの大輪の花を咲かせます。牡丹と石塔・石灯籠など境内の光景が美しいと言われています。洞玄寺は「ぼたん寺」の愛称で親しまれています。(詳細下記参照)

【洞玄寺 牡丹見ごろ(例年)】
洞玄寺の牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。なお牡丹の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【洞玄寺牡丹見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府福知山市石原2-242
最寄り駅・バス停・・・府立工業高校前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR綾部駅から京都交通バス

*JR山陰本線の場合、最寄り駅はJR石原駅(徒歩約10分)

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【洞玄寺 牡丹見ごろ(例年)・見どころ解説】
洞玄寺は京都福知山を代表する牡丹の名所です。洞玄寺の牡丹見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。なお洞玄寺は1978年(昭和53年)に檀家が両親の供養に50株の牡丹を植えたのが牡丹の始まりで、その後境内にボタン園が造られ、毎年一般公開されています。ちなみに洞玄寺は「ぼたん寺」の愛称で親しまれています。
洞玄寺にはボタン園に約50種・約250株の牡丹が植えられ、赤・白・ピンクなどの大輪の花を咲かせます。牡丹と石塔・石灯籠など境内の光景が美しいと言われています。境内には「牡丹 花開き 花落つ 二十日 一城の人 皆な狂えるがごとし」という石碑も建立されています。なお2020年にはボタン園がイノシシに荒らされ、ボタンの茎が倒れたり、折れたりして150株以上の牡丹がだめになり、秋に植え替えられたそうです。肥料の臭いにつられ、ボタン園の土を掘り返し、土中のミミズを捕食しているそうです。
牡丹はボタン科ボタン属の落葉小低木です。牡丹は中国西北部が原産地で、古くに日本に伝わり、観賞用として庭に植えられています。また牡丹は根の樹皮が牡丹皮(ぼたんぴ)と称されて生薬としても利用されました。牡丹は原種が樹高約3メートルだが、園芸品種は樹高約1~2メートルです。牡丹は葉が大きくて羽状複葉で、花びらが5~8枚で、重弁や二段咲きなどの園芸品種があります。牡丹は例年4月頃から5月頃に赤色・赤紫色・紫色・薄紅色・白色・黄色などの大形の花が咲かせます。なお牡丹には春牡丹だけでなく、寒牡丹・冬牡丹もあります。

【洞玄寺 歴史・簡単概要】
洞玄寺(どうげんじ)は「洞玄寺縁起書(えんぎしょ)」に「天文年中 大槻安芸守光頼 此地ニ城ヲ築キ居ル 弘治元卯乙六月十四日逝去」と記され、また洞玄寺3世・心宗禅明(ぜんめい)禅師が江戸時代中期の1739年(元文4年)に弟子・慧勤(すいきん)に編纂させた「寺記(じき)」によると戦国時代(室町時代後期)の天文年間(1532年~1555年)に安芸国(広島県西半部)から大槻安芸守政治がこの地に土着して館と城(石原城)を築き、その後隠居して法名を「洞玄」と名乗って草庵を営み、1555年(弘治元年)5月14日に亡くなると長らく廃墟になりました。その後石原の僧・華翁(かおう)が寺院を建立し、大槻安芸守政治の法名「洞玄」に因んで、寺号を洞玄寺にしたと言われています。なお江戸時代中期頃にこの地が石原城跡であったことが知られていたそうです。江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に描かれた「古城址見取図絵巻」には現状に近い城跡が描かれ、土塁に囲まれた洞玄寺の境内が石原城の主郭を示しているそうです。
洞玄寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・洞玄寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)洞玄寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【洞玄寺牡丹見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
洞玄寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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