建勲神社夏越祓(例年6月30日)
建勲神社夏越祓
建勲神社夏越祓(日程・時間・・・)を紹介しています。夏越祓は例年6月30日に行われています。夏越祓では過去半年間の罪・穢れを祓い、今後半年間の無病息災を祈願します。夏越祓では茅の輪くぐりが行われ、神事が終了すると茅の輪が解体され、持ち帰ることができます。茅(ちがや)は持ち帰ると半年間無病息災で過ごせるとも言われています。(詳細下記参照)
【建勲神社夏越祓 日程時間(要確認)】
建勲神社夏越祓(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は例年6月30日17:30から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・建勲神社ホームページ
【建勲神社夏越祓 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野北舟岡町49
最寄り駅・バス停・・・建勲神社前(徒歩約3分)、船岡山(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から建勲神社は205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【建勲神社夏越祓 歴史・簡単概要】
建勲神社夏越祓(なごしのはらい)では過去半年間の罪・穢れを祓い、今後半年間の無病息災を祈願します。夏越祓では先ず修祓(しゅばつ)などの神事が行われ、次に神職・参拝者などが茅の輪を左回り・右回り・左回りに3回くぐります。ちなみに神事が終了すると茅の輪が解体され、持ち帰ることができます。茅(ちがや)は持ち帰ると半年間無病息災で過ごせるとも言われています。なお人形(ひとがた)の授与も行われます。
茅の輪(ちのわ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が后を求めて旅に出た際、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)が快くもてなし、素戔嗚尊の教えに従って茅の輪を腰に付けたところ疫病を逃れることができ、子々孫々まで繁栄したという故事に由来する古来からの風習です。くぐる際には「水無月の 夏越の祓へする人は 千歳の命 延ぶというなり」などと心の中で唱えます。ちなみに「水無月の・・・」には茅の輪をくぐると寿命が1,000年延びるという意味があります。
京都では6月30日に厄除けに和菓子・水無月(みなづき)を食べる風習もあります。かつて宮中では旧暦の6月1日に氷室(ひむろ)から氷を取り寄せ、健康に夏を過ごせるよう祈願しました。しかし庶民には氷が貴重だったことから氷を象った三角形の外郎(ういろう)に厄除けの小豆を散らした水無月が食べるようになりました。
【建勲神社 歴史・簡単概要】
建勲神社(たけいさおじんじゃ・けんくんじんじゃ)・建勲さんは1869年(明治2年)に第122代・明治天皇が戦国乱世(戦国時代)において天下統一や朝儀復興などの事業を進めた織田信長(おだのぶなが)の偉勲を讃える為に健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建を決定したのが起源です。翌1870年(明治3年)に第122代・明治天皇から神号・建勲神社を賜り、1875年(明治8年)に別格官幣社に列せられ、標高約111.7メートルの船岡山(ふなおかやま)を賜りました。船岡山は平安京の四神相応(しじんそうおう)で、北方を守護する玄武(げんぶ)に位置し、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって織田信長の廟所と定められた場所でした。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際には船岡山城も築城されました。その後1880年(明治13年)に社殿が建立され、織田信長の嫡子(長男)・織田信忠(おだのぶただ)が配祀され、1910年(明治43年)に本殿以下諸舎を船岡山山麓から山頂に移しました。なお建勲神社の前身は織田信長の子孫で、出羽国天童藩3代藩主(天童藩知事)・織田信敏(おだのぶとし)の東京邸内に造営された建勲社(たけいさおしゃ)です。
*参考・・・建勲神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【建勲神社夏越祓 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
建勲神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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