洞玄寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
洞玄寺
洞玄寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。洞玄寺の境内では2003年(平成15年)・2004年(平成16年)に発掘調査・測量調査が行われ、洞玄寺ゆかりの石原城は段丘の東北端を利用し、東側・西側・南側の三方に土塁・空堀を造って要害化し、平坦部分は面積約3,400平方メートルもありました。土塁・空堀は良好に残存していました。
【洞玄寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府福知山市石原2-242
最寄り駅・バス停・・・府立工業高校前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR綾部駅から京都交通バス
*JR山陰本線の場合、最寄り駅はJR石原駅(徒歩約10分)
【洞玄寺 拝観時間・時間(要確認)】
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【洞玄寺 拝観料金・料金(要確認)】
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【洞玄寺 歴史・簡単概要】
洞玄寺(どうげんじ)は「洞玄寺縁起書(えんぎしょ)」に「天文年中 大槻安芸守光頼 此地ニ城ヲ築キ居ル 弘治元卯乙六月十四日逝去」と記され、また洞玄寺3世・心宗禅明(ぜんめい)禅師が江戸時代中期の1739年(元文4年)に弟子・慧勤(すいきん)に編纂させた「寺記(じき)」によると戦国時代(室町時代後期)の天文年間(1532年~1555年)に安芸国(広島県西半部)から大槻安芸守政治がこの地に土着して館と城(石原城)を築き、その後隠居して法名を「洞玄」と名乗って草庵を営み、1555年(弘治元年)5月14日に亡くなると長らく廃墟になりました。その後石原の僧・華翁(かおう)が寺院を建立し、大槻安芸守政治の法名「洞玄」に因んで、寺号を洞玄寺にしたと言われています。また大槻安芸守政治の弟が兄・大槻安芸守政治の菩提を弔う為に石原の僧・華翁を開山として創建したとも言われています。なお江戸時代中期頃にこの地が石原城跡であったことが知られていたそうです。江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に描かれた「古城址見取図絵巻」には現状に近い城跡が描かれ、土塁に囲まれた洞玄寺の境内が石原城の主郭を示しているそうです。
洞玄寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・洞玄寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)・洞玄寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【洞玄寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
洞玄寺の見どころは牡丹園です。牡丹園には約50種・約250株の牡丹が植えられています。牡丹は例年4月下旬頃~5月上旬頃に見ごろを迎えます。
【洞玄寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0773-27-5036
【洞玄寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【洞玄寺 おすすめ散策ルート】
洞玄寺からのおすすめ散策ルートは南側にある一品神社に向かうルートです。5分ほど散策すれば、一品神社に行くことができます。なお洞玄寺は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。